諸岡なほ子の『旅の途中のスウィートホーム』

諸岡なほ子の『旅の途中のスウィートホーム』

ミステリーハンター・諸岡なほ子のオフィシャルブログ  

下町歩き連載『諸岡なほ子の隅田川デプレ』は、「宅ふぁいる便」のサービス休止により、ただいま連載をお休みしております。状況がわかり次第、こちらでお知らせいたしますので、今しばらくお待ちくださいませ。(2019.06.04更新)
ディズニーシーに行ってきました。楽しかった、楽しすぎました。エンターテインメントの持つ力に改めて魅了されてきました。


 

そう感じた最たるものが「ファンタズミック!」のショー。

私、この物語を作った人を心から尊敬しますし、その再現力(壮大なステージ、音響、映像、特殊な演出、キャストたちの表現力、それらを同期させる技術、そして、あっという間に跡形もなくセットが消える撤収力、などなど)の高さに拍手を送り続けずにいられません。

 

ちなみに、気になりすぎて調べてみたら、初演はカリフォルニア、アナハイムのディズニーワールドで1992年。東京ディズニーシーでは、東日本大震災から間もない2011年4月28日から始まったのだそう。Wiki情報ですが、総工費30億円をかけて作られたエンターテインメントなんですって。なんという規模。

 

で、私が一番心奪われたのは、ミッキーのセリフ。

魔法使いの弟子になったミッキーが、イマジネーションの力で夜の水上にたくさんの物語を描いていくんですが、その美しいシーンの数々を見ながらミッキーはこう言いいます。

 

「なんて素敵な夢なんだ。」

 

なんてメタ視点なセリフなんだ。ミッキー、自分の作り出した魔法の世界にいながら、それを客観的にも見ています。このセリフの不思議さ。これで私の心も魔法にかかってしまいました。観客である私たちは、幽体離脱状態のメタミッキーと一緒にミッキーの作り出した夢の世界を見ているんです。

 

溢れる映像、心踊るリズム、水面に揺れる光、打ち上がる花火。

 

ところが、夢は暴走し始めます。ヴィランズ(ディズニー作品の中の悪役)たちが、ミッキーの夢を壊してしまえ!と襲いかかってくるんです。そのクライマックスが、巨大なドラゴンが火を吐くシーン。それを見てミッキーはこう言います。





「君がどんなに強くても、これは僕の夢なんだ!」

 

眼前の悪役との二項対立の構図に引き込まれていた私たちはハッとします。これは、ミッキーの心の内に潜在していたヴィランズなんだと。つまり、今ミッキーと一緒に見ている夢の世界は、ミッキーの中にある善と悪、その葛藤なのか!?と。一番素直にとらえるとそんな感じなのだと思います。

けれども、素直じゃない私はなんとも不思議な感覚に捕われてしまいます。やっぱりセリフのメタさゆえでしょう。マジカルハットの上、いや、雲の上からミッキーに、こう言い渡された気持ちになってしまったのです。


「色即是空 空即是色!この世界はイリュージョンなんだ!!ハハッ。」


あぁ、誰かと共有したいけど、なかなか共有してもらえないこの気持ち…。

私こそ大暴走。と、今は思ってしまいますが、あの夜の闇の中を駆け巡る七色の光が語りかける物語を見ていると、信仰心にも似た気持ちが沸き起こってきてしまったのです。

でね、人の心に届く一番強いメッセージというのは、きっと自分1人に向けて送られたと、自分にしかわからないであろうと感じられるメッセージなんだと思うんです。その意味で、私の心を暴走させて「こんな風に感じたのはきっと私だけだろうな」と思えた、ファンタズミック!が放つメッセージは、個人的で強烈なインパクトのあるものとなってしまったんです。

 

でもねでもね、そこはやっぱり世界のディズニーです。とても優秀なブレーンが、世界中のあらゆる国の、あらゆる宗教観の、あらゆる世代の老若男女に見てもらうために、練って紡いで組み立てて削ぎ落としてこれがディズニーのショーとして最高に相応しいものだ!というものを作り上げているんだと思うんです。

