ご訪問ありがとうございます。みゅうです。

 

 

 

 

 

今日のテーマは、

発達障害児の問題だけでは収まらない家庭の問題。

 

『子が親のお財布からお金を盗む』

こちらのテーマで話を進めていこうと思います。

 

 

 

これ非常にショックなんですよね・・・・。

 

まさか我が子が・・・とか

ここまでやるとは思わなかった・・・・とか

そして将来、この子は犯罪者にでもなっちゃうんじゃないかってそんな不安さえも頭をよぎる。

 

 

 

当然『盗む』という行為は、見逃すことのできない行為です。

ただ、大事なことがあってその『盗む』という行為を『どこで』行ったかです。

 

 

はい、つまりは内なのか外なのか。

 

 

これ本当に大きな見極めのポイントです。感覚的になんとなくわかると思いますが、こうして言語化すると同じ『盗む』でも意味合いが変わってきます。

 

 

 

外でやってしまったのか

それとも家庭内でやったのか。

 

 

今回の話は『家庭内』の場合に言及していきます。

 

 

 

ちなみに外でやってしまった場合は、言うまでもなく”窃盗罪”となります。

 

『窃盗罪とは・・・

他人の財産的価値のある物を、その人の意思に反して自分の物とする犯罪です(刑法第235条)。』

 

余談ですが、私は長男によくこうやって

「はっきりとこうして法律で決まっているんだよ。だからダメなんだよ」

と、教えるようにしてます。

 

発達障害児の場合「ママが悲しいから駄目」など、感情論で叱ることが不向きなことが多く、論理的に説明してあげた方がマストのことがあります。

 

 

 

 

 

法律上の観点という意味で今回のことを考えると

子が親の財布からお金を盗む行為という点においていえば

親族相盗例と言って法律上は家の中のお金を盗っても犯罪にはなりません。

 

 

”親族相盗例とは・・・

親族相盗例とは、親族間で窃盗罪などの一定の犯罪が行われたときに、行為者の処罰を阻却する特例です。


親族間で窃盗行為などが行われた場合には、警察などの国家権力が介入するよりも、家族間で解決する方が適切であると考えられるため、親族相盗例が認められています。”

 

 

実はこんな法律があるのです。

 

 

 

 

 

だから堅苦しいことを言うと

『親のお財布からお金をとったら犯罪なんだよ!』

と、子供に注意するのは法律上は間違っているんですよね~。

あ、もちろん盗むことは絶対にだめですけど。

 

 

 

 

 

さぁ、それを踏まえて

『子が親のお財布からお金を盗む』この問題をどうするか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結論から言ってしまうと

『子供は盗むもの』として捉えておく。

 

 

元も子もないじゃん!!って言われそうですが・・・・

今までの前置きなんだったの!って言われそうですが・・・

けど本当にそうなんです。

『子は家のモノを盗むとして捉えておく』まずは、ここからなんです。

 

 

 

”え~!!私は小さいころ、絶対にそんなことはしなかった!!”

と、思うかもしれませんが・・・・

そういう感情は、案外子育ての邪魔にもあるのでやめておきましょう。

 

 

 

 

 

大事なことは、盗まれないために親が何らかの対策をするのが重要です。まずそれをやってみてください。我が家の場合は暗証番号付きの金庫で現金を保管するようにしましたが、その暗証番号を盗んでまで金庫の中の現金に手を出すということはありません。

 

 

そんなことをしなくても盗まない心を育てたいとも思いますが、発達障害児の子育てというのは何事においても一筋縄ではいかぬものです。

 

 

 

 

 

 

最後に・・・

 

子が親のお財布からお金を盗んだことが発覚した場合の

対応方法の話へ移りたいと思います。

確認すべきことは大きく2つあります。

 

 

①お金を盗んだあとの使い道

 

これは絶対に確認すべきです。

たとえば周りのお友達が、子の持つ・使うべき金額ではない額のお金を常時持っている場合など、お小遣いがないと友達付き合いが難しい状況が発生してる場合はあります。

 

この場合は、本人もしんどい思いをしてるので話を深く聞いてあげる必要があります。それに今はいじめに繋がっているケースもあるので、使用用途確認は不可欠です。

 

 

 

 

ただこのブログのテーマである”発達障害児の行動特性”という視点でいくと

『ルールを曲げてでも自分が望みをかなえようとする。』

この行動特性に類似するかなと私は考えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

②盗むことが快楽になってる場合

 

少数派でしょうがゼロではなく、問題なのがこの場合。

出来るだけ早く専門の医療機関へ受診すべきです。

 

また万引きの場合も同じことが考えられ

その物がじたい欲しいのか、もしくは万引きというスリルを味わってしまっているのか、見極める必要があります。

 

 

しかしながら、万引きの場合は”窃盗罪”となるので家庭内だけでの解決は望ましくなく、お店への謝罪、盗んでしまった品物に対する金銭の支払いは不可欠でしょうし、

万引きの場合はたとえ初犯だったとしても、家庭内だけの解決はNGです。

子供抜きでの親と店側だけでの何らかの方法で解決というのも望ましくありません。

 

 

 

 

ただ、どの場合であっても『盗む』という行為は”絶対に許される行為ではない”ということを子供に理解させる必要があります。

それは非常に骨の折れる作業ですが、親である責任とでも言えましょうか。

 

 

 

