ご訪問ありがとうございます。みゅうです。
今日のテーマは『不登校』です。
一般的に発達障害児というのは、どうしても不登校に陥りがちです。
不登校まではいかなくても、低学年から始まった登校しぶりが高学年になった今もずっと続いているなんてことがよくあります。もうこればかりは仕方がない。特性満載っ子たちが、学校教育に、ましてや日本の学校教育になじめるわけがありません。
今は”学校は無理していくところではない”というのが、一般的な風潮のように思えますが、発達障害児の場合は、特性が原因によるところが多いので、それを訓練できる最適な場所は学校しかないと私は思っており、のん太郎の場合ですが、私は無理をしでも学校へ行かせてきました。
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そ*の無理というのは、
私の労力が削られ無理をしていた、というところもありましたし(今も)
のん太郎自身が学校という場所になかなか慣れずに無理をしていた、ということもありました。
正確にいうと、今も無理をしているしこの先もずっと無理をしていくのだと思います。
”学校へ行く”という当たり前のことが、こんなにもハードルが高いことだったということを、ADHDっ子を育てるまで知る由もありませんでした。
学校に行きたくない理由は様々でしょうし、それを言葉で説明するには子供には難しいことだったりします。
学校で過ごす時間は長いので、小さな嫌なこと、納得のいかない嫌なことが、いくつもいくつも混ざり合い、それはもう言葉では説明なんてできなくて、ただ一言「学校が嫌い」なんて言葉でしか表現できなくて、けれどその言葉に辿り着くまでには何百何千もの理由が重なり合う。
それが発達障害児の登校しぶりです。
ただし、発達障害児にとって学校とは勉強をするところではあるけれど
それ以上に人とのお友達とのコミュニケーションスキルを身に着ける場所です。社会に出るための大切な時間です。
もちろんそれは定型発達の子たちにも同じことが言えますが、特性っ子たちにとっては、それはとてもとても重要です。
ちなみに”コミュニケーション”という言葉を辞書でひくと・・・
定義:
人間が互いに意思・感情・思考を伝達し合うこと。
言語・文字その他視覚・聴覚に訴える身振り・表情・声などの手段によって行う。
どうしても一方通行になりがちな特性っ子たちのコミュニケーションなんて失敗の連続でしょうし、
定型の人たちからすれば、コミュニケーションは学ぶものではなく自然に身に付いてくるものだと思うのでしょうが
特性がある子たちは自然になんて身に付きません。
『自分の気持ちがあるように、人にも人の気持ちがあって、
あなたの気持ちがあなたのものだけど、お友達の気持ちはお友達のものなんだよ』
と、言葉で教えてあげて訓練をしていく必要があります。
これ、本当に根気のいる作業の連続なのです。
よく言う『自閉』、
自分の殻に閉じこもってしまうという解釈で終始しがちですが、
私が考える自閉とは、
『自分の考えばかりが中心で、相手も自分と同じ考えだと思い込む』ことも自閉の一つだと考えています。自分の世界、自分のルールだけで生きてしまう。
のん太郎は、この傾向が非常に強いです。
自分ルールが強い特性っ子の場合、相手も自分と同じ考えだと思い込む認知のずれのようなものがあり
それを修正できる場所は家庭では難しく、また特性っ子たちだけが通う療育でも難しく、
やはり学校しかないのだと思っています。
幸い学校は失敗ができます。
やり直しもできます。
いろんな子がいます。
だから、やっぱり学校が大切です。
のん太郎にはずっとずっと
『学校が一番大事だよ』と伝えてきました。
のん太郎が1年生の時でしょうか、朝の8時くらいから学校へ行きたくないという大きな癇癪が始まり
それが2時間~3時間くらいのほど永遠と続き、部屋の中はぐちゃぐちゃ、大声もすごいから部屋の窓は全部閉めて、
ただただその癇癪が治まるのを待った日も数知れず・・・・。
私はそれでも学校へ行かせました。私もボロボロでした。
ある時は、3時間続いた癇癪がおさまりようやく学校へ行こうとなった時、
疲れてもう歩けないというのん太郎を、自転車の後ろに乗せてアイスを食べさせ再びクールダウンさせてから
学校へ向かったこともありました。
そんな日々が何日も何か月も続いたある日、突然のコロナによる緊急事態宣言。学校へ行かなくてもいい大義名分ができた私は、当時誰にも言えなかったけど、一人ほっとして涙したこともありました。
よくも悪くも、学校という場所をリセットできた私とのん太郎。
毎朝の激しいバトル、胸を締め付けられそうな『学校へ行きたくない』というあの言葉。
それが日常と化したあの日々から解放されたのでした。
ただ、いずれ始まるであろう学校生活。
それを見据えてこれから先も不登校にさせないために親として何ができるだろうと考え辿り着いた結果と行動が
のん太郎が今でも学校に通えている理由かもしれません。
それは・・・
学校より家の方が居心地よい場所にさせてはいけない。
これです。これ、とても大事です。
誤解しないで欲しいのは、これは学校の授業時間の間という意味です。8
8時30分~だいたい15時くらいまでは学校があり
みんなそこで授業なり、学活なり、なんらかの活動をしている。
その間は、のん太郎の好きなことは一切させませんでした。
もちろんこれから先、たとえ学校へ行けなくなったとしてもそれだけは徹底させるつもりです。
当たり前のことだけど、ゲームやYouTube、テレビ、漫画、お菓子なども含め禁止としました。
本来『学校に行っている間できないことは、家でもないないんだよ』という絶対的なルールです。
ちなみにコロナの時は、おうち学校たるものをしており、スマホに学校のチャイムをダウンロードし1時間目~4時間目まで、できる限り学校時程で生活し、時間がきたらチャイムを鳴らしたりしておりました。
算数、国語、体育、図書、毎日がおうち学校、4時間時程。
もちろん大変でしたが、それよりもずっと大変なことばかりでしたので、休校中に学校時程で生活することは学校が始まった時にリズムを崩さないためにとても重要なことでした。
そして放課後の時間となった時に、のん太郎の好きなYouTubeやゲームを解禁しておりました。
お菓子やジュース類も放課後時間と決めており、娯楽との境界線だけは気を付けて生活してきました。
中学生までは義務教育
そう、当たり前だけど9年間は義務教育!!