なので、私とは全く違う国や人種や性別や年齢の人たちも、私とは全く違う角度で色々なメッセージを受け取っているかもしれません。

 

ただ、私が感じた雲の上のミッキー感は、やっぱりあの不思議なセリフ「なんて素敵な夢なんだ!」「君がどんなに強くても、これは僕の夢なんだ!」によるところが大きくて、物事を深く掘り下げて下へ下へ階層を増やしていくような方向ではなく、ミッキーと一緒に起こっていることをひとつ上の階層で俯瞰して見ていたような、そんな感覚が残るというのは、ファンタズミック!を見た人たちみ共通する感覚なのではないかと思ったりしていました。



そんなショーの直後に、何事もなかったかのように静まり返るメディテレーニアンハーバー。おそるべき撤収力。だからこそ、現実世界に引き戻されることなく、各々に余韻を楽しめてしまう。それさえもこのショーの一部と言わんばかり。はあ、嘆息。(あ、でもこのショーの提供はD社でしたとのアナウンスに、瞬間私は感謝と嘆きのアンビバレントな感覚に襲われましたが…)

 

なんでしょ、もちろん比喩ですけど、ディズニーシーから帰ってきて数日が経ちましたが、それまで目の前がちょっと光化学スモッグ状態だったのが、パッと晴れわたったような感覚が続いています。心から楽しむってこういうことかも。ありがとう、ディズニー!ありがとう、ミッキー!!

私、また一つ大人になれました(笑。


いつか行くぞ、アナハイム!

イマジネーション!!ハハッ



昨日は私、44回目の誕生日でした。
家族と館山のオートキャンプ場で、こーんな感じで過ごして参りました。

息子が今年のお年玉の貯金でパパと買ってきてくれていたサプライズのお花💕
こんなプレゼントが人生で私を待ってたなんて、嬉しすぎるー。

ひとりでスパークリング。
まだ、設営間も無く散らかってる内から…。

息子のたっての希望、豚肉ステーキ。

鮭をのっけてメスティンで炊くごはん。ビフォー。

炊いてる間もスパークリング。
あ、今回はグリルやコンロではなく焚き火台で。

アフター、の、炊き上がった写真を撮る予定だったのに、美味しそうに炊けたのが嬉しくてとっとと息子の器によそってしまいました(汗。

ほんで、牛肉。こちらはアメリカ産。美味しそうな和牛は後で焼こう!と言って楽しみにとっておいたのに、これでお腹いっぱいになってしまって、肝心の和牛は残してしまいました…。

テントの中。ええ、いい感じです。ちょうどいい具合に泡が巡ってくれてます。ほろの酔い。

今回は海のすぐ近くにテントを張ったんですが、海風がすごくて、ビュービュー吹かれてるうちに疲れてきちゃったので、バーベキューが一段落したらすぐにテント内に避難。
後半は秘密基地でコソコソと楽しむ感じでしたが、狭いところでも息子はおかまいなしに動くので、だーいぶ私に叱られておりました。そしたらまさかの、夢の中でも怒られてしまったらしく、夜明け前のキャンプサイトに轟くおチビの夜泣きの声…。焦りました。我が家以外にソロキャンプの方がひとりいらしただけだったけど、ひとりでのんびり静かに過ごしたいだろうに…と申し訳なかった。


朝は磯遊び。生き物に触ることを怖がる息子に代わり、私、ヤドカリやカニやちいさなお魚だけでなく、ちいさなエビもつかまえられました!
そんな、アラフォー最後&平成最後のお誕生日でした。

今年も成長するぞー!!
(できれば体重以外のところで)

今年の3月くらいにようやく映画「LA LA LAND」をレンタルして鑑賞、と思ったら、すぐにテレビ放映もあり、立て続けに見たこともあってか全世界に3周くらい遅れてこの映画にどハマりしていました。サントラもすごくいいし、ストーリーも個人的にはすごく好き。あと、やっぱり歌って踊るってたまらなく好き。ついついオープニングシーンをコピーしたくなって(できないんだけどね)晩ごはんを作りながら大音量でルンルンしてると、息子も一緒に踊り始めてくれたりもして。