我が家は何度かあったので・・・・

その時の様子、話し合いの方法は、こちらの記事をご覧くださいませ。

(URL 近日中に公開)

 

こちらの日記で具体的な対処法も載せてあります。

同じようなことで悩んでいるお母さんの役に立てばうれしいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつもありがとう。

 

 

 

 

 

美羽

 

 

 

 

こんにちは。みゅうです。

ご訪問ありがとうございます。

 

 

 

 

さて今日のテーマは『発達障害児分野における2次障害』です。

2次障害と言っても程度や原因は様々ですので

今回は”学校へ行くことで引き起こされる2次障害”に限定したいと思います。

 

 

 

まず『2次障害』とは・・・

詳しくは、厚労省のページなどを検索して頂くのが一番かと思いますが

発達障害児(成人も含む)の場合、その障害からくる症状や行動により周囲とうまくいかず

それに伴いうつ病などの精神疾患を新たに発症、そして併発しやすい傾向があると言われています。

 

 

育てている側としては『そんなん言われなくてもわかっとるわい!』という定義だと思いますが

”二次的な問題を引き起こすから注意してね”

”教科書や参考文献にもその文言を載せるからね”っていう

なんとなく発達障害児の行動を具体的に説明する際に言葉が必要で、それが言語化した感じ。

私はそんなイメージをもっている。もちろんそんな軽いものではないのだけど・・・

 

 

だって、発達障害児を育てている側としてみれば

ここからが”二次障害”って微妙な線引きだったりしませんか?

これは二次障害からくる行動で、これは発達障害が来るもの・・・なんて思いながら育児をしているわけではありませんからね。

 

 

 

子の問題とされる行動は、大変な毎日の延長線上にあり

のん太郎の場合でいうなれば、”癇癪・暴言・物にあたる・イライラ、、、”

その一つ一つを、これは2次障害の症状で、これは発達障害の行動で・・・

なんて説明はもちろんできません。

 

先日はのん太郎の癇癪がひどく、壁に4つ目の穴が空きましたが、

その癇癪の理由も対処法も言葉ではうまく説明できません。それが発達障害児の日常です。

発達障害児を育てるということは、想像以上に骨のおれる毎日であり診断名における症状の羅列以上の問題行動が沢山あるのです。

 

 

 

 

 

しかし学校へ行くことで周囲とうまくいかず、また学校という環境が自身と合わずに

2次障害を引き起こすこと、これは大いに想像ができます。

”学校”は特性っ子にも、その親にとっても大きな試練の連続です。

 

 

 

のん太郎が低学年の頃だったでしょうか、学校へのストレスが大きく家での癇癪が数時間に及んだこともしばしばありました。

他にも学校から逃走、母呼び出し、そんなものは数えきれず・・・

保育園時代は癇癪すらなかったので、これも環境の大きな変化に適用できなかったことによる2次障害かと思います。

 

 

 

それでも、私は学校へ行かせるという選択をし続けました。

 

 

Q&Aシリーズ No.3”学校にいきたくない発達障害児とどう向き合うべきか”

私はこの記事で、学校に行くことを大前提に生活した方が良いとお伝えしました。

家を必要以上に居心地よくさせてはいけないと。

 

 

 

この記事を執筆中の際、とりたて掘り下げなかったのですが、

『学校から帰宅後の本人の様子の観察』はもちろん必須であり・・・

無論そんなことは書くまでもなく、きっと特性持ちの子を育てるお母さんたちは当たり前のようにしているだろうなと分っていたのであえて記述しませんでした。

 

 

それに『あ~今日は、学校行け良かった』で終えられている育児なら、

日常生活も多少の凹凸があっとしても、なんとかやれているのだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

『学校へ行くことで2次障害を起こしたら・・・』と私も考えることはありますが

この場合、学校へいかなくても何らかの形で2次障害を引き起こすおそれがありませんか?

 

 

”二次障害”って本人の症状だけに言及しているのが今の発達障害分野の考えだけど

たとえば、子供の発達障害に対して親側が心身のバランスを崩すこと、これも十分な二次障害と言えませんか。

 

 

またその生活過程において

子が学校へ行かないことで親子の時間が極端に増え、その増えた時間の分、必要以上の言い争いが起こり、そのことで日々の生活が回らなくなる、疲労が蓄積され、思うような日常が送ることができなくなる。

これもやはり二次障害だと私は思います。

 

 

特性の強い、ましてや攻撃性の強い発達障害児を持つ場合、

親子分離の時間は必要不可欠と私は思っており

目先の本人だけの”二次障害”を心配しすぎるはナンセンスです。

 

 

 

目先というと語弊があるかもしれませんが

育児のゴールは『社会的自立』です。

この自立とは広義な意味にもなるけれど、

ゴールそのものは発達障害児も定型児もなんら変わりはありません。

 

子が近い将来、社会で一人で生きていくため、親である自分が亡きあとでも、生きていけるように、今できること、今すべきこと。

 

学校という分野に焦点を当てるとするならば、当然のごとく最低限の読み書き計算ができない限り、社会的自立なんて到底望めません。

 

 

 

 

だから今、”学校へ行かない”という選択をしたとして、今、起こりうるその2次障害を免れたとしても、いずれ起こりうるおそれがあるということは、念頭に置いておいた方がいいのだと思います。

 

 

 

 

