まず自分を満たせ。話はそれからだ。<感謝について> | 仙莉のブログ

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神社や前世、土地神様やご眷属さんたちとの
ちょい不思議なお話とか、
毎週更新のOSHO禅タロットをメインに書いてます。
(以前は魂の視点やカウンセリングの話も書いてました。)

 

 

私は長いこと、

「ありがとう」が言えなかった。

 

 

いや、正確には

『言葉としては』言っていたけど

心底「ありがたい」と思って

言ってはいなかったし

 

できれば言いたくもなかった。

 

 

頭では『知っていた』んだよ。

 

感謝することは大事だということも、

ありがとうと言うのも言われるのも

気持ちいいことも。

 

けれど、昔の私は

 

『あんた、やってもらったのに

ありがとうは?

ホントに性格悪いね

(躾がなってないね)!』

と、父方親族に言われ続けて

育ったのもあって、

 

「ええ、どうせ性格悪いですよ」

と、ヒネて物事を見ていた。

 

 

 

15年程前か。

仕事で、愛知県に出張していた時のこと。

 

宿泊先から、出張先の会社へ

自転車で出勤途中、

チェーンが外れてしまい、立ち往生。

 

半泣きで作業している私の脇を、

すぐそばにある大手工作機械メーカーの

社員達が何人も、

私をチラ見しながら、素通りしていく。

 

 

「無視かよ!冷てーな!」

「いいよもう、遅刻してでも行くから!」

開き直ったその時

 

『チェーン外れたんか?ちょっと貸してみ』

と、

ヘルメットを被った男性が声をかけてきて、

慣れた手つきでチェーンを直し始めた。

 

 

 

地獄で仏。

ありがたい。本当に有り難い。

 

 

 

しばらくして

『ほれ、直ったで。これで乗れるやろ。』

と、男性が立ち上がった。

 

慌てて、

「あのっ、助かりました、

ありがとうございました!」

大声で男性にお礼を述べると

 

『おー、気をつけてな!(^▽^)/』

と、こちらに笑顔を向けて

手を上げながら、工場に入っていった。

 

 

 

私がお礼を言ったのは、義務じゃない。

 

「時間使わせてしまって、ごめんなさい」

「直してくれてありがとう」と、

 

心の底から本気で思えて、

口から勝手に出たからだ。

 

 

 

残念ながら、この時の私は

すぐ、「ありがとうが言えない私」に

戻ってしまったけれど

 

二年前、

自分に向かって「ごめんなさい」「ありがとう」を言う行

をおこなって、

 

本当の意味で自己肯定が出来てから

ようやく、文字通りの感謝が

できるようになってきたと思う。

 

 

 


「感謝しましょう」と、

言葉でいうのは簡単だ。

 

 

だけれど、満たされていなければ

相手がしてくれる事、

相手が『ただ居てくれる』事にも

本当の意味では、有り難く思うことは

難しい。

 

敬意を表することも、ありがたみも、

頭でわかっているだけだから
表面的で薄っぺらになってしまう。
 
ホンモノには成り得ないから
いつまで経っても、『渇き』は消えない。
 
 
土台(自己肯定)ができていないのに、
応用(テクニック)なんか効くわけない。
 
自分自身の、この人生を使って
私はイヤってほど認識したよ。
 
 
だからこそ
自分を立て直したいと望むのなら
 
まずは、自分に向かって
「ごめんなさい」「ありがとう」と
何千回、何万回と
声掛けしてあげてほしい。
 
それが土台作りだ。
 
それやってれば、どこかのタイミングで
心の奥底から、『湧き上がって』くるから。
 
自分に対しての、ホンモノの自己肯定が。
 
話はそれからだよ。
 
 
 
 
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