2020年2月、癌に抗い続けた、なるさんが
旅立ちました。52歳でした。
なるさん(主人)
私 パート
たろう(息子)当時高校3年生
ことり(娘) 当時小学5年生
「健康診断、再検査」〜「突然感じた重み」は、なるさんと家族の闘病記です。
それ以降は、死別後の事を綴っています。
お読み頂けたら、嬉しいです。
通夜の日の夕方、なるさんの職場の方々が次々と会場へ来て下さった。
なるさんは、仕事や職場の話をよくしていたので、私も周りの方の名前は、大体知っていた。
そして、職場では、家庭の話しを、よくしていたようで
「奥さんやご家族の、お話は、よく、伺っていました。うちのかみさんは、面白いんだよーって、いつも言っていたので、お会いしたかったのですが、まさか、こんな風にとは…。」
と話された。
なるさん、一体どんな話しをしていたの
子供たちにも、会社でのなるさんの仕事ぶりや人柄などを話してくれ、
「君たちのお父さんは、スゴイんだよ。会社の人たちもお客さんも、みんな頼りにしていたし、みんな大好きなんだ。だから、おじさんたちも、とても悲しいよ」
と言ってくれ、ことりは
「お父さんってスゴイんだね」
と喜んでいた。
職場の方々に会社関係の受付、なるさんと私のいとこに親戚の受付をお願いし、いよいよ、通夜が始まった。
(職場の方には、仕事関係の方から贈られた大量の花を飾る場所や弔電を紹介する順番も教えて頂き、とても助かった。)
神主さんが祝詞をあげ、玉串奉奠。
次々と参列者の方が玉串を供えて下さり、あっという間に机に玉串の山が…
それを係の方が回収し、再び、後ろの方へ玉串を渡す。
一体、それを何度、繰り返した事だろう。
一向に途切れぬ、参列者の方々。
後で聞いたのだが、参列者の列は外まで続き、雨が降っていた為、屋根付きの駐車場の車をどかして、ストーブを出し、臨時の待合所まで作ったそう。
予想を遥かに超えた参列者の数に、葬儀屋さんは、料理やお返しを追加したり、部屋を増やしたりと、てんてこ舞いだったそうだ。
こんなにたくさんの方々が、お別れに来てくれるなんて、本当にありがたい。
なるさん、見てる?
皆さん、なるさんとのお別れを惜しんでくれているよ。
たくさんの方々の心の中に、なるさんはいるんだね。
やっぱり、なるさんはスゴイ。
葬儀屋さんが提案して下さった写真などを飾った、思い出コーナー。
みなさんに見て頂き、それぞれの色々な思い出を話してくださった。
また、私たち家族の歩みも見て頂けた。
皆さん、ありがとうございました。