これからのスポーツ(後) 貧富の差に関係なく気軽にプレーできること | 名古屋の鈴木のブログ

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(前回のつづき)
 スポーツの誕生は貧富の差から誕生したと言える。圧倒的多数の貧しい人々があくせく働く一方で、働かないで生きていける少数のセレブたちは持て余した時間のなかで、遊びのなかから娯楽としてスポーツの原型を発展させていった。テニスはその代表だろう。18世紀ごろからヨーロッパの貴族たちの間で流行して広まった。
広いコート。値段の高いラケット、ボール、ミニスカートなどおしゃれな服装・・・いかにもセレブ感満載。スポーツの多くが、ゆえに、一部のお金持ちのための娯楽としてすすめられた。
それは逆に、大衆を見てこなかったということだ。

が、やがて、民主主義の時代になり、貧富関係なく、誰でもプレーしたいという欲求が大衆からも生まれていった。
それが当たり前の昨今でも、世界では、高い道具など買えないでいる途上国の人々が大勢いる。
 野球が世界中に普及しないのは、ヨーロッパにはすでにクリケットという似た競技があることの他に・・・、
広い野球場が必要なこと、バットやグローブ、硬球ボール、ベース、プロテクター類などが必要だが、値段が高くて手に入りにくいこと、ルールが複雑でわかりにくいことが挙げられる。
(すべての球技の中で、もっともルールブックが分厚いのが野球とアメフトだと言われている)
ニュースポーツ「ベースボール5」(前々回に記載)はその問題を解消させている。バットもグローブもいらない、広さも18メートル×18メートルあればいい。男女混合の5人対抗という手軽さ。
途上国の人たちもすぐに参加、プレーできるところはニュースポーツとしてふさわしい。
貧富の差があっても競技機会を奪わない・・・これがふたつ目の大きなポイントとなる。
 前回と合わせてまとめれば・・・、 
身体能力の差があっても、貧富の差があっても、競技機会を奪われない、誰でも気軽に参加できる・・・、これがニュースポーツ、これからのスポーツのありかたなのだと思う