もちろん、無理やりにでも「学校に行け」ということを書きたいわけではないですが

”二次障害”という言葉に惑わされすぎるのも危険かなと私は思います。

 

 

 

あとは、学校に行けたとしても、学校での本人の様子が心配だと思いますが、ある程度学校に丸投げしてしまうのもひとつかなと思います。学校のことは学校にお任せてして、その間はあまり考えないでいるようにするというのも、発達障害児を育てていく上で大事な心のバランスだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に、余談ですがこんなケースがありました。

 

早々に学校へ行くという選択を諦めてしまったケースです。

(※私の担当患者様ではありません)

 

 

 

当時そのお母さんはこう言いました。

『学校へ行かせる方が大変だから、学校へ行かせてないの。カウンセラーさんとも相談してしばらく休ませているの』と。

 

朝の登校渋りの癇癪が大変だったと。もちろ想像ができるのですが私がお話をお伺いした時は入学してまだ6か月。早すぎる決断でした。

 

 

早々に学校へ行かせるという選択を諦めてしまい、その後一度も小学校に行くことがないまま卒業をしました。

”フリースクールは行かないのか?”と、疑問を持つ方も多いともいますが、実際フリースクールなんて東京に住んでいたって近くにあるわけでもなく、あったとしても子に合うかどうかなんてわからない。あまり現実的ではないのです。

 

 

 

不登校という選択について、もちろん口を挟むことはしませんでしたが(そんな立場でもないので)ただ一つ気になったのが、民間の相談施設に通っていて、その当時、担当していたカウンセラーさんから「休むのも勇気ですよ」と言われ、その言葉が心にすっと入っていったとのことでした。

 

 

 

社会で働くことが疲れてしまった大人にとって”休むことが勇気”というのは、納得できます。

けれど、この場合は誰にとっての勇気なのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

私と同じ相談業務に携わっていた職員の中にも

「心が疲れているときは学校を休みましょう。休むことは悪くないですよ。」

とアドバイスをする職員もおりました。

 

 

私はいつもこれを”無責任の優しさ”とし、注意をしておりました。

 

 

 

「そう言える根拠はどこにあるの?」

「いつまで休ませようと思ってるの?」

「学校を行かない間の自宅での学習計画は?それは誰が見るの?」

 

軽々しく、学校を休むという選択を相談業務に携わる職員が口にしてはいけないと常々思っておりました。休み癖はつかないと断言する方もおられますが、その根拠はどこにあるのか正直ずっと疑問でした。

 

 

 

ネット上では、謎の資格をカウンセラーを名乗る方々も多い時代ですが・・・

医療機関や学校などで専門的に相談業務を担う職員の場合、国家資格を取得しその後の過程においても継続的に学びの機会が用意されており、カウンセリング技術や心理学、貧困問題、虐待、などの専門分野の学問を学び続けている。

 

業務だけでも大変なのに、有難いことに、、、様々な研修制度も用意されおり(笑)、取得後もその多くの題材を勉強してきた人間にだって何が正解かなんてわからない。もしかしたら正解という糸口すらないかもしれないこの精神科分野の相談というのは難しいもので、つまりは、私やのん太郎を含め、その渦中で生きている人たちはもっと、ずっと、苦しいことの連続なのだと思う。

 

 

 

 

 

その中でもこのサイトが発達障害児の育児の選択肢の一つとなれば幸いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


いつもありがとう。

 

 

 

 

 

美羽

ご訪問ありがとうございます。みゅうです。

 

 

 

今日のテーマは『不登校』です。

 

 

 

 

 

一般的に発達障害児というのは、どうしても不登校に陥りがちです。

 

不登校まではいかなくても、低学年から始まった登校しぶりが高学年になった今もずっと続いているなんてことがよくあります。もうこればかりは仕方がない。特性満載っ子たちが、学校教育に、ましてや日本の学校教育になじめるわけがありません。

 

 

 

今は”学校は無理していくところではない”というのが、一般的な風潮のように思えますが、発達障害児の場合は、特性が原因によるところが多いので、それを訓練できる最適な場所は学校しかないと私は思っており、のん太郎の場合ですが、私は無理をしでも学校へ行かせてきました。

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そ*の無理というのは、

私の労力が削られ無理をしていた、というところもありましたし(今も)

のん太郎自身が学校という場所になかなか慣れずに無理をしていた、ということもありました。

正確にいうと、今も無理をしているしこの先もずっと無理をしていくのだと思います。

 

 

”学校へ行く”という当たり前のことが、こんなにもハードルが高いことだったということを、ADHDっ子を育てるまで知る由もありませんでした。

 

 

 

 

学校に行きたくない理由は様々でしょうし、それを言葉で説明するには子供には難しいことだったりします。

 

学校で過ごす時間は長いので、小さな嫌なこと、納得のいかない嫌なことが、いくつもいくつも混ざり合い、それはもう言葉では説明なんてできなくて、ただ一言「学校が嫌い」なんて言葉でしか表現できなくて、けれどその言葉に辿り着くまでには何百何千もの理由が重なり合う。

それが発達障害児の登校しぶりです。

 

 

 

 

ただし、発達障害児にとって学校とは勉強をするところではあるけれど

それ以上に人とのお友達とのコミュニケーションスキルを身に着ける場所です。社会に出るための大切な時間です。

もちろんそれは定型発達の子たちにも同じことが言えますが、特性っ子たちにとっては、それはとてもとても重要です。

 

 

