僅差で決着した大阪都構想の投票方式に民主主義を問う
僅差で決着した大阪都構想は、出口調査によれば、老人の反対票が多くて否決されたという。これは「老害」だとも。
岐阜という田舎にいては大阪都構想なんて他所事であり、どうでもいいと思っていたから、詳しい構想は知らないが、なんとも腑に落ちない構想だ。
都は1箇所でいいのだから、大阪都というのはおかしなものだ。そもそも大阪府というのも変であり、大阪県であるべきだ。そして、大阪市は大きすぎるからいくつかの区に分けられているが、これを市にしてしまい、大阪市を無くせばスッキリし、そうすれば全部が解決するのではないか。東京都だってそうすればいい。名古屋も横浜も、それ以外の大都市も同じだ。最近の市町村合併で区を持つ都市が随分と増えたが、何でそんなことをしたのか。これらも元に戻したほうがいい。
まあ、こうした意見は田舎住まいで世間知らずの輩が言うことだから無視していただいていいが、民主主義における今の投票方式には、いつも疑問を抱いている。
老若男女1人1票という投票方式。これは正しい方法か。
全く間違っていると言わざるを得ない。そう考える小生である。
将来にわたってずっと続く制度を決めるのに、20歳の若者と、棺桶に片足突っ込んでいる年寄りが、同じ1票の権利を有するとはいかに、である。
このことは年金制度改革について特に思った。現行の年金制度では将来的に破綻することは何十年も前から分かっていたことであり、団塊世代の皆が年金受給する段になって明確な姿を現すこともはっきりしていた。これまで何ら制度改革に骨身を削ってこなかった団塊世代(小生はその真っ只中にいる)に大きな責任があり、今後の抜本的な年金制度改革の決定に当たっては、国民投票にかけ、食い逃げしようとしている団塊世代以上の年齢の者には投票権なし、とするのが民主主義ではないのか、小生にはそう思えてしかたがない。
今回の大阪都構想にしたって同様だ。もっとも、突如として浮上した構想だから、その賛否を問うに当たっては、権利均等でなければならない。
でも、老若男女1人1票という方式はだめだ。ここは平均余命で軽重をかけるべき性質のものであろう。20歳台なら青色投票用紙にして1票を6倍して6票とカウントする。50歳台なら黄色票で3票カウント、80歳以上の1票は1票のまま。
これが民主主義というものではなかろうか。
これに対して反論もあろう。年寄りは長年の経験が物を言い、自分を犠牲にして子供たちや孫たちのことを考え、よりよい将来を約束できる結果をもたらす投票行動に出るであろう、というものである。
これは、その昔の長老が取り仕切っていた時代のことであり、どの長老もそうした心構えの人たちばかりであったから、判断に狂いはなかったし、若者から尊敬されもした。
しかし、今の時代は違う。年寄りが尊敬されているかどうかを考えてみれば、はっきりと分かることだ。
ここに「老害」あり。老若男女1人1票方式は民主主義にあらず、だ。