ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』人物事典30(19人目)

 

~イワン・カラマーゾフ(公判前日1)~

 

【イワン一覧】

 

~イワン・カラマーゾフ(序&1日目11時半)~

~イワン・カラマーゾフ(1日目17時~)~

~イワン・カラマーゾフ(2日目14時半~)~

~イワン・カラマーゾフ(大審問官)~

~イワン・カラマーゾフ(2日目の夕方以降)~

~イワン・カラマーゾフ(8日目)~

~イワン・カラマーゾフ(2週間後)~

~イワン・カラマーゾフ(公判前日1)~

~イワン・カラマーゾフ(公判前日2)~

~イワン・カラマーゾフ(公判前日3)~

~イワン・カラマーゾフ(公判当日以降)~

 

 公判の10日前(3週間後)

 イワンがドミートリーに脱走を持ちかけたことが、のちにあきらかになる。「おれに脱走を勧めるくせに、自分じゃ、このおれが殺したと信じてるんだから!」【⇒第11編:イワン4:賛歌と秘密】

 イワンは、スメルジャコフについてあれこれ考えることをやめてしまった。

 このころ、体調がすぐれず、モスクワから来た医師にも見てもらった。

 カテリーナとの関係も極度に悪化した。ドミートリーへと傾くカテリーナとの関係は、「たがいに愛し合う敵同士と言った感じの関係にあった」。

 

 公判前日(1か月後)

 イワン:「ひょっとしたら、今度こそあいつを殺すかもしれない」

 カテリーナは、ドミートリーの殺人を信じておらず、スメルジャコフのところへ行ったという。スメルジャコフが何を話したのか……恐ろしい怒りがめらめら燃え上がり、イワンはスメルジャコフの家に走り出した。《ひょっとしたら、今度こそあいつを殺すかもしれない》と思った。【⇒第11編:イワン7:二度目のスメルジャコフ訪問】

 スメルジャコフのところへ向かう途中、酔っ払った百姓が「ああ、イワンは都に行きました わたし、あの人あきらめます!」と歌い出した。二人が横並びになったとき、百姓がよろめいてイワンにぶつかって来た。イワンは狂暴に相手を弾き飛ばす。百姓は意識を失ってあおむけに倒れた。《こいつ凍死するな!》と思ったが、そのままスメルジャコフのところへ歩き出した。

 

 スメルジャコフとの最後の対決

 玄関口に出てきたマリアが、スメルジャコフの具合が悪く、正気とは思えない様子だと言う。「あの方とはどうか、あまり長くはお話しにならないでくださいませ……」。スメルジャコフと対面したイワンは、さっきカテリーナは来たのかと問う。「あなたにとってはどうでもいいことです。お帰りになってください」と言うが、イワンは食い下がる。「あなたのほうこそ、ご病気のようにお見受けしますが。げっそりおやせになって、顔色も悪うございます」「白目のところがすっかり黄色くおなりで。何か苦しまれているんでしょうか、ひどく?」と見下したように、にやりと言う。そして、「何をそう、心配ばかりなさってらっしゃるんです?」とたずねるスメルジャコフの表情には、嫌悪に近いものが浮かび、「賢いお方が、こんなコメディを演じたがるなんて、たいそうなもの好きですよ」と傲慢に言い放った。

 

 スメルジャコフ:「殺したのは、あなたですよ、あなたが主犯なんです」

 「家にお帰りなさい、殺したのは、あなたじゃありません」と言うので、イワンはアリョーシャの言葉を思い出してぎくりとする。「知ってるさ、おれじゃないって……」「知って、らっ、しゃる、んです、か?」「さあ、全部吐け、この毒虫、ぜんぶ吐くんだよ!」「それなら、申しますが、殺したのは、ほら、そこにいる、あなたですよ」。スメルジャコフは、「やっぱり、ぼくひとりに罪をおっかぶせる気なんでしょうか、面と向かって? 殺したのは、あなたですよ、あなたが主犯なんです。ぼくは、ただあなたの手足を務めただけにすぎません」。

 イワンが、「実行しただと? じゃあ、ほんとうにおまえが殺したのか?」と言うと、スメルジャコフは、今更ながら驚いた様子で、相手の顔をまじまじと見やり、イワンが真剣に驚いていることにショックを受けたようだった。「それじゃあ、ほんとうに、何もご存じかなったんで?」と、顔をゆがめてうさんくさそうにつぶやいた。

 