ちなみに”コミュニケーション”という言葉を辞書でひくと・・・

 定義:

  人間が互いに意思・感情・思考を伝達し合うこと。

  言語・文字その他視覚・聴覚に訴える身振り・表情・声などの手段によって行う。

 

 

 

どうしても一方通行になりがちな特性っ子たちのコミュニケーションなんて失敗の連続でしょうし、

定型の人たちからすれば、コミュニケーションは学ぶものではなく自然に身に付いてくるものだと思うのでしょうが

特性がある子たちは自然になんて身に付きません。

 

『自分の気持ちがあるように、人にも人の気持ちがあって、

あなたの気持ちがあなたのものだけど、お友達の気持ちはお友達のものなんだよ』

 

と、言葉で教えてあげて訓練をしていく必要があります。

これ、本当に根気のいる作業の連続なのです。

 

 

 

 

よく言う『自閉』、

自分の殻に閉じこもってしまうという解釈で終始しがちですが、

私が考える自閉とは、

『自分の考えばかりが中心で、相手も自分と同じ考えだと思い込む』ことも自閉の一つだと考えています。自分の世界、自分のルールだけで生きてしまう。

のん太郎は、この傾向が非常に強いです。

 

自分ルールが強い特性っ子の場合、相手も自分と同じ考えだと思い込む認知のずれのようなものがあり

それを修正できる場所は家庭では難しく、また特性っ子たちだけが通う療育でも難しく、

やはり学校しかないのだと思っています。

 


 

 

 

幸い学校は失敗ができます。

やり直しもできます。

いろんな子がいます。

だから、やっぱり学校が大切です。

 

 

 

のん太郎にはずっとずっと

『学校が一番大事だよ』と伝えてきました。

 

 

 

 

 

のん太郎が1年生の時でしょうか、朝の8時くらいから学校へ行きたくないという大きな癇癪が始まり

それが2時間~3時間くらいのほど永遠と続き、部屋の中はぐちゃぐちゃ、大声もすごいから部屋の窓は全部閉めて、

ただただその癇癪が治まるのを待った日も数知れず・・・・。

私はそれでも学校へ行かせました。私もボロボロでした。

 

 

 

 

ある時は、3時間続いた癇癪がおさまりようやく学校へ行こうとなった時、

疲れてもう歩けないというのん太郎を、自転車の後ろに乗せてアイスを食べさせ再びクールダウンさせてから

学校へ向かったこともありました。

 

 

 

そんな日々が何日も何か月も続いたある日、突然のコロナによる緊急事態宣言。学校へ行かなくてもいい大義名分ができた私は、当時誰にも言えなかったけど、一人ほっとして涙したこともありました。

 

 

よくも悪くも、学校という場所をリセットできた私とのん太郎。

毎朝の激しいバトル、胸を締め付けられそうな『学校へ行きたくない』というあの言葉。

それが日常と化したあの日々から解放されたのでした。

 

 

 

 

 

ただ、いずれ始まるであろう学校生活。

それを見据えてこれから先も不登校にさせないために親として何ができるだろうと考え辿り着いた結果と行動が

のん太郎が今でも学校に通えている理由かもしれません。

 

 

 

 

 

 

それは・・・

 

 

 

 

学校より家の方が居心地よい場所にさせてはいけない。

これです。これ、とても大事です。

 

 

誤解しないで欲しいのは、これは学校の授業時間の間という意味です。8

8時30分~だいたい15時くらいまでは学校があり

みんなそこで授業なり、学活なり、なんらかの活動をしている。

 

 

その間は、のん太郎の好きなことは一切させませんでした。

もちろんこれから先、たとえ学校へ行けなくなったとしてもそれだけは徹底させるつもりです。

当たり前のことだけど、ゲームやYouTube、テレビ、漫画、お菓子なども含め禁止としました。

 

本来『学校に行っている間できないことは、家でもないないんだよ』という絶対的なルールです。

 

 

 

 

ちなみにコロナの時は、おうち学校たるものをしており、スマホに学校のチャイムをダウンロードし1時間目~4時間目まで、できる限り学校時程で生活し、時間がきたらチャイムを鳴らしたりしておりました。

 

算数、国語、体育、図書、毎日がおうち学校、4時間時程。

もちろん大変でしたが、それよりもずっと大変なことばかりでしたので、休校中に学校時程で生活することは学校が始まった時にリズムを崩さないためにとても重要なことでした。

 

 

そして放課後の時間となった時に、のん太郎の好きなYouTubeやゲームを解禁しておりました。

お菓子やジュース類も放課後時間と決めており、娯楽との境界線だけは気を付けて生活してきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中学生までは義務教育

そう、当たり前だけど9年間は義務教育!!

 

 

義務教育というと、

『子供が教育を受ける義務』『子供は学校教育を受けなければならない。』

なんて思いがちだけど、この”義務”が生じているのは”親側”であって”子供”ではないんですよね。

だから、私ものん太郎が学校へ行けるよう最大限の努力をしてきたつもりです。

 

 

 

 

集団行動、時間厳守、多数派意見重視。

それに発達障害児は”字を書く”ということが苦手なことが多いので

板書やら漢字の練習、算数のドリル。

 

 

きっと特性っ子たちはストレスフル!