そんなLA LA LANDの世界観の中でも一番グッと来てしまったのが、ミアがオーディションのシーンで女優だった叔母のことを語る歌、「Audition(The fools who dream)」。

 

パリに住んでいた頃、セーヌ川に裸足で飛び込んだ叔母。水は凍えるほど冷たく、彼女は1ヶ月もくしゃみをしていたとか。でも、もう一度飛びたいと言った。夢見る人に乾杯を。バカバカしく見えるかもしれないけれど、痛む心に乾杯を。私たちの厄介さに乾杯を。

老いては酒に浸り、やがて死んでしまった叔母。「ちょっとした狂気が、新しい景色を見るカギなのよ。私たちがどこに向かっているかなんて誰もわからない。だからこそ私たちみたいな人間が必要なの」と教えてくれた。反逆者、画家、詩人、そして演劇者たち。夢追い人に乾杯を。正気の沙汰に見えないかもしれないけど、あのボロボロの心に乾杯を。どうか、厄介な私たちに乾杯を。彼女は笑って言ってた、また飛ぶわって。

 

と、勝手に自分なりの解釈を加えて歌詞を要約してみましたが、ちゃんと伝わるかな?

伝わりにくかったら是非、動画と対訳を探してみてください。で、私、この叔母の生き様に強く心惹かれてしまうんです。叔母本人、一切映画に出てこないのに。ここで語られるだけなのに。もう、この歌を動画再生しながら一緒に歌おうとすると私、涙がぽろっぽろ出てきちゃって歌えなくなっちゃうんです。なんでしょう。なんなんでしょう。それこそちょっと狂気じみてますよね。絶対人には見せられない姿です、息子にも(汗。

とにかく、社会の中では狂気にすら見えるものを、傷ついても年老いても手放さず、人知れず女優として生き抜いたであろう叔母の気配に感動してしまいます。

 

というのがひとり目。

もうひとりは、日経ARIAのヤマザキマリさんのインタビュー記事「ヤマザキマリ 七転び八起きの母娘道」に出てくる、ヤマザキマリさんのお母様、リョウコさんの生き方。こちらは私が要約するよりも、短い記事なので参考に読んでいただくのが早いと思うのでリンクを貼っておきますが、このリョウコさんの生き様がかっこいい。

 

「この地球でいかに面白く楽しく生きるか」

https://aria.nikkei.com/atcl/column/19/020400059/020500002/?i_cid=nbparia_sied_pol_oyalist

 

サブタイトルだけでも素敵ですが、読むともっと引き込まれます。

 

どちらの人物も叔母だったり親だったり、子供世代からの目線で語られているのだけど、単に親や叔母としてどうなのかということじゃなくって、たまたま近親者であるその人が人としていかにその人らしく生きてきたのかを伝えていて、私、心惹かれているみたいです。

教育やママ友とか子育て関係の記事なんかを読んでいると、段々親としての自分ばかりが強く意識されてきてしまうのだけど、人としてどんな風に生きて行くか、そこに立ち返ることが今の私には必要なんだろうなと、このエントリーを書きながら確認しているところです。

結果的に、私が人としてどうありたいかを模索しながら生きて行くことが、息子にとっても学びになるのかもしれないし。

言いたい放題に言っていた二十代や三十代にに比べると、今は随分無口になってしまった。私が、私の心が、稚拙だからに違いない。あるいは老いさらばえてしまったのか。


言いたいことは日々たくさんある。喜びも悲しみも。でも、私の喜びは、誰かには叶わなかった望みや辛い日々を思い出すきっかけになりかねないし、私の悲しみをぶちまけても誰の徳にもならない。けれど、どちらもたくさん抱えている。


そういう想いたちは、要するにSNSなどで発信するべきものではないということなのだろう、私にとっては。


私が全世界に、未来の人々にまで発信したところで、それに尾ひれや背びれが付き、めぐりめぐって戻ってくる頃には、どんな形になってしまうかわからない。その恐ろしさに、私はどんどん無口になってしまった。あるいは、言葉を選んでいるうちにすっかり疲弊してしまい、無口になってしまった。いや、完全な無口になれるならばまだいいのかもしれない。自分以外の何かに繋がっていたくて、うすっぺらなおしゃべりを繰り返してしまう。平成とはそんな風に段々と心が窮屈になっていった時代だった、私にとっては。