 イワン:「兄貴! 兄貴! 兄貴!」

 スメルジャコフは、白い長靴下のなかから何かを取り出そうとしている。イワンは、「狂ってる!」と叫んで、椅子から飛びのき、背中を壁にぶつけた。スメルジャコフは、三千ルーブルを取り出し、「さあ、お取りくださいまし」と言った。そして、「ほんとうに、ほんとうに今までご存じなかったんですか?」とたずねる。「いや、知らなかった。ずっとドミートリーのしわざだと思っていた。兄貴! 兄貴! ああ」と頭を抱える。震えるイワンに、スメルジャコフは、「あのころは、いつも大胆でいらしたのに。『すべては許されている』とかおっしゃって。なのに、今はもうすっかり怯えきって!」と不思議そうに口ごもる。

 

 スメルジャコフ:「あの方と、魂まで瓜二つでございます」

 フョードル殺しの真相を語るスメルジャコフ。なぜ封筒をやぶったのかとイワンが問うと、自分のように事情を知っている人間なら、わざわざ封を破らずとも間違いなくその中に金が入っているとわかるので、自分から疑いをそらすためにやったことだと言う。「おまえ、まさか、ほんとうに、そういうことを、あのとき、あの場で考えだしたわけじゃないだろう?」「すべて、前もって考えぬいておいたことです」「そうか……てことは、つまり、悪魔が自分から手助けしたってわけだ! いや、おまえはばかじゃない、おれが考えていたよりも、ずっと賢い……」。イワンが、いまお前を殺さずにいるのは、法廷で答えさせるためだと荒々しい口調で言うと、スメルジャコフは、「あなたはご病気です。」と同情的な口調で口にした。そして、「すべては許されている」「神がなければ善行もない」と主張していたイワンに導かれて、自分はこのような考えにたどり着いたが、今では、それは口先だけのざれごとだったとわかった。そして、あなたは、自分が不利になるような証言をするために、わざわざ法廷に立つようなことはないと言い切った(ミスリード)。

 

――あなたはとても賢いお方ですから。お金が大好きでいらっしゃる、それは存じております。名誉も愛しておられる、なにしろ、ひじょうにプライドの高いお方ですから。女性の美しさとなったら、もう大好きをこえておられる。でも、何といっても、安らかな満ち足りた生活がしたい、だれにも頭を下げたくない、――何といっても、それがあなたの本音でございます。法廷であんな恥をひっかぶり、自分の人生を台なしにする気なんて、なれるはずがありませんとも。けっきょくあなたは、お子さまのうちでいちばんフョードルさまに似てらっしゃるんです。あの方と、魂まで瓜二つでございます」

 

 スメルジャコフ:「なんにも、おできにならない。以前はあんなに大胆だったお方が!」

 「おまえはばかじゃないぜ」「昔は、おまえのことをてっきりばかと思っていたが。いまのおまえはまともだ!」「ぼくをばかだと思ってらしたのは、あなたが傲慢だからです」。イワンは、法廷で見せてやると言って、札束をポケットに入れる。「おれがおまえを殺さなかった理由はただひとつ、明日、おれにとっておまえが必要になるからだ」と言うと、「殺したければ殺してください。いますぐに殺してください」「それも、おできにならない」と苦笑した。「なんにも、おできにならない。以前はあんなに大胆だったお方が!」。スメルジャコフは、最後にもう一度札束を見せてくださいと言って、十秒ほどしげしげと眺め、「さあ、帰ってください」と言った。「イワンさま!」「なんだい?」「さようなら!」。

 

――得体のしれない、歓びに似た何かが、いま彼の心に訪れて来た。彼はふと、自分のうちに何かしらかぎりない強さを感じた。この間たえず、恐ろしいほど自分を苦しめて来た迷いに、ようやく終止符が打たれたのだ! 決断はなされ、《もう変わることはない》――かれは、幸せな気持ちでそう考えた。

 

 さっきの百姓

 しかし、その瞬間、何かにつまずいた。さっきの百姓が、そのまま気を失っていたのだ。吹きすさぶ雪に、顔はほとんど埋もれかけていた。イワンは男を助け起こし、近くの家を叩いて、警察まで男を運ぶのを手伝わせた。百姓は無事に警察へ運び込まれた。明日のことで確固たる決断がくだせたことがうれしく、心に余裕があったのだ。

 自宅の前にたどりついて、今すぐ検事の家に出向かなくていいのかと自問自答したが、明日ひとまとめに解決しようと先送りしたとたん、「ほとんどすべての喜びと満足感が、一瞬のうちに消え去った」。そして、めまいがしてきた。「やがて、視線はじっと一点に吸い寄せられていった。イワンはにやりと笑った者の、その顔はたちまち怒りで赤く染まった」。【⇒第11編:イワン8:スメルジャコフとの、三度めの、最後の対面】