小野田寛郎さんを知っていますか | nagarenotokiのブログ

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四季折々、自然の姿に感じること


平成26年1月16日 
特異な運命を生きた 1人の日本人が
静かにその生涯に 幕を下ろした

その人の名は 小野田寛郎

 


第二次世界大戦が終わっても
残置諜者としての 任務を全うするために
30年もの歳月を ルバング島のジャングルで
必死に生きて来た
上官からの任務解除命令を受けて
やっと 彼の30年戦争は終わった

小野田さんが 初めてテレビに映された時の映像を
少女だった私は おぼろげながら覚えている
まるで 戦争のさなかから
タイムスリップして来たかのような いでたち 風貌
彼のまなざしには 戦争に翻弄され続けた
凄まじい年月が滲んでいた
人生の中の 30年の大きさ
それは 日本のために捧げられた
かけがえのない時間だった

小野田さんは それから1年後
ブラジルに渡り 牧畜の仕事に就いた
広大な原野を 昼夜を徹して開拓し
1800頭の牛を放牧
最初の8年間はその牧場からは無収入
お金がなくなると 近くの牧場で働き
日銭を得て暮らした
そんな暮らしの中で 小野田さんは伴侶を得る
町枝夫人の 愛と支えが
その先どれほど 小野田さんを助けた事だろう
厳しい労苦の中でも 彼は幸せな日々を送ったに違いない

ブラジルでの生活が やっと安定する頃
日本は豊かさを極めていたが
高校生が 金属バットで
両親を殺害するという 事件が起きた 
その事件に 心を痛めた小野田さんは
意を決して 多額の私財を投入して 
小野田自然塾を設立 

 
  
自らのサバイバル体験を教え 
たくましい心を持った 健全な青少年の育成に努めた
そのキャンプには2万人の青少年が参加したという
人生の終わりは 日本の未来のために身を捧げた

その頃 小野田さんのおもざしは
随分柔らかくなって 思想家のごとく
饒舌に持論を語りながら 茶目っ気のある笑顔を
よく見せた
しかし ずっと変わらないものがある
歳を経ても ピンと真っ直ぐな背中
そして 真の愛国者として
日本の未来を憂え続けた事

 

小野田寛郎
不撓不屈の精神力で 日本のために
精一杯尽くして 力の限り生き抜いた
こんな日本人がいた事を
私は心に刻んでおきたい


1度載せた記事ですが、小野田寛郎さんの事を
自分の中で風化させたくない思いで、
再び掲載したいと思います。
小野田さんが亡くなって、早や2年。
彼は真剣に日本の未来を
考えてくださった人だと思います。
あの世で小野田さんは何を思われているのでしょう。