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his death

政治学科の学生として
ニュースを受けて
最初に感じたこと・考えたことは
書きとめておかなきゃな、と思う。

まず、最初に死亡のニュースを聞いた時は
きっと何度となく流されてきた
死亡説に過ぎないんだろうと思ってた。
でも、そのニュースの前に
オバマ大統領が
”安全保障についての重大な発表”
がある、ということを提示してたし
何と言ってもこちらは日曜日の夜だし
(アメリカは週末をとっても大切にする国だと思う)
とりあえず大統領の声明・演説を待ってた。

そうして始まったオバマ大統領の演説。
彼はしきりに
ここでどんなに9・11の残忍さ、悲しみ
アルカイダ確保に尽力してきた数多くの死を述べたけど
その命は二度と戻って来ない。
忘れないし、心に留めておくと言っても
その命を失った家族の悲しみややるせなさは
誰にも計り知れない。

オバマ大統領は、
正義とか人道的な部分も
しきりに言ってたけど
ビン・ラディンに死をもたらすための
大義名分に聞こえなくもない。

そして、なんといっても
”身柄を拘束”ではダメだったのか、
というのがグルグルしてしまう。
だって、ここで殺してしまったら
結局何を考え何を思って
アルカイダという巨大組織を
動かしてきたのか、
何も分からないままなんじゃないかと思うから。
彼の死を受けて
たくさんの人が何かを感じ思いそして考える。
そこから生まれるものが
これ以上の憎しみであっては
いけないんじゃないかな。

9・11をはじめとするテロの数々を考えたら
ビン・ラディンの死は
筋道も道理も通ってるんだと思う。
でも、この長いテロとの戦いの中で
私が1番大切だと思っているのは
やっぱり”真実は何であるか”なんだよ。
どちらに正義があって
どちらが勝利を得るかなんて
どんなに戦っても分かるものではないんだもん。
どんなにキレイ事だと思われようと、
必要なことは
ビン・ラディン自らの口から
真実を引き出すことなんじゃなかったかな。

”テロとの戦い”と銘打っても
最高指導者の首を取っただけで
その長い戦争に終わりを告げられるとは
誰も思ってないと思うんだよね。
だったら、せめてここで
憎しみが憎しみを生む、
血で血を洗うような、
失われていく命を前に誰も成す術がないだけの連鎖は
終わりにできなかったかな、
終わろうとする努力をできなかったかな、
と思ってしまう。

最後に。
サウジアラビア人の友達がFacebookに
こうつぶやいてる。
”Goodbye Mother Fucker, Osama bin Ladin”
私は、彼がどんな気持ちでこの言葉をつぶやいたのか
本当に理解することができるだろうか?

ただの連絡事項

空港にお迎えに来てほしいアピールね(笑)

5月17日の朝にこちらを出て
18日の夕方に日本に着く便で帰ります。

いま最大の心配事は
単位が取れるかどうかでも
日本での生活がどうなるかでも
ここを離れることの寂しさでもなく、
増えた荷物をちゃんと持って帰れるかどうかです。

がんばれ私のスーツケース!

4月 始まり奏でるイントロ

久しぶりに成蹊のHP見て
履修登録のページ開けて
改めてびっくりした。
そうだ、私4女になったんだ。

まず、4女って響きがヤバい。
1女だった頃、
4女のおねーさまがたは
ひどく大人びてキレイに見えたのに。
4男もかっこよかったけど、
4女の方がなぜか
地に足が付いているように思えたのに。

10代の頃は、
20代にあこがれる気持ちと
一生10代のままがいいと思う気持ち、
どっちも混在してたけど。
いざ20代になってみても
やっぱりまだ10代のままがいいと思ってしまう私。
大人へのイントロは
もうとっくに流れているのに。

前期は丸ごと休学するから
成蹊の時間割なんて見ても
しょーがないんだけど、
妙に浮きたつ晴れの天気と強い風の景色しか
思いだせない4月の成蹊の学内を
頭の片隅に浮かべながら
毎年みんなではしゃぎながら
履修を組んでたことを思い出した。

こみこみの図書館のパソコン。
新歓のチラシとトラコン。
混んでる学食と教室。
行きのバスもだね。
自分に一番身近な景色たちだったのに
今は感傷に浸れちゃう私。
あと1カ月で
また当たり前が変わるんだ。
当たり前があった場所に戻るんだ。
ここでの日々が非日常になっていくんだ。

寂しいのかなー。
嬉しいのかなー。
想像できないっていうのが
1番大きいかなー。
就活と地震を、日本にいて乗り越えてる友達は
ぐっと大人びた表情をしてるんだろうな。
覚悟決めて帰らないと
毎日に流されちゃいそう。
就活する覚悟はしたつもりなんだけど
日本帰ったら甘えちゃいそうで怖い。

あと、日本女子が怖い(笑)
適当な格好してるアメリカ人に見慣れると
日本女子の女子力って
やっぱりスゴイ、って思う。
まぁ、ここにいても
オシャレする意味あんまりないからね(苦笑)
でもでも、NYにいた時だって
みんな言うほどファッショナブルじゃなかったし。
都会だから、とは限らないんだよ。

書いてる内容、支離滅裂になっちゃったけど。
とりあえず、就活することに決めた、
っていうのが大きな報告。
私がアメリカにいて考え付いたこと、
それが世間でどのくらい通用するのか
力試しの時が来る、ってことだね。
というか、アメリカにいる時に
ずっと考え迷ってた答えを
導き出しただけで、
根幹ができたのは高校生の時だと思う。

”夢”って言ったら違うんだけど。
私が人生のテーマに掲げたいこと、
それをお仕事にしたいと思った。
私の中ではもう、”夢”には破れていて(苦笑)
今は後悔してないし、その夢を捨てたことで
知れたこと・見れたものもたくさんあるし。
でも、その”夢”に近い場所で
お仕事ができたらやっぱり幸せだと思った。
この考えがどこまで通用するかは
わかんないけど。
何しろ就活超初心者だし(泣)
でもホント、力試しと思って。
最初に”夢”を捨てたのは
お金とか覚悟とか勇気とかが
信念を負かしたからで。
今は、揺るがない信念と
私にもちょうどいいサイズの覚悟が
同じラインに立ててる。
だから、”夢”のリベンジ。

”夢”は夢のまま、
叶えることはできなくても
見続けることはできるもんね。
私の中で”夢”は憧れだから。
一生、何歳になっても
目を輝かせられるものだから。
手に入れたい、でも入らないモノ、で
いいんじゃないかなー。
なんか他人事のようだけど(笑)
だからだから、人に”夢”を見せられる
そのお手伝いをする、って決めたの。
でも、たとえ力試しに敗れても
そこで悔しい思いをしても
信念、というか考えの軸は絶対にブラさない、
それだけは自分に約束したい。
軸がブレないのが、1番カッコいいんだ、
ダンスにおいても。