小泉純一郎氏の脱原発発言で流れが変わってほしい | 永築當果のブログ

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ブログを8本も立て、“物書き”が本業にならないかと夢見ている還暦過ぎの青年。本業は薬屋稼業で、そのブログが2本、片手間に百姓をやり、そのブログが2本、論文で1本、その他アメブロなど3本。お読みいただければ幸いです。

 ここのところ、元首相小泉純一郎氏の脱原発発言が注目されている。

 小生は彼が好きだ。その評価は分かれており、確かに規制緩和で派遣労働者が増えて若者の身分保障が危ういものとなってきたのは彼の責任とも言える。しかし、彼でなくても派遣労働の規制緩和を止めることは誰にもできなかったことであったろう。

 彼を高く評価したいのは、道路公団の改革であり、郵政民営化である。可能な限り国営企業の類を民営化しないことには、財政の健全化は有り得ないのであり、ギリシャの二の舞になるのは必至だろう。

 特に、郵政民営化にあたっては「自民党をぶっ壊す」と大見得を切り、「殺されてもいい」と言い放ち、参院否決を衆院解散で信を問うという荒業でもって成し遂げた。この間に展開された「小泉劇場」のドラマは実に爽快であった。

 こうしたことから、小生は彼が好きになったのであるが、ここにきて、連日のように彼は脱原発発言を始めた。最近、財界との接触を積極的に行うようになり、フィンランドの核廃棄物処理施設を視察したりと、まだまだ隠居する意思はないという行動を取っておられる。
 そうした中でのこの発言は、原発再稼動の単なる牽制とか新エネルギー産業の利権に資するといった思惑とは全く違うのではなかろうか。

 郵政民営化は彼が昔から暖めていた自論であるのに対し、脱原発はにわか仕立ての論という大きな違いはあれど、脱原発は、きっと彼の類まれなる直感力から湧き出したことであろう。

 小生も直感は大事にしている。経験を積み重ねた中から湧いてきた直感というものは、実に的を得ているということが多いからである。

 今後、元首相という肩書きでもって小泉純一郎氏がどのように行動し、日本がどのように変わっていくか、願わくば「第2小泉劇場」とまでは言わないまでも本腰を入れて頑張ってもらいたいものだ。