1127)旧型国電を訪ねる旅(4)大糸線穂高 碌山美術館とともに S49年(4) | 千葉の鉄道、そして Now & Then

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 1126) の続きです。

 有明から歩いて穂高駅近くまでやってきました。

 

 1974(S49)年12月26日 8:01 230M。

 信濃大町7:29→8:34松本

 221Mが大町22分折返しでやってきました。221Mは乗車していましたので ナンバーはわかっています。

 クハ55437・クモハ51025・サハ57400・クモハ60066+クハ55405・クモハ60022←信濃大町方

 碌山美術館の尖塔と道祖神の祠(ほこら)を配してみましたが、道祖神は角度的にはわかりにくい。

 

 230M 後追い

 クハ55 437 (長キマ)↑松本方

 クモハ51 025

 サハ57 400

 クモハ60 066

 クハ55 405

 クモハ60 022 ↑信濃大町方

 

  8:04 325M 松本7:22→9:45南小谷 

 クハ55 434 ほか 長キマ(北松本電車区)

 

 325M

 

 325M

 この後 30分以上も電車の往き来はありません。撮影はこのくらいにして、同行者もいることだし、碌山美術館を見学、としました。これでやっと撮影につきあわせてしまった借りを返せるような気がしました。

 

 明治期の安曇野(南安曇郡東穂高村)出身の彫刻家、荻原守衛(もりえ)(=荻原碌山)の美術館です。

 

 冬枯れの杜にたたずむ美術館。いい雰囲気です。

 

 早速うかがってみると・・・・なんと休館日でした。よくある 月曜休館というわけではなく、12月21日から月末まで冬季休館となっていたのでした。事前情報不足でした(泣)。う~ん、これはまずい…。

 ネットなぞ無い頃、事前に確認するには 現地の連絡先(TEL番号など)を印刷物・本等で調べた上で直接電話で聞いてみるしかありませんで、月曜にでも当たらない限りそこまではしませんでした。

 

 穂高駅前のモニュメント「登頂」

 他に代表作としては「女」が有名だそうです。

 

 穂高駅舎

 当時の長野駅舎をミニチュア化したかのようなイメージ。あの懐かしい長野駅舎は長野新幹線開業に伴って解体されてしまいました。

 

 穂高8:38発の332M 南小谷6:59→9:09松本。

 165系ですが全区間完全各駅停車です。

 穂高駅、向かって右側に貨物側線があります。

 クハ165-80 (8号車)  ↑南小谷方

 モハ164-810

 クモハ165-62

 サハシ165-8

 サロ165-42

 サロ165-117

 モハ164-820

 クモハ165-73 (1号車) ↓松本方

 

 新宿23:20発の411M「アルプス7号」の折返しで、各停なのにサロ165が2両、サハシ165が1両付いた8連という豪華版。夜行「アルプス」も含めて サハシは連結されていても非営業。

 このころのサハシ営業列車は、昼行のアルプス4往復(165系ばかりで、該当車両が無い2往復のDCアルプスにはありません)、季節「たてしな」1往復、定期「かいじ」の1往復、合計6往復がありました。中央本線では「蕎麦」そば です。 

 後で思えば、この頃が急行ビュッフェの営業の最後の頃でした。たしか S50.3改正で急行のビュッフェは全てが営業を停止してしまったと思います。その後数年間は、休止状態のサハシ165は連結されたままで、混雑期の自由席だったり荷物置き場だったりしました。山男のザック置き場としては重宝されていたと思います。

 

 

 8:38 穂高 

 去ってゆく交換の227Mは 松本8:07→9:11信濃大町。

 クモハ60 114  ↑南小谷方

 クハ55 041

 クハ55 432

 クモハ51 030

 クハ55 436

 クモハ60 113  ↓松本方

 

 7:20に見た226Mの折返しです。ここでの下車客が結構多いようです。

 これは乗車中の332Mの最後部 クハ165-80の貫通ドアガラス越しに撮ったもの。

 向かって右側 暗い部分にワム貨車が止まっています。当時はこのように貨物取扱い駅が多かったし 側線が各所にありました。

 昔からあったこの側線が存在しているところに、「アルプス」の165系8連が後から乗り入れてきたからなのでしょう、分岐器部分のホームが少しだけへこませて建造(延長)されています。三島駅の伊豆箱根鉄道(東海道下りからの分岐)のような状態になっています。

 

 9:11 松本1番線へぶっとんで入線してきた165系。 

 502D改め 9502M「天竜1号」、長野県内各地と県都を結ぶ ビジネス志向が高い名門ローカル急行です。朝の逆方向では 中津川6:08発長野行き「きそ1号」との併結(DC、多分キハ57・58等)や、塩尻6:43発長野行き80系の「天竜1号」なんてのもありました。 

 9502M 長野8:00→10:23茅野+11:30飯田 

 辰野で飯田線編成を分割する、McM'Tc+McM'TcTc の7連です。

 クモハ165-113 ↑茅野方

 モハ164-843

 クハ165-74   ↓長野方

   +

 クモハ165-123 ↑辰野方

 モハ164-846

 クハ165-66

 クハ165-144  ↓長野・飯田方

 

 この時の旅行には5か月前の 「時刻表1974年7月号」を携行していました。そのときから時刻改正が無かったからなのですが、それによると「天竜1号」は502D、となっています。

 篠ノ井線の電化はこの前年なのですが、DCのまま生き残っていた502Dの乗車を楽しみにしていたら、なんと165系に置き換えられてしまっていました。

 これに乗って、次は飯田線を目指します。

 

  (以下、次号以降へ続きます)