生命に優劣はない | 毛玉とか旅とか

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人生は毛玉とともに。

昨日、いつものように皆さまのブログを回っていたとき、大好きなモフモフ蝶さんの記事が頭から離れなくなりました。

 

私も色々な方から「うちの子が食べなかったから」などとしてフードを頂くことがあります。

それは単純な善意であると思いますし、ありがたく頂戴しています。

 

ただ、今回モフモフ蝶さんが頂いたフードは「自分の猫たちにはあげたくないから」というとんでもない理由でした。

他の猫ならどうなってもいいということ?

 

私が一番引っかかったのは、外猫さんがいるからという点。

これは私も言われたことがありますし、ボランティア仲間さんの口からも聞いたことがあります。

 

外猫さんは安いのでいい

食べられないよりマシ

 

あまりに腹立たしい!

今は私は外猫さんのお世話をしていませんが、以前は外猫さんこそ良いものをと思ってあげていました。

出来るだけちゃんとしたものを食べさせて、しっかりと栄養をとってほしいですし、病気を避けたかったから。

そして、危険なお外で暮らしているので、そのご飯がその子の最後の食事になるかもしれないから。

 

我が家のニャンズも元はお外で生きていました。

よもたんとなんてんくんより先にももちゃんと出会い、保護するために少しずつ仲良くなっていきました。

 

 

↑お外時代のももちゃん。

 

ももちゃんを保護しようとした矢先、よもたん、なんてんくん、ぼたんちゃん(よもたんとなんてんくんのママ)の存在が問題になり、先に緊急保護しました。

 

 

左:よもたん

右:なんてんくん

 

人間をまるで信用していませんでした。

そうしないと生きていかれなかったのでしょう。

猫は野生動物ではありません。

自分勝手な人間のせいで、お外での生活を余儀なくされただけなのです。

 

話は少しそれますが、私は保護出来た子については、一緒に暮らした期間がいかに短かろうと後悔はありません。

自己満足だと言われればそれまでですし、毎回お別れは本当に悲しくて寂しいですが、ちゃんとした暮らしをさせてあげられたから。

邪険にされ、愛される喜びを知らないまま終わった猫生ではないから。

 

いつも心にあるのは、保護出来なかった子への懺悔の思い。

事故にあったのか、悪い人間に出会ってしまったのか、ある日突然に来なくなった子たちは数多くいます。

本当は全員を室内に入れてあげたいのですが、物理的にそれが出来なく、ごめんねと謝り続けている中での理由の分からない別れ。

これは悔しくて悲しくてどうしようもありません。

 

だから、外猫さんには出来るだけ美味しいものを食べて欲しいという思いがあります。

どの子も等しく同じ生命です。

優劣などありません。

過酷なお外で必死に生きている子を見下すなんて許せません。

 

モフモフ蝶さん、本当に悔しかったですね。

私も同じ思いです。