 

 

算数は式を書くのが苦手で、漢字は書き順無視、なんならひらがなの書き順も怪しい。

彼らにとってそんな苦痛な授業が毎日毎日ある学校を、好きになれ!という方が無理がある。

 

 

 

それでも、やっぱり学校へは行ってほしい。

本人たちは無意味と思っているけど、生きていく上で大事なスキルを少しでも習得してきてほしい。

発達障害児にとって、学校とは非常に大切な学びの場であるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先ほどお伝えしたように、学校のある時間帯は居心地の良い状況を作らないこと以外にも、

大切なこと出来ることがあります。

 

 

また、発達障害児を育てていると、親側も心身ともに疲れてくるので、物理的に子供と離れる時間というのも絶対的に必要です。だから子供のため、自分のためにも、学校へ行ってもらう必要があるかなと私は思います。

 

 

 

 

①月曜日は大事

 

これね、私の感覚的なところで

データがあるわけでも、脳科学のようなところで実証されているわけじゃないのですが・・・

「月曜日は必ず学校へ行く」って、とても大事だと思います。

 

 

 

特に子供の体ってちゃんと24時間リズムでできていて、朝があって夜があるように

週の始めである月曜日は、できるだけ時間通りに学校へ行く!

だから、できれば月曜日は晴れが良い!

 

 

月曜日に不調だとの次の日もなし崩し的になることが多かったので

まずは月曜日に、できれば遅刻しないで、たとえ遅刻したとしても

宿題をやってないとしても、いろんなことに親が目をつぶったとしても

何より月曜日は学校へ行くということを最優先にできたらと思います。

 

 

 

②遅刻してでも学校へ行く

 

これもとても大事です。5時間目からでもいい、給食からでもいい、保健室からだっていい。

”学校へ行った””学校へ行けた”ということが大事です。

 

休み癖という点でも、人それぞれ考え方が違うでしょうし、

”休み癖なんかつかないから休ませてあげるのも一つ”という意見が多いのも分かっておりますが

私はやっぱり休み癖ってつくと思うのです。

 

 

のん太郎が学校へ行きたくないと怒り狂った日、

この癇癪から逃れられるなら休ませてしまおうかと、幾度となく悩みましたが

やはり学校へ行かせて良かったと思います。

 

 

本人が楽である”学校を休む”という選択を日常的にしてしまっていたら

きっと今、彼は学校へ通えていない。

 

そしたら、もっともっと育児が困難化していってたと思います。まさに悪循環です。

学校の存在って、特性持ちを育てる親の場合、自分のためでもあるんですよね。

 

 

 

 

 

 

 

③登下校の付き添いをする。

自転車だっていい。ランドセルを持ってあげてもいい。

大事なのは学校へ行くこと。

 

④授業中の付き添いをする

これ学校によりできないところもあると思いますが、私2年生の終わりまで付き添ってました。それにより、今でものん太郎の学年の子たちの顔と名前が一致します・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

しかしながら私はこんな生活が毎日が続き、仕事を継続できなくなっていったのですが・・・。

 

決して夫の稼ぎがあるから仕事を辞められたわけではなく、私は定年まで働く予定だったので自分のローンは今でもありますし、

それでももう仕事を続けていける時間も心の余裕もありませんでした。

 

 

 

 

この話はまた今度。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは、また次回の投稿でお会いしましょうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

美羽

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ご訪問ありがとうございます。みゅうです。

 

 

 

 

病院勤務時代、退職した今でもよくこのご相談をお受け致します。

”グレーゾーンと言われたのですが、どうしたらいいですか?”と。

今日のテーマはまさにこれ、”グレーゾーン”。最近よく耳にする言葉だなと私は思います。

 

 

私の答えはいつも決まっていて

『確定診断を求めすぎないで、、、』

大切なことは

『今の困りごと少しづつ解決すること!!!(全て解決するのは難しいけれど!!)』

 

 

と、お伝えしてきました。

 

 

私も確定診断を求めて右往左往していた時期もあったけれど

発達障害の場合、必ずしも確定診断をつけることがベストではないなと思うことがしばしばあって

その思いは今もあまり変わりません。

 

 

今の困り事を減らすために医療機関を利用するというスタンスでいた方が

より良い育児につながると私は考えます。

 

 

 

 

 

 

 

グレーという表現で安心したい心理

”クロじゃなくて良かった”そんな心の声が聞こえてきそうなグレー診断。そんな意味合いを含むグレー。
そう、シロでもクロでもないよっていう意味合い。

 

 

あまり知られていないと思うのですが、

医療機関において確定診断をつけるってなかなか難しいことだったりするんです。

 

それが初診であればなおのことで、それに病気の種別によっても変わってくる。

これは病院側としては実は至って普通なこと。

医師も疑い病名から始まり検査などを経て確定診断へと移る。その診断までのスピードが早いか遅いかは、もちろんその病気による。

 

けれど患者さん側からすると、病院にいけばすぐに診断をつけてもらって、適切な薬をもらって・・・という流れを想定して病院を受診する。けれど、時には思うような診断名をもらえず再受診となったり、だましだまし様子を見ていたら治った、もしくは悪化してしまった。などなど・・・・

みなさんも一度はそんな経験ないだろうか。

 

 

疾患に限らず、病院において確定診断をつけるのは難しいということを念頭に置き、読み進めて頂きたい。

 

 

 

 

 

 

 

さて、それでは心療内科、精神科の分野に至っての確定診断という場合はどうだろうか。そしてそれが子供だった場合。

貴方はどう思いますか?

