意味のないものに、価値はある
この春から入塾した小学1年生。
ご家族も出来る限り送迎を心掛けていらっしゃるようですが、早くから自立して1人で自転車で塾に通ってきます。
誰も何も言ってませんが、彼のお稽古準備や片付けはいつもタイマーで時間を測ります。より早くなることを目指しつつ準備にかかった時間の増減を楽しんでいます。
時には早めに塾に来てお稽古の前に塾の知育玩具で遊びます。お稽古後も大抵の彼は塾の知育玩具で遊んで帰ります。
また、4分・10分・20分・30分・・・・・・・と塾内にあるタイマーとお稽古準備お知らせカードが並んでいるのを見つけては、
「これなあに?」
「なんでこんな順番にカードが並んでるん?」
と、聞いてきます。
カレンダーを見れば「いつこんな予定がある」とお話してくれます。「今日は何日だったっけ?」などと、みんながよく言う質問はしません。
今日はいつで、何日にこんな予定がある・・・・・・・自分自身のスケジュールをよく理解しています。
そんな彼は、現在九九お稽古に格闘中です。お稽古終了後、残りわずかとなった「まだ覚えていない九九カードの束」を見つけて、
「これ知らない」
「これ知ってる」
「これは、︎︎やったんかあ」
と、カードをめくって、九九完全習得が近いことを、しみじみ実感していたりします。
興味関心は幅広く楽しむ事に長けている彼。
お稽古では、時に眠そうにしつつも理解力もあり、いいお稽古ができています。
彼の日常を見て、勉強ができるとか、そろばんができるとか、そんな事を目指す前に、本来子供があるべき真の姿だと、つくづく思えてなりませんでした。
子どもが小さいうちは、安心安全のため等と何かと親が世話を焼くものですが、
日々子供は成長しています。
親の側も世話を焼くその手を少しずつ無くしていくべきでしょうが、そのタイミングをうっかり気付かないまま過ごしてしまいがちかと思います。
“自分で決める”
いつも保護の元にあると、そんな機会も数少なくなってしまいます。
少しずつ、自立に向かう道筋を用意してあげることは、生きる力を育てるためには、必要不可欠です。
親の側にも、少しずつ子供の意思を尊重しつつ、その保護の手を離していく覚悟が必要でしょう。
そういうところへの理解の高さと、子供の学力は、きっと相関関係があるのだと思います。
『自分で︎︎』という主体性ある日常が、能動性を育て、より質の高い取り組みへと繋がっていくーーー
体と心を育み、身体機能や学習能力、社会性を高めていくのではないでしょうか。
『あなたは我が子を信用していますか?そもそも信じるという感覚を知っていますか?』