久しぶりに「旧型国電の旅」を続けます。
記事としては 1127)の大糸線(4)↓
の続きとなります。
大糸線に続いて、今回は御殿場線を訪問します。
1976(S51)年10月11日(月 体育の日の振替休日)撮影。
国府津方から昼過ぎの下りで沼津まで乗り通しました。
千葉ローカルの72系はほぼ全滅へ。S51.10での廃車と思われる72系6連が幕張電車区の幕張駅寄りの方に4~5編成、廃車前提と思われる留置が見えました。中にはモハ72001の姿も発見できました。
いよいよ各地の旧型国電も先が短そうだ、ということで訪問。
ボロ電ですが、趣味的には興味津々の改造車も多く、少しでも記録してゆこうと。
1976(S51).10.11 12:28 御殿場線 下曽我にて
乗車中の637M(国府津12:22→13:56沼津)より
ここで交換した 636Mはクハ79 937他の4両編成(2M2T)
昼過ぎですが、上りも下りも乗客がそこそこ多いです。
メモによると、636Mは
クモハ73 088 サハ78 401 モハ72 142 クハ79 937→国府津
サハ78 401は窓配置が異端のWC増設改造車(画面には写ってはいませんが)。
S47年ごろに房総ローカルへ転入してきた72系にはトイレは一切ありませんでしたが、御殿場線・身延線用の72系は、サハ78にWCが改造で増設されていました。配置は沼津機関区です。
1968年4月の御殿場線電化にあわせて、浜松工場でサハ78形に便所を設置したもので、400番台はサハ78400・サハ78401の2両が配置されていました。
国府津~下曽我間の左側に見える国府津電車区。
組織としての発祥は、国府津駅開業の明治20年に開業した「国府津機関区」(D52蒸気機関車の基地として有名でした)ととてつもなく古いのですが、ここ下曽我付近に電留線が設置され 基地としての機能が始まるのは、S48年2月に工事がスタートしたことに始まります。国府津機関区国府津電車基地としての位置づけでした。
S50年11月17日に電留線8本で供用が始まりました。東海道線と横須賀線の分離運転(S55年実施)を控えた準備が始まった頃です。
この撮影のS51年10月時点ではまだ電留線は少なく、廃車予定とおぼしき茶色の72系(先頭はクモハ73)や東海道線普通列車の古いグリーン車(非冷房なので、多分サロ111+サロ110と思われる)などが疎開留置されていました。
その後、M電・S電の分離運転開始とともに東海道線用の車両が続々転入し S55.10.1全面開業、国府津運転所となりました。
S60.11.1には運転部門を分離し、国府津電車区に改称、H16.6.1から国府津車両センターとなりました。
12:35 乗車中の637M、クモハ73 170 上大井にて
クモハ73 170 サハ78 452 モハ72 121 クハ79 425←国府津方
12:54 東山北から谷が急に狭まってきて 次の山北に到着。
4両編成が1本留置されていました。土曜運転の9637M~9642M用か 予備編成と思われ、この日は休日なのでお昼寝中。
これは4ドア化改造&WC設置工事で72系に編入された サハ78 400。
4ドアですが窓配置が独特で、左方から 1D1-2D1-2-1D1-2D2 と、前後非対称です。たぶん左方が前位。
サハ78 400番台の経緯は 戦前の元横須賀線32系列の付随車(サロ45・サロハ46)からの4扉化改造車の流れを汲み、2両(元サロ45形・サロハ46形各1両)に対し施工されたもの。定員が145名(うち座席51名)となり、1968年11月14日付け(御殿場線電化開業の頃)で400番台に改番されたものです。番号の新旧対照は次のとおりです。
サハ78400 ← 旧サハ78018(1944年にサロハ66形(旧サロハ46形)から編入済み)
サハ78401 ← 旧サハ78023(1944年にサロハ66形(旧サロ45形)から編入済み)
このほか、サハ78の450番台としても450~457の8両がWC設置とされ、450~455の6両に、400~401の2両を加えると、8両のWC設置車が沼津に配置されていました。450番台は種車が違って、こちらは戦後新製の63系が由来です。
山北留置の同編成。
全金属試作車クモハ73 902です。
クモハ73 035 サハ78 023 サハ78 400 クモハ73 902→沼津方
おおこれは珍しい。両端にクモハ73を組み込んだ McTTMc編成です。
クモハ73にこの顔つき、茶色なら房総でも見られましたが、きわめて少数派でした。クモハで運転室の上部にパンタがあり、そこからの電源ケーブルを引き込む管が前面の隅に這っているのが特徴で、いかにも旧型という無骨さ、それなのに後ろは全金車体にアルミ2枚窓という近代さ。このアンバランスさが旧国フリークには「萌え~」なのです(笑)。
前面のケーブル以外の外観デザインは101系に引き継がれました。
谷峨、駿河小山と狭い谷間を進み、風景が広がってきて足柄到着。
13:12 クモハ73 106。
こののっぺりとした顔つき、改造の顔ですが 房総でもわりと見られました。
足柄で交換の 国府津行き638M を後追い撮影です。
クモハ73 106 サハ78 454 モハ72 941 クハ79 939→国府津方
御殿場でも、松田~御殿場間でも、小田急の 3000系SSE車には会えませんでした。
調べてみると、御殿場11:18着の2713M下り「あさぎり2号」が11:52発の2714M上り「あさぎり2号」として折り返し、松田12:11発で小田急線方面へ去ってしまったあとなのでした。
13:43 クハ79 425 裾野で。
乗車中の637Mの最後部(国府津方)です。
窓回りのへこみから、なぜか たぬきを連想するこの顔つき、千葉や南武線でも多数派のクハ顔でした。ヘッドライトはこのような埋め込み型と上部屋根上への取り付け型がありました。
13:49 640M国府津行き 下土狩で クモハ73 014。
クモハ73 014 サハ78 453 サハ78 015 クモハ73 037→国府津方
13:56に沼津に到着。
北側の留置線には72系が止まっています。右側が三島方。
これは サハ78 030で、窓配置が等間隔ではありません。さらに、4ドアですが ドア間隔も中央が広く、左右が少し狭いのがわかります。改造車の証しといえます。
このほか、撮れてはいませんが、可部線色(ウグイス色)のクハ79が隠れた位置に1両見えました。たぶん転入したばかりなのでしょう。
Wikipediaの32系電車の記述によると、
サハ78022, 78023 :
=1944年にサロハ66形(旧サロ45形)を改造編入したもの。
サハ78024, 78027, 78030~78032, 78034 :
=1944年にサロ45形を改造編入したもの。上記のグループと同形。詳細は国鉄32系電車#サロ45形の通勤形化を参照とのこと。
最後に、1979(S54)年4月1日時点の沼津機関区の編成表(JRR編)を↓。
この記事でのようすは、この編成表の2年6か月前の状況となっており、編成内容が少し違います。当時は編成単位での管理ではありませんでした。
↑クハ66形・モハ62形は113系然とした旧型国電。旧型国電の足回りに113系と同じ車体を乗せた改造車です。
西富士宮で走行を見たことがありますが、113系が釣掛けモーター音で迫ってくるようで違和感ありありだし 摩訶不思議でした。