 

 

 

 

血液検査やCT、MRIなどの画像診断で分かるわけではない。(※一部、診断には使われる事例もあり)

それに症状が流動的と言いますか、なんなら日内変動も半端ないこの発達障害児の行動特性。

昨日の穏やかだと思ったら今日は嵐・・・なんてのが通常運転の子たちの診断を初診でできるわけがない。

 

 

けれど、ドクターとしても自身の経験をもとに(診断をつける仕事でもあるし)

「この子、拘りがかなり強そうだな。」「ただの”やんちゃ”ってわけじゃなさそうだな」

っていうのがなんとなくあるけど、

「この短時間じゃなんとも言えないな。なんとも言えないけど何かありそうだな。」

という感じでグレーという言葉を用いるのかなと思われます。

思われますというより、絶対にそう。

 

 

確定診断がつく場合だとしても、

その症状がADHDから来るものなのか自閉症スペクトラムから来るものなのか、

一度のやりとりでは非常に難しいものがあります。

 

 

しかしながら母親としては白黒つけたいと気持ち、ほっとしたい気持ち、ものすごく不安な気持ち・・・など

様々な感情が交差する中での受診、ということもお察し致します。

 

 

 

 

 

ただ『真っ白な人間はこの世には存在しない』

強いて言うなれば『人類みんなグレー』

と、いったところでしょうか。

 

 

誰しもが得意不得意があって、それがいわゆる濃淡であり、その濃淡が発達障害分野では”凹凸”と表現され、その凹凸の差が激しいと”生きにくさ”といったものが生じる。だけど、その濃淡は誰しもが持っていて、だから真っ白な人間というのは、この世には存在しない。

 

 

 

 

それに発達障害児を育てていると、

(言い方は悪いけど)生粋のADHDっ子、生粋の自閉症スペクトラムっ子、

というのも案外少なくてどちらかが突出していたり、どちらも半分ずつの症状があったり、それこそ千差万別。

のん太郎の場合でいうと、ADHDが突出しているけどちょっと自閉気質もあるよね、そんな感じである。

ちなみにこれは、有名な本田秀夫先生の著書の本にも書かれていたので是非参考にして頂きたい。

 

 

 

 

私ものん太郎の発達障害を疑い始めた時に、ADHDなのか自閉症スペクトラム障害なのかを知りたくて

沢山の本を読んだり調べたり、自分の病院での経験を思い返してみたけれど、

発達障害ってやはり複合的なんだろうなという結論に達した。

 

 

 

そしてそれ以上に悩んだ末に辿り着いたこたえは

結果、診断名は別にどちらでもいいということ。

どちらでもいいし、何でもいい。

 

 

大事なことは、今ある困りごとを少しでも軽減すること。やはりそれに尽きる。それ以上でもそれ以下でもない。

発達障害児の病院受診というのはその為のものでなくてはならない。

 

 

 

 

グレーっ子の場合、それでも入学してみないとわからない

 
これは、本当にそう。
幼稚園や保育園では、困りごとがあったとしても、なんとかやれてしまう。
厳しいことをいうと、幼稚園や保育園で困りごとが顕著化しているのであれば
それこそ早急に療育を検討し、入学する小学校を早々に調べ見学に行ったり動く必要がある。
(この話は、また別の機会に。私、今の療育業界に物申したいひとりなので・・・何様w)
 
 
保育園や幼稚園で困りごとがある場合、すでに自宅での育児も困りごとが多いのではないでしょうか。
 
 
 
特性持ちの子の場合、どうしても叱られる事が多いし
年齢が低ければ低いほど、母親が躾を経てその特性を直そうと試みている場合が多く
その怒り方は段々と激しさを増し、ただし特性である以上どうにもならないことが多い。
しかし、その時点では気付かないし、その時期というのは過ぎ去ってみないと分からない。
 
 
 
のん太郎の場合、小学校入学後すぐにいわゆるADHDの症状は顕著化されていき
私の場合は「あ~やっぱりな・・・」という気持ちと、もう家庭内ではもうどうにもならないなという気持ちと
そんな気持ちが合わさり、初めて専門の医療機関を受診するに至りました。
 
 
 
ただ、、、
「小学校に入ったらきっとなんとなる。大丈夫。」と、何の根拠もなく自分に言い聞かせていたことも事実で
やっぱりなと思ったと同時に
皆ができる”普通”のことができない、やりたくないというのん太郎の育児に
辟易していったのもこの時からでした。
 
 
 
 
 
 
それは、想像していた以上の大変な出来事の連続でした。
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 

 

 

ここまでお読み頂きありがとうございます。

また次回、お会いしましょうね。

 

 

 

 

 

 

美羽

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ご訪問ありがとうございます。みゅうです。

 

 

 

今日のテーマは

『どうする!?5歳児検診!』です。

 

 

 

まず、5歳児検診とは・・・・

 

<5歳児健康診査とは? > 幼児期の発育・発達は著しく、一人遊びから集団遊びへと変化していく中で、行動面・運動面・言語面の課題を早期に発見し、支援することが有効です。

 

 5歳児健康診査では、身体発育の確認と、保育園や幼稚園などの集団生活の中で気がつく「落ち着きがない」「動きがぎこちない」「興味に偏りがある」などといったお子さんが抱える課題や困難さを、保護者の方と幼稚園、保育園、医療機関と専門機関が一緒に確認をし、安心して生活を送れるように適切な支援を行っていきます。

