parte 3



(2009年3月〜4月頃の話)



NO LIMIT(裕次郎=現:高橋裕二郎&内藤哲也によるタッグチーム)がアメリカへ来たのは、東京ドーム大会(2009年1月4日)で“モーターシティ•マシンガンズ(クリス•セイビン&アレックス•シェリー)”に奪われた“IWGP Jr.タッグ王座”を取り返すため。

アメリカへ来て約1ヶ月、そのチャンスが訪れる。



2009年3月31日、フロリダ州オーランドにて“モーターシティ•マシンガンズ”の保持する“IWGP Jr.タッグ王座”に挑戦。

ここで“IWGP Jr.タッグ王座”を取り返し、チャンピオンとして日本へ帰国するはずだったんだけど…

“NO LIMIT”は敗北してしまう。



その後“モーターシティ•マシンガンズ”は、2009年4月5日•両国国技館でApollo 55(プリンス•デヴィット&田口隆祐)相手に防衛成功。

“モーターシティ•マシンガンズ”は、チャンピオンのままアメリカへ戻ってきた。



そして迎えた2度目のチャンス‼︎



2009年4月19日、ペンシルベニア州フィラデルフィアでの大会にて“IWGP Jr.タッグ王座”への挑戦(3wayタッグ)が決まった。

“NO LIMIT”にとっては絶対に負けられない試合‼︎

しかーし、タイトルマッチの前々日だったかな?
この会場で行われた試合で、左ヒザを負傷(半月板損傷)。

ロッキング(突然にヒザが伸ばせなくなること?)してしまい、歩行困難な状態で控室へ戻ったことを覚えている。



2009年4月17日、ペンシルベニア州フィラデルフィア
物凄く腫れ、全然動かせない左ヒザを引きずりながらの会場探検。

これはもう、会場マニアの意地である(笑)
でも、ヒザの痛みで試合のことや会場のことはほとんど覚えてないや…。



痛恨のタイトルマッチ3連敗(東京ドーム•オーランド•フィラデルフィア)。

帰国する理由を完全に失ってしまった“NO LIMIT”を、週刊プロレスがインタビュー。
28歳の裕次郎(現:高橋裕二郎)と、26歳の内藤哲也。

そしてこのあと、ある決断をすることに…



(つづく)