こんにちは、永田です。
今回は専門学校生時代について書いていきます。
そもそも専門学校に行った理由なのですが・・・
高校は商業高校でしたから、
簿記やワープロなどの資格をいくつか取りました。
そのまま就職するのもよいかな、とは思いましたが、
もっといろいろな資格を取得したい!!
という将来を見据えた素晴らしい理由・・・
ではなくて(笑)
もう少し遊びたいな~
という理由が大部分を占め、専門学校に進学しました。
進学が決まり高校の卒業時期に、
コンビニで夜勤(週2日)のアルバイトを始めました。
札幌の専門学校に三笠市から通う毎日。
親戚から譲り受けた車で岩見沢まで行き、
JRと地下鉄を利用し通学していましたね。
夜勤明けは寝ないで学校に行き、
通学中と授業中に睡眠をとる毎日でした(笑)
勉強は商業系で比較的好きなことでしたので、
それなりに楽しく学べたと思います。
専門学校では、情報処理や販売士、
CGの勉強をし、結構な資格も取りました。
学費は無利子の奨学金制度を利用し、
2016年に全額返済が完了した次第です。
当時はお付き合いしていた方がおり、
その方の家に入り浸っていました。
在学中の2年間は自宅には夜中に帰宅するような生活をしており、
帰宅すると親は寝ていますから、あまり会話をした記憶がありません。
でも、後から知ったのですが、
母は毎日毎日私の夕食を準備してくれていました。
いつ帰ってきても良いように。
でも、準備してくれた食事を一度も食べた記憶はありません。
今は、本当に申し訳ない気持ちがありますし、
親の「無償の愛」って凄いな、と感じています。
2年生になると、就職活動を始める訳ですが、
当時は就職氷河期と言われ、
内定をもらうのがとても厳しい時代でした。
何社回ったか分からないくらい、面接に行きましたね。
学校に届く求人も多くなく、
自分で求人誌でも探しながら、
卒業2ヶ月前にようやく就職先が決まりました。
この時は本当に嬉しかった・・・
というのも、
専門学校を卒業したら、
一刻も早く実家を出たい、
と思っていましたので。
身近な都会=「札幌」に住みたいという憧れ、
自分で生活の基盤を作るんだ!という意思、
父親とはもう生活したくない、
このままだと、父親を○○してしまうかもしれない、
という気持ちが強くありました。
そして、家賃36,000円のアパートに引っ越すことになりました。
やっと実家から出られた~という達成感と、
これから社会人としてがっつり頑張るぞ!!という
やる気に満ち溢れた20歳の春でした。
専門学校生時代はこんな感じで生活していました。
自分の力で生活していかなければなりませんでしたから、
社会人になるということへの向上心や、
何でも良いから、一番をとってやるぞ!!
という気持ちは純粋に強くあったと思います。
ここまで、学生時代までを書いてきました。
次回からは、サラリーマンになってからと
なぜサラリーマンを卒業することに決めたのか・・・
お伝えします。
~1年後の自分へ~
今の仕事、
楽しくてやりがいがあるでしょう?
翔映に胸を張って、
父親としての後ろ姿を見せていこうね!