…なんて、平成を総括したりしたかったわけではないのだけれど、このタイミングで終止符を打たれることに、どこかホッとする気持ちもある。時代がガラリと変わるなんてことがないのは分かっているけれど、冬至を境に太陽の光の量が増えていくようなイメージで、何かが変わっていくことを期待してしまう。


私の中で出口を求めている言葉たちを、どこで、誰に向かって、どんな形で送り出していくのか。どこを閉ざして、どこに開かれるべきか。

次の時代はその模索から始まる。

だから当然、その答えはまだ分からない。


でも、やっぱり誰かの心に繋がっていきたい。そして、より幸せな気持ちになりたい。そのために、誰かの幸せの役に立ちたい。


昨日はクローゼットの衣替えに始まり、なんとなく普段は触らないところを重点的に整理整頓した。そのうち大晦日のような気分になってきた。古い仕事の資料をまとめて捨てたり、使わないカード類を始末したり、逆にしばらく使っていなかったコーヒーマシーンを引っ張り出してみたり。時間をかけた割に派手な変化がなくて「なんだかなぁ」という気持ちもあるけれど、少しずつ、引き出しの中や本棚の隅や小さな窓の前に空間が生まれた。余白が清々しい。余白が、何かを待っている。そんな風に見えた。

そして、こんなことを考え始めたというわけだ。

多分、最終的には前向きだ(笑。

それが出発点。



 毎週金曜日の夜は、息子とぺったりくっついて金曜ロードショーの映画を見るのが楽しみ、で、それを糧に1週間を生きている諸岡です。今日は『ラ・ラ・ランド』だったので、息子は『ジュラシックワールド』や『スターウォーズ』の時ほど興奮することもなく、私に気を使って大人しく見ていてくれていましたが、途中で私一人でお風呂に入ることになり、そのまま息子はパパとベッドへ。私は一人入浴しながら続きを見て、シャワーのごとく涙を噴射し、ただいまそれはそれは心が澄みきった状態でございます。
夢追い人に乾杯。厄介な私たちに乾杯って、もうなくわぁぁぁえーん

さて、そんなわけでお風呂上がり、身も心も洗われ、洗濯物を干し、ほの暗くなったリビングでひとり久し振りにブログをしたためております。

実は告知がありまして。

また渋谷のラジオなんですが、来週2月11日月曜日(祝日)の14:10〜から、華恵さんの番組『渋谷のかきもの』にお邪魔します。
華恵さんとは、実は一緒に山に登ったことがあり、そんなお話もできるのかもと思ってますが、メインはかきものについてです。私が今一番気になるかきものについて鬱陶しく語ってこようと思います。渋谷のラジオなので、渋谷はもちろん、電波の届かないエリアでもアプリなどで聴いていただけるので、よかったらぜひリアルタイムで聞いていただいて、番組か局のツイッター宛にコメントなどいただけると嬉しいです。よろしくお願いしまーす。

華恵さんオフィシャル

渋谷のラジオ

それにしても、明日から大雪になるかもしれないらしいですね。息子と雪で遊べるのは嬉しいけど、身動き取れないのは困るなーと思い、とりあえず今日のうちに水や食料を多めに買い出しに行き備えてみました。みなさんも、雪、楽しめるといいですねー。



写真は、息子に書いてとせがまれる虫や恐竜の絵。図鑑のイラストを必死で模写しております。ちなみに息子が最近保育園で描いた絵のタイトルは「めがばくはつしたひと」でした。ぐしゃぐしゃーっと芸術的な仕上がりになってました(汗。
うひゃー、告知、なんとか間に合いました!!

