子供~高齢者~障害者までもできる水泳について | 「ココロを支援するセラピスト」

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日々の中で体験した不思議なことや、世の中の疑問に思う事など、ココロを支援することなど、気づいたことをお伝えいたしますね・・・。

今日は今にも雨が降りそうな天気にも関わらず、夕方まで持ちこたえています。一日いちにちと日を重ねるごとに寒さが増してきますね。


今、水泳の指導員講習を受けています。理由は障害者と関わってから、埼玉県の障害者スポーツ指導員になり、実際に水泳指導をしてみたことからです。


ところが、自分が指導するという立場になると、うまく教えることができませんでした。技術的なことを伝えられるスキルが必要だと思ったからです。


元巨人軍のN島監督は現役時代に好成績を記録したにも関わらず、指導力には、はてなマーク(?)がついてしまいました。


「名選手、名監督にあらず」などとも揶揄されましたね。


・・・そんな思いから水泳指導員になることを目標にしました。


一昨日、昨日と本当にハードな一日でした。水泳の指導員講習は9:00から実技の練習が始まります。検定試験科目に個人メドレーがあるので、バタフライから始まりました。


バタフライで25mを泳ぎ、帰りの25mはクロール、同じように背泳で25m帰りをクロール、平泳ぎ、クロールの順番で400m程泳ぎます。インターバルの感覚は約1分位です。


かなり速いピッチでした。その後は足だけのバタフライ、背泳、平泳ぎ、クロールと続きます。


前回の講習の時、受講者の大半が横泳ぎが上手くできないため後半は、横泳ぎの練習でした。


元もと私自身がなんで水泳に興味を持ったのかというと。小学生の頃、学校にプールがあったので、夏の暑い日はプールで泳ぐことが楽しみでした。


うる覚えですが、小6の時、水泳の4級(25mクロール20秒以内、平泳ぎ、30秒以内、20m潜水)を取って、水泳帽に3本の黒い線をつけてもらった記憶があります。


ただ、小学校の他に近くにはプールはなくて、プールに行きたいと思うと、電車とバスを乗り継いで1時間以上離れた隣の市民プールしかありませんでした。


そして中学になってクラブ活動を選択する時、夏にタダでプールに入れるという安易な動機から水泳部に入りました。


中学生でも市民大会、都大会(昔、府中市に住んでいました)などがあり水泳部の練習は1日に3~4kmも泳ぐかなりハードな練習をしていました。


その頃の自分は、泳ぐことが楽しみで、水泳の競技に関してはほとんど興味を持っていなかったため、競技のある時は、補欠選手として参加していました。


水泳部の練習初めはプール掃除からです。今だったら、保護者からクレームが来てしまいますが6月の初旬に行うため、水温が16度の中で初泳ぎをします。


少し泳いだだけで、唇が紫に変色してしまいます。それでも待ちに待った初泳ぎは楽しかったです。


だた、部活を適当にしていても、「継続は力」というように泳ぎ込んでいるとそれなりに自然と上手くなってしまうものでした。


この時の中学の3年間、水泳部に在籍していたことが、後の人生に大きく影響しているようです。


同じ有酸素運動系の陸上は、まったくと言っていいほど運動神経がいまいちでした。特に長距離は大嫌いでした。


汗が目に入って痛いとか、その点、水泳は汗が目に入らないと訳のわからない屁理屈をつけていました。


そして、時代は、ダイエットブームにもなり、北島康介選手の活躍など、日本の水泳も脚光を浴びて来るようになっています。


スイミングは子供から大人、高齢者、障害者なども身体にもよいといわれています。


またの機会に健康に役立つ水泳についてお伝えしますね。