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こんにちはマダムサトコです。 本日は 創世記21章11節から読んでいきましょう。

 

11 このことは、自分の子に関することなので、アブラハムは非常に悩んだ。

 

 

この悩みというのも、 また いろんな悩みがあったのかな と思います。 まず1つは イサク が生まれるまでは このイシュマエルが自分の跡取りになるだろうと思っていましたし、また 86歳 という非常に高齢の時期に生まれた子供でもあるため、 やはりイサクが生まれるまでは とても可愛がって 愛していたという、時間をかけて愛してきた自分の気持ちとの葛藤、

 

また一時期は色々な確執があったけれども、 その後 子供の母親として相応に働いてくれた エジプト人の奴隷である ハガルへの愛情、

 

またアブラハムには 「もし イサクが何かしらの問題があって自分の後を継ぐ前に、、?」なんてことも考えますと、やはりアブラハムはおいそれと このイシュマエルを追い出すということは、まあいろんな意味で できなかったんだろうと思います。

 

12節すると、神はアブラハムに仰せられた。「 その少年と、あなたのはしためのことで、悩んではならない。 サラがあなたに言うことは 皆、言う通りに聞き入れなさい。 イサクから出るものが、あなたの子孫と呼ばれるからだ 。」

 

 

この12節の記述からも 聖書には書いてないんですけれども、 アブラハムが正当な後継者である イサクに万が一のことがあったらと心配していることが読み取れますね。 そして神様はその心配を知って、「 イサク から出るものがあなたの子孫と呼ばれる」 つまり イサクは成人してさらなる 子孫を残す 年齢まで無事に育っていく、ということをここで示しているように思います。

 

まあ 本当に 後継者ということに頭を悩ませるというのは 現代人 でも非常に多いと思うんですけれども、 100歳と90歳の夫婦に約束通り子供を与えてくださった神様の言うことだから、イサク から 子孫が生まれるというこの言葉を信じて 決断していったということでしょうね。

 

13節 しかしはしための子も、 私は一つの国民としよう。 彼もあなたの子だから。」

 

 

はしための子、 まあ 今の言葉で言う 愛人の子 ということで、 本来は生まれてくるべきではなかったのかもしれない子も神様は「アブラハムの子だから」ということで このイシュマエルにも大いなる祝福を与えてくださるとおっしゃっておられます。

 

 14節 翌朝 早く、 アブラハムは、パンと水の皮 袋を取って ハガル に与え、 それを彼女の肩に乗せ、 その子とともに彼女を送り出した。それで彼女はベール シェバ の荒野をさまよって歩いた。 

 

 

ハガルは以前身ごもったという時にサラに見下した態度をとってサラからたたき出されていまして、 同じように 砂漠をさまよっていました。場所は違うようなんですけれども、 ハガル も 本来なら 「ハガルの夫」というものが神様によって定められているはずなのに、 まあ 愛人 という立場になって「はしための子」と呼ばれる子供を産んでしまう。

 

神様のご計画外の人生を歩むことによって、何度もこのような人生の中で苦しみを味わっているのかな と思います。

 

15節 革袋の水が尽きた時、 彼女はその子を1本の灌木の下に投げ出し、

 

 

 この記述を絡みますと、この ハガル というのは15歳の子を背負ってたんですかね。 15歳なら歩けよ と思うんですけれども、 ハガルにしてみたら 神様から産めよと言われた 大事な息子であり、 この息子のおかげで この15年間は ハガルも安定して暮らしていた。 この子さえ 生きていたらきっとまたいいことがあるかもしれない、と思って子供には苦労させたくないと背負って歩いていたのかなというような状況も思い浮かぶシーンですね。

 

16節 自分は、矢の届くほど離れた向こうに行って座った。 それは彼女が 「私は子供の死ぬのを見たくない」と思ったからである。 それで離れて座ったのである。 そうして彼女は声を上げて泣いた 。

 

 

ハガル はもう「自分も子供もこの砂漠の中の過酷な環境で死ぬ」ということを覚悟していますね。 ハガル としては「どうして私の人生はこんなに苦しいことばかりなんだろう」と嘆いたと思います。

 

今日の箇所はまたサラが鬼のように

 

 

 

 

愛人と愛人の子供を叩き出すというシーンですね。 サラも イサク が生まれてくるまでは このイシュマエルを「自分の子ではないけど 夫の子だから」ということで 特に小さい赤ちゃんのうちなんかは可愛がっててそれなりに愛情もあったと思うんですけれどもね。

 

まあこの辺にもさらの 強権的な性格と言うんでしょうか 夫が妻にだけ ED になるような性格

 

 

 

 

というのも 現れているのかもしれませんね。

 

そしてこの追い出したという行為は、これ 神様はこれでよしとしたんでしょうか。 もちろん私たちには神様の心は 分かりません けれども、 現在の人間の姿から考察すると まあ 正妻の子と愛人の子が一緒にいたら

 

 

 

 

そこからやっぱり家族の間には 平和がなかったでしょうね。 常に争い 常に 猜疑心を持って常にいがみ合う。そのような平和がない家庭 、そういったものを避けるために神様はもう一度ハガルとイシュマエルを、アブラハム サラ イサクから離したんだと思います。

 

そして神様はこのイシュマエルも用いて何か一つ 新しい創造、 クリエーションですね、 新しいことを作り上げると告げておられます。

 

アブラハムがサラに言われて行い起こしてしまった失敗をも用いて益としてくださる、というシーンでもありますね。

 

本日は 神様の言うことを聞かずに人間が勝手なことを行い、それで起きてしまった失敗も神様が綺麗に 尻拭いをしてくださっている、 決着をつけてくださっているというシーンですね。

 

人間というのは本当に目の前のことばかりを追いかけて、 長期展望というのがなかなか持つことができません。 神様が語りかけてくださっている 長期展望を自分の都合で聞かずに、 それで失敗する それで 苦しむ 悩む。 これは聖書 以外にも 現在の私たちの姿としても 皆さん お心当たりがあるのではないでしょうか。

 

それでも失敗した私たちの起こした問題を用いて、また神様は 新しい世界 新しい展開を与えてくださる。 失敗をも益として用いてくださる、ということは私たちの 大きな励みであり、 今後何があっても また新たにされるさという気持ちで新しいことにどんどん チャレンジしていけるという、 私たちの心の中の後ろ盾となるかと思います。

 

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それでは今日はここまでです。ご視聴誠にありがとうございました。

 

 

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