1185)
の続きです。
前回 S51年の訪問時(No.1185 の記事) には夕暮れタイムアウト という感じだったので、その5年後に改めて訪問しました。いわばリベンジ。
このときは4日間くらいの夏季休暇で、友人と富士山登山を計画。その前日に一人で身延線南部を撮り歩いたものです。
1981年7月20日(月) 11:35 身延線堅堀~入山瀬で(後追い)。
創価学会臨 G車2両組込みの113系6M5T(東海道線の基本編成) 国府津電車区(南コツ)車K57編成
現地で準備していると、さっそく創価臨がやってきました。富士宮へ向かいます。列番不明。
11:58 626M 先頭は クハ47003他4連 甲府方には郵便荷物車 入山瀬~堅堀
16.7‰の下りで、富士のふもとを駆け下りてくるのがわかります。
S54年の編成表のままとすると、2両目は クモハ60806、最後部は クモハユニ44の800番台で、800・801・803のいずれかです。(802 はのちに別列車で見かけたので)
12:03 231M クモハ51814
富士11:54→12:17西富士宮 堅堀~入山瀬にて
編成表によると、2両目はクハ47061のもよう。
2両編成単位で富士方に組成されるクハ47。その甲府方の相手は クモハ41、クモハ51、クモハ60の3種があります。いずれも小断面に対応した800番台。ほかにクハ55+クモハ51(→甲府方)が2本と、サハ45を2号車に組成した4両編成が2本と Tc M'c Tc M'c の4連が2本、クモハユ二44800番台+クハ68(一部クハ55)の2連が4本という配置状況(S54.5時点)
12:03 231M後追い
クハ47053、こちら後部から2両目は クモハ51822のようです。 堅堀~入山瀬にて
クハ47にはロングシートとボックスシートがありました。しかしその区別は配置表でもわからず、実車調査しないとわかりません。でも暑い夏季なら推測できます。何人もの腕が出ていればボックスシートらしいと。で この47053はボックスシートと思われます。一方 この編成の向こうから2両目のクハ47はロングシートらしいと。
12:38 4715M富士川5号 クハ165 源道寺の南側にて
所定編成は静岡運転所配置、手前側甲府方より TcTM'MTc の2M3Tで、T はサハ153でした。これが所定編成なのですが---。
後ろから気配がして とっさに振りかえります。左が 4715M富士川5号 クハ165(甲府方1号車)
右は 714M富士川4号 甲府10:49→13:18三島
新幹線連絡の目的で、1往復だけ三島発着便がありました。富士でスイッチバックしないせいか、列番は3ケタです。
三島方←TcMM'TTc→甲府方
注目すべきは左の 4715M富士川5号。影の具合から、左カーブしてゆく先頭車はクハ165,奥側が甲府方です。2両目は モハ164-834 と読めます。となると、本来2号車に位置するはずのサハ153 のところに モハ164が組成されています。
したがって この編成に限って、
三島方←TcTMM'Tc→甲府方
だったものと思われ、優等列車でこういう例は珍しいです。静岡運転所で 153系から165系への置き換えが進んでいた時期と重なります。
714M富士川4号(後追い)
パンタの位置と、3号車が集中式クーラーであるのがわかり、この編成は3号車がモハ164 800番台です。その手前側2号車にサハ153 でこれは所定編成。
前後のクハ165ともに、シールドビームに改造されていました。
富士の裾の山ひだの地形に忠実に敷かれた線路は 軽い階段状を繰り返し 富士駅へ下ります。
(以下、続きます)