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こんにちはマダムサトコです。本日は 創世記17章15節から読んでいきましょう。

 

15 また、神はアブラハムに仰せられた。 「あなたの妻 サライのことだが 、その名を サライ と呼んではならない。 その名は サラとなるからだ。 

 

 

この改名ですけれども、 サライというのは”私の女王” という意味で、 サラというのは”女王”という意味だそうです。 この”私の”がつくかつかないかで 意味は大きく変わりますね。” 私の女王”だと全くもって人間が個人的に自分の子供につけた キラキラネーム みたいなもんですね。

なぜ個人の所有物のような名前から「多くの人の上に立つ」というような名前になったかというと、「サラがこの後 自分で子供を産んで 子孫が多く増えていく。 そのために サラと呼べ」という風に ここでおっしゃっておられます。

 

16節 私は彼女を祝福しよう。 確かに、彼女によって、 あなたに1人の男の子を与えよう。 私は彼女を祝福する。彼女は 国々の母となり、国々の民の王たちが、彼女から出てくる。」 

 

 

また出ましたよ 子供あげるあげる詐欺!と思っちゃう場面ですね。 その言葉に対して 夫婦の対応を見ていきましょう。

 

17節 アブラハムはひれ伏し、 そして笑ったが、心の中で言った。「100歳のものに子供が生まれようか。 サラにしても90歳の女が子を 産むことができようか 。」

 

 

13年前に サラがアブラハムに女奴隷であるハガイを与えたことで 家庭内が思いっきり 不穏になってしまった。そのことに懲りて それ以後 自分たちで人間の手で何とかしようということはしておらず、しかし 自分は100歳妻は90歳になってもまだあげるあげる詐欺を言われてるのかい!と アブラハム も「もう 何だかなざ」という感じで笑ったんじゃないでしょうかね。

 

18節 そして、 アブラハムは神に申し上げた。「 どうか イシュマエルが、あなたのおまえで行きながらえますように 。」

 

 

これはアブラハムが「もう自分から また自分の妻から子供が生まれてくるなんて妄想を信じられない」という心境をよく表しています。

 

イシュマエルというのは 13年前に 女 奴隷 ハガイを通してできた子供であり、 「もうね、 あの、俺たち 無理だから。もう前にできた あれでいいから、 あれがなんとか 長生き すれば俺たち 満足です」ということをここで言っています。

 

19節すると神は仰せられた。 「いや あなたの妻 サラが、あなたに男の子を産むのだ。 あなたはその子をイサク と名付けなさい。 私は彼とあなたとの契約を立て、 それを彼の後の子孫のために 永遠の契約とする。

 



いやまあ神様、ここでね ”100歳の夫に90歳の妻”に 「あなたにサラが男の子を産むのだ」って神様ちょっと無理すぎませんか。 と言いたくなりますね。 

 

そしてその子をイサク と名付けなさいとあります。これは聖書を通読するとわかるのですが、神様や大天使を通して「子供にコレコレ という名前をつけなさい」 というのはもう絶対に子供が生まれる フラグ なんですね。

 

この絶対生まれる フラグ というのは後世に私たちが聖書を読んで 「あ、そうだよな」 と思ってしまうことなんですけれども、 この当時 アブラハム 本人はもちろんそんなことは知りません。

 

いや「どうせまた神様の生まれる 生まれる 詐欺 なんじゃないの」 と思いながら聞いていたことだろうと思います。

 

20節 イシュマエルについては、あなたの言うことを聞き入れた。 確かに、私は彼を祝福し、彼の子孫を増やし、 非常に多く増し加えよう。 彼は12人の族長たちを生む。 私は彼を大いなる 国民としよう。 

 

 

アブラハムが神様の声よりも妻の声を聞いて「自分たちで何とかしよう」と思って家庭内不和をうみながらも生まれてきた子供、 イシュマエルについては「まあ アブラハムが望むようにはしてあげるよ。 そして アブラハムの子孫だからね、 彼を子孫を増やしまた 祝福してあげるよ」と ここではおっしゃっておられます。

 

21節 しかし私は、来年の今頃 サラがあなたに産む イサク と、 私 の 契約を立てる。 

 

 

ついに 「いつ頃生まれる」という、生まれる 生まれる 詐欺に一歩確実な約束が入りました。 来年の今頃だそうです。

 

アブラハムは この神様の約束を信じていました。 しかし神様がどのようにそれをするのか、 という方法は知らなかったんです。 しかし神様は サラが90歳ですっかり干上がった 枯れた 年齢でも子供が生まれると約束しておられます。

 

私はこの箇所は”アブラハムの信仰心の揺らぎ”が少し見えているなと思います。 

「アブラハムはひれ伏し」 というところで神の示しに全面的にひれ伏して ついて行こうという心があると同時に

「笑った」とあります。

 

顔でも笑っているんですが、 むしろ 心の中で笑っていた、この漢字が この ”笑む”という方の笑うではなくて”嘲り笑う”の方の笑うだったんじゃないかと私は思っています。

 

そりゃまあ 夫 100歳 妻 90歳の夫婦に子供が生まれるって言われても、 そりゃもうなかなか 信用することはできませんよね。

 

しかし”神様がどのようにそれをなさるのか”、 私たちは分かりません。

 

ただ 私たちはその希望を持って「必ず成し遂げられる」と思って生きていれば、

 

ある日 

 

他の人には 突然だったり 

非常に大きな幸運とか

思いもよらないことが起きたと言われるようなことも、

 

「私にはできなくとも神様にはできる」と信じて日々 祈り 

神様を見上げる生活をしていたら 

 

「その時が来た時、よし!」 と心の中でガッツポーズが取れるのではないでしょうか。

 

そう思うとアブラハムがここで ”心の中で笑った”、 嘲りが近いような心境で笑った、というのは 今後の物語 にどのように影響してくるのか。 ここがまた大きな 伏線 となっていることかと思います。

 

本日の箇所は いわゆる キリスト教の人とかキリスト教を布教してる人とかが、割とよく言う言葉ですけども、聖書を読んだことがないと ”胡散臭いなー”と響いてしまう この言葉。

 

神にできないことはありません。 

 

これを表している箇所かと思います。

 

現在のように 価値観が多様にあって、また日本のように カルト宗教が ”宗教や信仰” という言葉の意味や イメージを歪めてしまったこともあって、「神様とかうさんくさい」 「信仰って なんか気が狂った人たちでしょ」 みたいな感じで思ってる方が残念ながら非常に多く、

 

神にできないことはありません。

神はあらゆることが可能です。

 

と聞くとこういうような反応をしてしまいますけれども、 この 90歳と100歳のカップルに これから子供が生まれるかどうかで

人間ができないこと 

人間の肉体では不可能なことも

 

神にはあらゆることができるのです

 

ということが 皆さんと共に 読み進んでいけると嬉しいです。 それでは今日はここまでです。 ご視聴 誠にありがとうございました。 

 

 

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