演技力について 4 セリフに手足の仕草がついていってなく演技が小さい | 名古屋の鈴木のブログ

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(前回のつづき)
 演技力を分析して気が付いた。現在の俳優女優子役さんたちにはあって1970年代当時、TBSドラマ「ありがとう」の俳優女優子役さんたちに無いもの。
2点、気が付いた。
 ひとつは、セリフに手足がついていってない。このドラマ、ひとりひとり、セリフがとても長い。また短いときは早口でポンポン投げ合って(言い合って)、メリハリ良く言わなければいけない、ほとんどそういう場面だった。
たしかに、セリフを言うのは大変。忘れずに、とちらずに・・・と緊張しっぱなしだろう。なので、余裕がないのだ。セリフに合わせて表情はなんとか作れている。笑ったりすねたり怒ったり。
でも、それも演技が小さい方も。もっとオーバーに表情を作らないと伝わりにくいものだ。
が、それ以上に、手足の動きがほとんど無いことが気になった。
 たとえば、皆さん、しゃぶ台囲んで話し合っている。でも、その間中、手の動きがほとんど無かった。

左端の和泉雅子の手に注目。他の俳優がしゃべっている間、手がまったく動いていない

左・堀江香子(和泉雅子)。姉役の長山藍子と言い合いの喧嘩。セリフで論破しているときも手を結んだまま


 主人公・光(水前寺清子)がプチ家出して親友で警察学校仲間の次代(沢田雅美)の家に来ているシーンがある。わからずやの母親とどう対応したらいいか相談する光と答えている次代。カップラーメンを食べながらのシーンだ。
光・・・いや、ここでは女優さんの名前で書こう・・・水前寺清子は、長ゼリフをしゃべっている。もう食べ終わってしまったのか、カップ麺はスープだけのようだ。水前寺はお箸をチョンチョン、カップ皿に突いていた。

左・光(水前寺清子)と右・次代(沢田雅美)

カップ麺をただただ突いているだけ

表情が乏しい水前寺に比べて雅美の方がまだ演技に幅がある


まるで手持ちぶたさのように、延々とやっていた。つまり、演技に幅がないのだ。
調べてみると、もともと水前寺は歌手で、ミュージシャン1本でやっていくつもりだった。が、石井ふく子プロデューサーが、何としても出演してほしくて、女性トイレにまで待ち伏せていたというほど追いかけまわした。水前寺としては根負けして出てやった・・・みたいないきさつだったそうだ。
つまり、はなから演技力はないのだ。勉強も経験もしてないんだから。でも、なぜか、石井プロデューサーの勘は当たって、ドラマは大人気。水前寺は第3シリーズまで主人公を張ることになってしまった。でも、やっぱり、ミュージシャン1本でやりたいと降板を申し出て退任、第4シリーズは佐良直美が主人公をやったがヒットしなく、それでシリーズは終わった。
演技が下手でも受け入れられたいい時代(?)とも言えよう
     つづく