こんにちは、永田です。
2001年3月21日、新社会人としての一歩を歩み始めました。
その日は晴天で温かく、コートも必要ない日でした。
春も近しい穏やかな日♪
前回の記事(【生い立ち】専門学校生時代)にあるように、
自立して生きていくために、やってやるぞ!と
気合いが入っていました (*>ω<*)テレルー
入社したのは、2000年に設立されたばかりのベンチャー企業。
(多くの取引先から委託を受けて業務を行うコールセンターです)
その会社の第一期新卒社員として入社しました。
気合いとやる気に満ち溢れていましたから、
入社式の新卒者代表挨拶を自ら立候補しました。
私が最初に行った仕事は、電話帳を利用し、ある通信サービスを
販売する電話営業です。
思うように獲得はできませんでしたが、とにかく必死でした。
2ヶ月後くらいになると、
あるプロバイダのテクニカルサポート業務を受託したということで、
恐らくはPC操作がある程度できる、という理由で
その業務に就くことになりました。
会社が大きくなるか否かの大きなプロジェクトで、
私だけではなく、みんな必死に頑張りました。
最初に苦労したのは、日本語をきちんと話せないということでした。
私は生粋の日本人ですが・・・
敬語というものを理解しておらず、
「尊敬語」
「謙譲語」
「丁寧語」
「はっ?何それ?」というレベルでした。
受託した企業に直接研修を1ヶ月程度受けに行ったのですが、
講師の方からは、
「あなたは業務知識より、日本語をまずは学びなさい」
と、多少キレ気味に言われた記憶があります。
この一言はとても心に響きました。
「これじゃいかん」!と敬語の使い方を理解するために、
本を購入し、業務知識と平行して勉強していました。
役職者になってからは、同じ境遇のスタッフのために
「敬語マニュアル」を作成した記憶があり、一生懸命でした
余談ですが・・・
コールセンター業務の経験が長かったので、
言葉遣いや話し方については、少し敏感です。
プライベートでコールセンターに電話すると
オペレータさんの言葉遣いや声のトーン、
相手のマイナス感情まで分かってしまいます。
対面だと顔の表情で、誰でもある程度の心情を理解できますよね。
電話でも相手の「声色」や「間」でそのオペレータさんの感情は、
分かる人には丸わかりです。
なので、私も職業柄普通の人よりもついイライラしてしまうことが多いです。
我慢しますけどね。
この会社は、
「素直」
「謙虚」
「感謝」
を人としてのベース(土台)とし、
人材=人は材料
ではなく
人財=人は財産
という考えのある会社でした。
挨拶はきっちり行っていましたし、
業務開始前の周知の際は、いちいち「はい!」と返事をすることが必須。
※今思うと笑える
「一般的」な会社ではありませんでしたが、
私としては、それが社会人として当たり前だと思っていましたし、
最初がこの会社で本当に良かったと今は思っています。
人としての基礎を沢山学ばせてもらいました。
結局、この仕事はとんとん拍子に売上があがり、
1フロアで150名以上在籍するセンターに成長しました。
私はこの会社に在籍していた5年半のうち、
5年間はこのセンターで業務をしていました。
入社して半年後には役職が付き、
2002年の10月にはスーパーバイザーという役職になりました。
恐らくは数千人以上の顧客と対応し、
様々なクレーム対応もこなし、
オペレータさんの質疑応答や上席対応、
オペレーターさんのシフト作成・管理、
各種マニュアル作成、
取引先に提出する報告書作成・報告会での発表など、
一通りのセンター運用を経験することができました。
またまた余談ですが・・・
妻とは2002年にこの会社で出会いました。
私が上司という関係性です。
当時私は22歳、妻は26歳、
お互いにギラギラしていました(笑)
奥様、若い!!
私はギラギラしすぎて、目がどこかにいってます!
この時は、結婚するとは夢にも思いませんでしたが・・・
生活も安定し、センター運営自体は軌道に乗っていましたが、
ある一件でセンター存続に関わるトラブルが発生し、
上司からは、全て私の責任かのように言われました。(当時の私の主観です)
そして、自分自身のことでふと気付いたことがありました。
・人から頼まれごとがあると、全て受け止めてしまう自分
→何とかできてしまうし、「使えない奴」と思われたくない
・だから抱えている業務量が普通じゃない自分
→でも、何とか時間を作ってそれなりのものができてしまう
・周りからは頼りになる人間に見える自分
→何でもやってくれますから、実は都合よく使われていた?
これで完全に心が折れました。
もうやってられないな、という気持ちになり、
その日以降は、残業など一切せず、定時で帰宅する毎日。
死んだ魚のような眼で最低限の仕事をしていました。
今思うと全部、自分が招いたことだったのですが、
全て人のせい、環境のせいにしていました。
そうすることでしか自分を維持できなかったですし、
それが一番楽に自分を納得させることのできる手段だったからです。
結果的にそのセンターを離れることになり、
大阪支社で新しいセンターを立ち上げるため、
環境を変えて、センターを軌道に乗せてほしいとのことで
半年間だけですが、大阪に長期出張をして立ち上げ業務に関わりました。
半年後、札幌に戻りすぐに退職をしました。
社長を始め、未熟な私を可愛がってくれて、本当にお世話になりました。
最後まで引き止めてくれたこと、今でも感謝しています。
そして、学ばせてもらったことは一生の宝だと思っています。
次回は、初めての転職について書きます。
~1年後の自分へ~
そろそろ健康診断に行こう。
大嫌いでトラウマになっていた採血。
絶対に倒れないから大丈夫!!