義務教育というと、
『子供が教育を受ける義務』『子供は学校教育を受けなければならない。』
なんて思いがちだけど、この”義務”が生じているのは”親側”であって”子供”ではないんですよね。
だから、私ものん太郎が学校へ行けるよう最大限の努力をしてきたつもりです。
集団行動、時間厳守、多数派意見重視。
それに発達障害児は”字を書く”ということが苦手なことが多いので
板書やら漢字の練習、算数のドリル。
きっと特性っ子たちはストレスフル!
算数は式を書くのが苦手で、漢字は書き順無視、なんならひらがなの書き順も怪しい。
彼らにとってそんな苦痛な授業が毎日毎日ある学校を、好きになれ!という方が無理がある。
それでも、やっぱり学校へは行ってほしい。
本人たちは無意味と思っているけど、生きていく上で大事なスキルを少しでも習得してきてほしい。
発達障害児にとって、学校とは非常に大切な学びの場であるのだから。
先ほどお伝えしたように、学校のある時間帯は居心地の良い状況を作らないこと以外にも、
大切なこと出来ることがあります。
また、発達障害児を育てていると、親側も心身ともに疲れてくるので、物理的に子供と離れる時間というのも絶対的に必要です。だから子供のため、自分のためにも、学校へ行ってもらう必要があるかなと私は思います。
①月曜日は大事
これね、私の感覚的なところで
データがあるわけでも、脳科学のようなところで実証されているわけじゃないのですが・・・
「月曜日は必ず学校へ行く」って、とても大事だと思います。
特に子供の体ってちゃんと24時間リズムでできていて、朝があって夜があるように
週の始めである月曜日は、できるだけ時間通りに学校へ行く!
だから、できれば月曜日は晴れが良い!
月曜日に不調だとの次の日もなし崩し的になることが多かったので
まずは月曜日に、できれば遅刻しないで、たとえ遅刻したとしても
宿題をやってないとしても、いろんなことに親が目をつぶったとしても
何より月曜日は学校へ行くということを最優先にできたらと思います。
②遅刻してでも学校へ行く
これもとても大事です。5時間目からでもいい、給食からでもいい、保健室からだっていい。
”学校へ行った””学校へ行けた”ということが大事です。
休み癖という点でも、人それぞれ考え方が違うでしょうし、
”休み癖なんかつかないから休ませてあげるのも一つ”という意見が多いのも分かっておりますが
私はやっぱり休み癖ってつくと思うのです。
のん太郎が学校へ行きたくないと怒り狂った日、
この癇癪から逃れられるなら休ませてしまおうかと、幾度となく悩みましたが
やはり学校へ行かせて良かったと思います。
本人が楽である”学校を休む”という選択を日常的にしてしまっていたら
きっと今、彼は学校へ通えていない。
そしたら、もっともっと育児が困難化していってたと思います。まさに悪循環です。
学校の存在って、特性持ちを育てる親の場合、自分のためでもあるんですよね。
③登下校の付き添いをする。
自転車だっていい。ランドセルを持ってあげてもいい。
大事なのは学校へ行くこと。
④授業中の付き添いをする
これ学校によりできないところもあると思いますが、私2年生の終わりまで付き添ってました。それにより、今でものん太郎の学年の子たちの顔と名前が一致します・・・。
しかしながら私はこんな生活が毎日が続き、仕事を継続できなくなっていったのですが・・・。
決して夫の稼ぎがあるから仕事を辞められたわけではなく、私は定年まで働く予定だったので自分のローンは今でもありますし、
それでももう仕事を続けていける時間も心の余裕もありませんでした。
この話はまた今度。
それでは、また次回の投稿でお会いしましょうね。
美羽