 

”葛飾区ホームページより抜粋”

 

 

きっと、このブログをご覧になってくださっている方の中には

5歳児検診の受診をどうするか悩んでいるお母さんも多いと思います。

 

 

 

けど、答えたはただ一つ『受診するべき』です。

なんなら悩んだ時点で即予約です。

 

もちろん3歳でも4歳でも悩んだ時にすぐ受診すべきなんでしょうがグレーっ子の場合、ほんとに学校に入らないとわからないもんなんです。だからお母さんも様子をみてしまいます。

それに幼稚園や保育園ではいわゆるグレーっ子でもなんとかやれてしまいますからね。

 

だから色んな意味で5歳児検診ってターニングポイントな気がします。

 

 

 

それでも受診に悩む場合、その悩む理由を自分に問いかけてみてください。

それはきっと現実逃避。

きっとうちの子は大丈夫だと思いたいからです。そのお気持ち、わかります。痛いほどに。

 

 

私もずっとそうでした。

のん太郎の様子を見て、きっと大丈夫、きっと大丈夫と思っていた頃を。けれど全然大丈夫なんかじゃなかった。

 

万が一にも支援が必要となった場合、早いに越したことはありません。

5歳児検診の予約の一歩がお子様の良い未来につながることを私も願ってます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、今思うとあの日を境にグレーから黒になった5歳児検診の日。

 

のん太郎を自転車の後ろに乗せてクリニックへ向かう私。

『大丈夫ですよ、お母さんの気にしすぎですよ。』って言葉を、私はあの日とても貰いたかった。

 

 

しかし、そんな淡い期待は一瞬に消え失せ、待合室でも、簡単な問診すらもじっと待つことができなかったのん太郎に告げられら言葉は

『ADHDの疑いありですね。あとは学校生活次第ですね。とりあえずWISCの検査を時期をみて行いましょう』と。

 

それはとてもあっさりとした物言いだった。

 

やっぱりなという気持ちが押し寄せる。そしてこの先どうなるんだろうという鉛のような重たい真っ黒な心情と重なる。忘れもしない帰り道、私は涙さえ出なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただ、今でもあの5歳児検診で動けたことは良かったと思ってます。

だから、悩んでいるお母さんたちがいたら、背中を押してあげたいと思い、こうしてブログを立ち上げました。

 

 

5歳児検診を機に、のん太郎は専門の児童精神科の受診をし投薬治療へと至りますが、それはまた別のページで綴っていきます。読み進めて頂けたら幸いです。

 

 

 

私がのん太郎がADHDかもしれないと疑いはじめ悩んでいた時に、お世話になったADHDの行動の特徴を書いたサイト。

何度も何度も読みました。

 

 

一般的に言われるのが

「不注意・多動性・衝動性」この3つ。

 

 

●不注意のため集中力が続かない、気が散りやすい、忘れっぽい。

●多動性じっとしていることが苦手で、落ち着かない。

●衝動性思いついた行動について、行ってもよいか考える前に行動してしまう。

 

 

私と同じように、もしかしたら我が子はADHDかも?と疑い始めたらその相談先は、病院より担任の先生より夫より、まず先にネットで検索することがほとんどだと思う。

 

そんな私も、何度も何度も・・・

『ADHD こども』『ADHD 多動性』『ADHD 衝動性』『ADHD チェックリスト』『ADHD 特徴』

などと、いろんな用語を検索窓に並べてきた。

何度も同じページを開いたり、参考になったり、ならなかったり。どれも当てはまるようで当てはまらない。

 

 

それはなんでだろうと考えた時、インターネット上にあるほとんどの情報が小学生以上を対象としたチェックリストが多く、また読み進めていくとどの文面にも『小学校の入学以降に診断がつく場合が多いとされ、学業がいざ始まった時に、親や先生が気付く場合が多い』と書かれている。

 

 

確かに実際その通りだった。けど、当時まだのん太郎が年長だった時、私の不安や心配はどんどん大きなものになっていった。

 

 

あと、もう一つ。

いくら参考文献であっても、実際に育てているわけではないから、一般的な言葉でしかADHDっ子の行動を文章化できないからだと思う。

 

ADHDっ子の行動って多岐に及びますし、環境やその時の親の心のモチベーションでも捉え方が変わってきてしまいますからね。

 

 

 

 

 

もちろん本人が困っていない以上とりたて問題はないし、小学校生活もうまい具合に友達に溶け込み勉強もそれなりで、担任の先生が良き理解者であった場合、案外スムーズにことが運ぶかもしれない。

 

ただそれとは別の視点とし、親が客観的に子の特徴を把握しておくのは大切なことで、この先周りの環境が全て運よく進むことなんて、まずありえない。

いつ何があっても、すぐに”自分の気持ち”がうごけるように、5歳児健診など利用できる支援は多いに利用すべきと考えるし、必要な時に適切な対応をとっていきたいと常々考えている。

 

 

 

 

 

例えば通級ひとつとっても、先生やスクールカウンセラーから打診があっても、実際は二の足を踏んでしまう親が多いと聞く。もちろんその気持ちもわかるが、ここは一歩親が踏み込む勇気も必要なのかもしれない。

使える制度を子供も親ももっと自由に利用できるように、もっともっと開かれた支援制度になっていければ良いと思う。

 

