福島第1原発の放射能汚染水は、間に合わせのタンクに溜め続けられ、それがいたるところで漏水するし、昨年秋には稼動するはずだった汚染水処理装置が1年遅れで9月27日にやっと試運転を開始するも翌日に初歩的ミスで運転停止し、今日また「工程異常」のサインが出て停止した。それも3基にうち何とか動き始めているのは1基だけ。
これでは正しくトイレのないマンション状態がいつまでも続くのであって、中世のフランス・パリのごとく、糞尿はマンションの窓から外へ捨てていた例によるしかないであろう。ハイヒールが登場したもの、それが原因でパリ発祥と聞く。
さて、どうにも溜められなくなった放射能汚染水をどうしたら良いかと言えば、これもまたフランスの例に倣うしかなかろう。
英仏海峡に臨むフランスの原発では、放射能汚染水を海中投入しているのである。その濃度は不詳だが、これは事実だ。
このことについては、2011.5.7「原発の放射能汚染水の処理」と題して小生の見解を述べるとともに、NHKBSで放映されたフランステレビ局の報道番組の内容を一部紹介したところである。
放射性物質の“船舶からの”海洋投棄は国際条約で禁止され、これはフランスもしっかり守っている。しかし、“陸上から伸ばしたパイプによる”海洋投棄までは条約では禁止していないというのがフランスの見解だ。
そのパイプはたしか2km程度のものであったと記憶している。
このフランス方式を福島第1原発の放射能汚染水処理にどうして採用しないのか。福島の場合はパイプは2kmでは短すぎ、日本海溝に届くぐらいに長くすれば、高濃度の汚染水であっても全く問題なかろうというもの。
海は巨大な“ドブ”である。海というものは、地球という“生き物”がその体内から吐き出した“うみ(膿)”という排泄物が溜まりに溜まったところのドブ以外の何物でもないのである。これは食生態学者・西丸震哉氏の言葉である。
これも、2011.5.7の記事で書いた。我々は、もう少し“母なる海”に甘えてもいいのではなかろうか。十分に包容力があるのではなかろうか。別の言葉に置き換えれば、海はその程度の環境負荷には十分に耐えられるのではなかろうか。
これは、かなりの暴論であると自分でも思うのだが、検討してみる価値は十分にあるのではないでしょうか。