演技力について 12 ドラマの結末があらかじめわかってても楽しめる日本人、その理由 | 名古屋の鈴木のブログ

名古屋の鈴木のブログ

ブログの説明を入力します。

(前回のつづき)
 ドラマの結末が最初からわかってたらつまらないか?
確かにつまらんだろう。これから推理小説を読もうとしてたときに、誰かから、「ああ、犯人は○○ね」と言われたら怒るだろう。ネタバレされちゃ、読む気がなくなってしまう。
ドラマだって、最後の方でどんでん返しとかあるのに、それをネタバレされてはワクワク感がなくなり、がっかりはするだろう。
 この評論家(?)さんは、出ている俳優女優陣の顔触れを見ただけで、ドラマの結末がわかってしまう・・・、職業柄だからか? かわいそうな人だなと思う。普通の人は、そんなこと意識することないから、この先どうなるのだろうとワクワクし続けるだけなのに。
 それに、「ああ、犯人は○○ね」は極端だったとして、日本人は案外、先が読めても楽しめるお国柄なのだ。
それは、いわゆるワンパターンという展開に対しての寛容さに見られる。現在は放送されてないTBS系「水戸黄門」に代表されるように、毎回、同じような展開、結末・・・、最後はちゃんばらした後に、「この紋所が目に入らぬか、常陸の副将軍、水戸のご老公なるぞ、頭が高~い!!」、悪代官らは土下座、ひれ伏すパターン、最後は「この御恩は一生、忘れません」とお礼を言われながら、ワハハと高笑いし、「それではまいりますかな」と旅路につく・・・。
毎度、お決まりのパターンだった。昭和の代表的な娯楽時代劇である。
実は最初からこの設定だったわけでなく、試行錯誤の末、人気が高かったので、お決まりのパターンにした。
では、なぜ、ワンパターンのほうが人気が出るのか。
それは視聴者は安心感も得たいからだ。勧善懲悪、毎回、変化なく結末が同じだからこそ安心できる。つまり、必要以上にワクワクしなくてもいいのだ。
これに似たものが、幼児の寝る前の読み聞かせだ。桃太郎なら桃太郎、毎回同じ話を聞くからこそ、幼児は安心して眠れるのだ。幼児は案外、違うお話を聞かされるのを嫌がるものなのだ。
 俳優女優さん次第でお話の結末が決まってしまう・・・それでいいじゃないか! 結末がある程度予測できた方が安心して見れる。
芦田愛菜ちゃんが、第1回でヒールな役を張っても、最終回には良い人に変わっている・・・そのほうがいい。愛菜ちゃんファンは安心だし、・・・第一、最後まで陰険な悪役なままの愛菜ちゃんなんて、日本中、誰ひとり見たくなかろう。
 今回は、結末がわかってしまうことについて書いたが、一面的なのでは・・・については次回に