 

 

 

ADHD傾向の強いこどもは、就学よりもっと前に親が”何かが違う”ということに気付いている場合が殆どだと私は思っていて、そのくらいの幼少期に特性が出ている子は多少なりとも学校生活がしんどくなるケースが多いと思われます。

だから親は早めの支援の順準備と心の準備が必要なのだと思います。

 

親の勘は当たります。

私、カウンセラーの仕事していた時によくそのようにお伝えしてました。(私の経歴をご参照ください)

 

 

 

 

 

 

それでも気になりますよね、未就学児のADHDのチェックリスト。

幼児期においても年齢を理由にできない「不注意・多動性・衝動性」はADHDっ子の場合は顕著です。年齢が上がれば上がるほど。特に年長ではかなり顕著化してくるのがこのADHDだと思います。

 

この3つの特性のうち、何かひとつ症状として現れる子もあれば、のん太郎のようにバランスよく(笑)現れる子がいたりと、その特性は様々だと考えます。

 

 

最後の、ここでのん太郎が受診を決めたキッカケを書き留めておきます。

これから先もしかしたら誰かの何かの参考になるかもしない。それに受診を決めたキッカケはひとつの要因ではなく、無数の要因がいくつも重なりADHDという一つの疑い病名へと辿り着いたと私は思っており、

いつか育児でパンクする前に、育て方なんかじゃなかったんだと早い段階で気付けるように

ここに書き留めておこうと思います。

 

 

インターネットのチェックリストの中には、子供だったら全員当てはまるんじゃないか?というのもあって、私は受診になかなか踏み切れなかったけど、結果的にのん太郎の受診の決め手となった普段の行動を書いてみました。

 

 

 

 

 

 

□じっとしているのが苦手

→これ、よく言われていることなのですが、少し掘り下げたいと思います。

テレビを見ている時はじっとしていますが、その一方でテレビに夢中になると親の声も聞こえなくなります。いわゆるADHDの特性のひとつである過集中の状態。

※だから何かに集中している時に、じっとしていられるから大丈夫というわけではないんです。

 

 

またとりわけ年中、年長あたりになると、絶対に静かにしなければならない場面というものに遭遇にします。

何かの待ち時間であったり、誰かが大事な話をしている場面であったり。それは、のん太郎の興味のないものであったりするため、のん太郎にとって無意味とされる場面での”じっとする”というのはかなり苦痛なようです。必ず体のどこかがうごいています。

(※例えば、おしゃべりがずっととまらないのも多動の一つ)

 

普段も基本ソワソワ系男子ですが、絶対に静かにしなければならないという状況下におかれるいつも以上に落ち着かなくなり、わざと声を出したりします。そういうところ、とても気になっており、以前は不真面目だからと認識していましたが、本当に苦手だったんだなと最近は自分の考えを改めるようになりました。ただ、なかなか人にわかってもらえない行動の一つです。

 

 

□自分のものと人のものとの境界線があまい

□よく物をなくす・忘れ物が多い(次は忘れないようにしよう!とかがない)

□片付けが苦手。元の場所にしまえない。物は出しっぱなしやりっぱなしが基本スタイル。

□口ごたえが多く、基本的に『はい』と言わない

 

□自分の時間軸から抜け出せず、今自分がやりたいことを、常に最優先する。

□人見知り・場所見知りがない

 

□スーパーなどの魚売り場等で、ラップ包装してあるものを力強く触ってしまう。

それを、何度注意してもやめられない。

※触ってはいけないよときつく注意されても、自分の触りたいという欲求が勝りなかな自分の行動をとめることができない。

 

□目に入った気になったものには衝動的に触れてしまし、非常ボタンなどを押してしまったことがある

 

□怒られても怒られても響かない、あまり反省をしない

□怒られている時、人の目を見ることができず、わざと焦点を避ける

□頭がすごく良かったり、頭がすごく悪かったりする

□自分が周りからどう思われているか、あまり気にしない

 

 

□聞いて行動するより、図や文字を見て行動に移す方が得意

□興味があることに関しての記憶力がずば抜けているのだが、興味がないことへの無関心ぶりがプロ級。

 

□遊びを途中で切り上げることが苦手

□遊んではならないところとわかっていても、好奇心が勝る

□お友達と遊んでいた際の順番は守ることが難しい。

 

□一番衝突するのは、お母さん。

 

□ルールを破ってでも自分の勝ちにこだわる。

□「まぁ、いいか。」がしばしばできない。

 

 

 

 

 

 

 

 

あげるとキリがないですが、”困る”ということを視点に書いてみました。

 

 

 

ADHDっ子は怒られることが、どうしても多いです。

今までものん太郎と何度も何度も衝突してきたし、ADHDであっても注意しないわけにはいかないので、同じ内容で何度も何度もぶつかってきました。いくら言ってもわからないのが、やっぱりADHDの特性の一つなのだとしみじみと思います。

 

それはこの先も続き、想像以上の苦労がある。こればかりはその母親になってみないとわからない。

それに周りからは躾だよと思われている節があるので、なかなか世間の目というものもしんどかったりする。その目は育児を何倍も何倍もしにくくさせる。

 

 

 

 

子育てとは、

まずは生まれ持ったその子の”気質”を母親が受け入れることから始まるのだと思う。

のん太郎が生まれ、それを身をもって感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは、また次回の投稿でお会いしましょうね。