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こんにちは マダムサトコです。 本日は ”聖書の時代にすでに超高齢出産、 しかも 双子、 しかも 初産、という 難産。 この難産は何を意味しているのか”というお話です。

 

本日は 創世記 25章20節から読んでいきましょう。

イサクが、パダン アラムのアラム人 ベト エルの娘で、アラム人 ラバンの妹である リベカ を妻にめとった時は、40歳であった。

 

 

このベトエルやラバンというもの 家系図 はこちらですね

 

 

その当時の女性の結婚適齢期というのはま あ10代後半から20代前半ぐらいまででしたので、まあ 18歳ぐらいだったとするとリベカとイサクというのはその当時の親子ぐらい年齢が離れていたということですね。

 

またイサクがなぜこの年まで独身であったか。 それは 聖書には書いてないんですけれども、 イサクの母親である サラがイサクが37歳の時に死んだというのは

 

 

このサラがこの世を去った時の 聖書の記述からイサクの年齢が計算できるわけですけれども、 90歳にして生まれた 実の子供をそりゃもう本当に目に入れても痛くないぐらい可愛がってたでしょうね。

 

 

 

 

そう思うと イサクというのは 今の言葉で言う "超 マザコンだった"ということが推測されます。

 

イサク 自身も お母さんのように甘えられる女性が好きだったでしょうし、 「イサクをどこの馬の骨かわからないような女にやりたくないわ」 という思いがあったと思います。

 

まあ 今の言葉で言う子供部屋おじさんみたいなもんなんですかね。 そして37歳の時にサラが死んで40歳で結婚するまで3年間の間、 喪に服していたのか、そういう習慣が当時あったかどうか分かりません けれども、 もしかしたらサラの喪が明けたので 「そろそろ イサクにも嫁を」 ということで アブラハムが腰を上げたのかもしれませんね。

 

21節 イサクは自分の妻のために主に祈願した。彼女が不妊の女であったからである。主は 彼の祈りに答えられた。 それで 妻 リベカ は 身ごもった。

 

 

アブラハムの妻である サラと同じように、 

 

 

イサクの妻 リベカ もまた 不妊の女でありました。

 

 聖書には この”子供ができない” ということに対して 「祈ってみよう、 信仰を持ってみよう」というような 促しを設定しているなあと私は思います。

 

まあ 現在のように 食事 事情がいいとか足らない栄養素は何か タブレットでとるとかそういう時代ではありませんから、 という人間の肉体的な理由ももちろんあったと思います。 

 

またアブラハムと違うのは、 イサクとリベカ というのは 親子ほど(当時のですけどね )年齢が違っており、 リベカ が夫をコテンパンに言い負かす というような イサク が妻にだけ ED 

 

 

 

 

になるような要素はここから見られませんね。

 

自分の妻のために主に祈願したとありますので、 「肉体的な行動はそれなりにしてるのに、どうしても子供ができない」ということだったんでしょうね。 

 

しかし 祈ったらそれで彼の妻 リベカ は 身ごもったとありますので、 まあ 聖書の語る 「信じて祈る、 すでに得たものとして 祈りなさい」 ということがすでにここにも現れているということですね。

 

22節 子供たちは彼女の腹の中でぶつかり合うようになった時、 彼女は、「こんなことでは、一体どうなるのでしょう。 私は」と言った。 そして 主の御心を求めに行った。

 

 

ここで ”子供達が”と 複数形で書いてあるので双子であるということはわかっていたんでしょうね。 そしてぶつかり合うようになった時というのはその双子がお腹の中で喧嘩をしているというような感じを持ったんじゃないでしょうか。

 

これはあんまり 伏線回収とはならないかもしれません けれども、 この箇所の前段階で イシュマエルの兄弟たちが お互い争う

 

 

人類の最も身近で最も醜い争いが兄弟喧嘩である、というようなことも ここで表しているかもしれませんね。

 

そしてその自分の変化に怖くなったのか、 主の御心を求めに行ったとあります。 一説によれば リベカは結婚して20年間 不妊であったということなので、18歳ぐらいで結婚して38歳ぐらいで出産する。 当時からしたら超高齢出産であり、 しかも 初産 しかも 現在ほど 医療が発達しているわけではないですから、 それはまあ 肉体的な負担というのは非常に大きかったと思います。

 

本日は ”聖書の時代にすでに超高齢出産、 しかも 双子 しかも初産という 難産は何を意味しているのか”というお話です。

 

今日はリベカ が非常に難産を抱えるシーン とも言えますね。 これは 今の私たちでもよく言いますね 「案ずるより産むが易し」 とか「多くの難産を超えて成功した」とか様々な苦労は出産に例えられることが多いんですけれども、 

 

アブラハム イサク と来てその後の子孫がこれから 大いに発展する。 その子孫を生む”難産”をここで表していると私は思っています。

 

つまり これからのこのアブラハムの民族、 いわゆるユダヤ人 という人たちなんですけれども、 彼らの繁栄はこのリベカの三重苦の難産を乗り越えて起こるものであり、

 

またその南山を乗り越えることが 神様の約束であり、 それによって 民族が長年 繁栄していくということですね。

 

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それでは今日はここまでです。 ご視聴 誠にありがとうございました。

 

 

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