関西方面の皆さま、今週末1月12日(土)の夕方5時からは、住人十色です!
私が、横須賀の築50年の賃貸をDIYしているサーファーさんのお宅にお邪魔してきました。

あんまりにもハンサムな方で、昔の私ならば目を合わせるのがやっとだったかと思われますが、なんでしょ、今は「イケメン、イケメン♪」と囃し立てながら楽しく撮影させていただきました。

ぜひご覧くださいませー。






新年、あけましておめでとうございます。
今年の初詣は三嶋大社へ。
おみくじは、息子が小吉、夫が吉、私が大吉。

福井県立恐竜博物館、ディズニーシー、キャンプ、とか、実現したいささやかで楽しい夢をたくさん抱えて、家族の日々を紡いでいければと思います。

私個人としても、頑張るぞー。




新年もどうぞ、よろしくお願いいたします!

平成31年元旦
諸岡なほ子

皆さま、私今年、片手でおさまる回数しかブログ更新してないって、知ってました?(汗

ひゃー。

いかんいかんいかんいかんいかん。

しかも、去年の大晦日のエントリーを読み返してみたら、なんかもう、みなさんに心配かけてやしないかと思うテンションでびっくり。
まあ、息子が手にやけどを負った日だったので仕方がないかなと思いつつ、今年の今日は今日で、私の不注意で息子の指をドアに挟んでしまい、肝が瞬間フリーズドライ。幸い、骨折も内出血もかすり傷もなかったのですが、年末年始、いつもと違う環境での油断禁物です。

というわけで、毎日バタバタ、毎日喜怒哀楽に成長にと忙しない我が家。

あ、そうだ。

1つ報告しておかなくちゃと思っていたことが。この秋、去年始めさせて頂いたHanako.tokyoでの連載「おいしいのりもの旅」を終了させていただきました。Hanakoの誌面やサイトをリニューアルされるタイミングだったので、その機会に。理由は、もっと歌詞などを書く時間を作りたいと思ったから。文章を書くことも取材をすることも食べることものりものに乗ることも好きなのでとてもやりがいのある連載でしたが、限られた時間の中、自分のやりたいことの優先順位を冷静に考えた時に、もっとちゃんと歌詞のような自分の作品を作っていきたいなと思いました。

来年はもっと自分の心のリズムに素直になって、仕事や育児など日々の暮らしのメロディを大切に紡ぎ、いろんな人と場所でハーモニーを奏でられるような、美しい一年にできればいいなと思っています。そんな人生にできるように。

それと、1つ前のエントリーにコメントをつけてくださっていた、雪野さん、どこかの饅頭さん、来年はもう少し更新増やすつもりです!やりたいことをやる年にしていきたいので。激励ありがとうございます。
そのほかの皆さんも、ちっとも更新されないことブログを忘れないでいてくれてどうもありがとう。来年も、遊びに来てくださいね。

今年もここにありったけの愛を置いておきますので、お好きなだけ持って行ってください。去年よりもはるかに多く作っておいたので、遠慮なく(笑。

2018年、あと2時間ちょっとで終わりますね。
一年早いな。
どうかあったかくして、新しい1年をお迎えください。
それでは。

2018年12月31日
諸岡なほ子


最近はこのブログを、過去の自分の記憶を呼び覚ますため、備忘録を開くように使っています。ペルーに行った時は、どうだったけ?とか、あの頃は何考えていたんだっけ?とか。昔はたっぷり時間があって、気持ちに余裕もあって、書いていることも今よりも気がきかせられているな、なんて思ったり。

子育てをするようになって、不器用な私はすっかり日常のあれこれに心も体も占領されています。それに落ち込んだり、でも、子どもはかわいいので、これがあれば十分という気持ちになったり。

でもね、やっぱりそれだと、なんだかホントの自分に申し訳ない気もする。子どもだって、大きくなったら「それどうなの?」って言いそうだ。

不惑の40代と言いますが、人生100年時代。私の不惑はもう少し先なのかも。

あー、前はよく言ってたなー、万年思春期って(苦笑。

 

さてと、そろそろパパと息子が帰宅するぞ。

ごはんつくろっと。

 

♪ワカリハジメタマーイレボリューション、

♪フフフフフフフフーンフフーン

 

あ、まだ覗きに来てくれてる人、いるのかな?

いてくれたら、ありがと。