自サツした友人を想って泣く人 | 仙莉のブログ

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神社や前世、土地神様やご眷属さんたちとの
ちょい不思議なお話とか、
毎週更新のOSHO禅タロットをメインに書いてます。
(以前は魂の視点やカウンセリングの話も書いてました。)

まだ、人間心理学のセミナーに
通っていた頃の話。

3年ほど前かな。



同じセミナーに参加していた、
C代さん(仮名)の友人で、
自サツした人がいた。

C代さんは、元々かなり繊細で
ひとつの事に思い悩む人で、


その自サツした友人のことも
忘れることもできずにいた。


「その友人のこと(自サツ)、
どう考えればいいのか
わからないんです」

「ただただ辛いだけで、
それ以外に捉え変えることが
できないんです」

「仙莉さんなら、どう捉えますか?」
泣きながら質問するC代さん。

 


私は彼女にこう答えた。


「ご友人は、タヒぬことで
『解放』されたんだよ」


「タヒを選ぶことで、
この辛く苦しい人生から
自分自身を解放させる」

「それが、自分から自分への
唯一最大の『愛』だと
ご友人は思っていたんじゃないか、

と、私は考えてる」

 

 

 

魂の視点。3次元の視点。

両方で回答は考えていた。


魂的に考えたなら、自サツはアウト。
この世(3次元)に、何をしに生まれてきたか
考えてみれば、その理由はわかるだろ?

過去世までの、自分のやり残した課題を
きちんとクリアする為だ。


それをリタイア(自サツ)したなら、
課題を勝手に放棄したとみなされる。


では、3次元の視点で考えた時、
残された人にとっては

『自サツ』をどう捉えるだろうか。

辛い。

悲しい。

寂しい。

悔しい。

気づいてあげられなかった、
何かできなかっただろうか、
あれこれ考え悩み、

自分を責めたかもしれない。

…たぶん、

C代さんはこうなんじゃないだろうか。


目の前で『今』苦しんでいる人に

必要なのは何だ?

 

魂の視点か?

大事なのは、
目の前の、彼女の苦しみを
和らげることだろう?

 

だから3次元の視点で答えた。

 

私の望みは、

C代さんが『解放』されること

だから。

 



私の回答を聞いたC代さん。


ご友人が楽になれたんだという
思考に切り替えられたんだろう。

苦しそうな表情だったのが、
少し口元が上向いた。



そう、単に視点のすり替えに過ぎない


『解放』が役立ち度合いで言ったら
10段階で3とか4かもしれない。

 

それでも、
自責の念よりは役に立つ。

 

現に、C代さんは自分を責めずに済んだ。

ご友人のことを、楽に想えるようになれた。

 

それでいいじゃん。

 

そこから先、また新しく思う事があるなら

それはその時また、考えればいい。

 

 

 

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