ここから、三木城の南西部にある四つの付城をご案内……、する予定だったのですが。下書きをしていて分かったのですが、どうも分量が多くなりそうなので、この四城に関しては別の機会に譲ろうと思います。ほら、前回の"次回の予定"でも『三月末の歴史ウォークが降雨中止じゃなければ三木城付城群を』としか書いてない、即ち「歴史ウォークで行った付城群を」とは言ってないやないですか(詭弁)。
という訳で、三木城の南に設けられた付城を見ていきます。一つ目は、八幡谷ノ上明石道付城です。現在の三木山森林公園(リンク)の西辺縁の尾根上に位置する、南北に細長い付城です。福原右馬助長尭(ながたか)や間島兵衛尉氏勝が入城しました。前者は後に三木城代や佐和山城主・石田治部少輔三成の妹婿となる人物です。間島氏は元々別所氏の同盟者です。一説には、父・同名兵衛尉氏常は別所氏に味方し、子の兵衛尉氏勝は織田軍に名を連ねたとか。
-参考:佐和山城-
それでは、実際の城を見ていきましょう。この城は三つの区画に分かれる一城別郭型の構造で、北から曲輪A、曲輪間の尾根、曲輪B、曲輪間の尾根、曲輪Cと並んでいます。この内、曲輪AとBとが中心部で、残りは兵隊の駐屯部であったと考えられています。現在は公園のハイキングコースとなっており、遺構は殆ど分かりません。曲輪AとBとには土塁の様なものが見られること、斜面が急であることが城っぽいだけですね。
-曲輪A内景-
-同土塁(順に東西)-
-同西側斜面-
-曲輪B-
-同西側土塁-
-同西側斜面-
-曲輪C-
続いて、三谷ノ上付城です。「三谷」の読みは「みだに」です。同じく、現在の三木山森林公園のBBQ広場に位置する、東西に広い付城です。賀須谷内膳なる人物が入城しました。それでは、実際の城を見ていきましょう。先ずは概略図から。
-概略図-
後世の改変を受けていますが、所々に遺構が残っています。曲輪Ⅰが主郭で、谷に面していない北側に土塁が設けられています。北西側には虎口が開いていたようです。
-曲輪Ⅰ内景-
-同北部土塁-
-同南部・谷-
曲輪ⅠとⅡとは、土塁で狭められた虎口で連結しています。
-虎口-
曲輪Ⅱは逆L字形の広い曲輪で、兵隊の駐屯地です。東辺縁には尾根を断ち切る高さ30cmほどの土塁が設置されています。非常に分かりにくいのですが、BBQ広場の管理人の方に教えて頂きました。管理人さん、ありがとうございました!
-曲輪Ⅱ内景-
-土塁-
土塁、写真じゃ分からないですね(苦笑)。生で見たら、まだましです。
きりが良いので一旦ここまで。南部の付城はまだありますので、次頁でご案内します。閲覧ありがとうございました。