歴史の陰に秦氏の謎 その四 | 天空の鷹 (URIEL)

天空の鷹 (URIEL)

天と地の和合を祈り、陰と陽の調和を願う・・・。
 
天地に、きゆらかすは、さゆらかす
  神我がも、神こそは、きねきこゆ、きゆらかす
神の御息吹、天のみあらし、地のまくしき、
  きゆらかす・・・

「静岡」

先日、熱海に行ってきた。東京から新幹線で行くと、あっという間である。伊豆半島の東側、しかも付け根に近いせいか、どうも神奈川県のイメージがあるのだが、ここはもう静岡県である。伊豆半島の西側、黒潮に洗われる駿河湾は一年中温暖である。
そのため、静岡県はみかんやお茶の産地として有名だ。学生時代から静岡県出身の友人が多いため、しばしば当地は訪れるのだが、雄大なる富士山の姿を見て暮らす生活は、やはりうらやましい。そんな静岡だが、県名の由来については、意外に知られていない。

もともと、静岡という地名があったわけではないのだ。調べてみると、静岡県が誕生したのは、明治時代。廃藩置県が実施されたときのことである。駿河府中の名を「賤が丘」と考案。これに物言いがついて、最終的に「静が岡」、すなわち「静岡」と命名されたという。
では、最初の「賤が丘」とは何なのか。

実は、静岡市の北に「賤機山」があり、この麓に位置するところから、考え出されたものらしい。つまり、静岡とは、賤機山にちなんで付けられた名前なのである。かつて静岡の友人に案内されて、賤機山に行ったことがある。そこには現在、浅間神社があり、境内には古代の古墳が存在する。
その名も賤機山古墳というのだが、時代的には6世紀ごろと見られている。

興味深いことに、賤機山の周辺には麻機や服織なる地名がある。
賤機山の賤ハタ山、麻機の麻ハタ、服織のハトリ。いずれも秦氏を連想させる。
これについて、金達寿氏は、ずばり駿河一帯を開発したのは秦氏だったと主張する。
なかなかの卓見である。と、すれば、だ。静岡の由来となった賤機山、そのまた由来は秦氏ということになる。三段論法でいえば、静岡は秦氏にちなむ名前だったといえなくもない。ひょっとすると、お茶やみかんを特産品に仕立てたのも、秦氏が関わっているのかもしれない。これから、しばらく静岡の秦氏を追ってみたいと思う。

三神たける