ご訪問ありがとうございます。みゅうです。
病院勤務時代、退職した今でもよくこのご相談をお受け致します。
”グレーゾーンと言われたのですが、どうしたらいいですか?”と。
今日のテーマはまさにこれ、”グレーゾーン”。最近よく耳にする言葉だなと私は思います。
私の答えはいつも決まっていて
『確定診断を求めすぎないで、、、』
大切なことは
『今の困りごと少しづつ解決すること!!!(全て解決するのは難しいけれど!!)』
と、お伝えしてきました。
私も確定診断を求めて右往左往していた時期もあったけれど
発達障害の場合、必ずしも確定診断をつけることがベストではないなと思うことがしばしばあって
その思いは今もあまり変わりません。
今の困り事を減らすために医療機関を利用するというスタンスでいた方が
より良い育児につながると私は考えます。
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グレーという表現で安心したい心理
あまり知られていないと思うのですが、
医療機関において確定診断をつけるってなかなか難しいことだったりするんです。
それが初診であればなおのことで、それに病気の種別によっても変わってくる。
これは病院側としては実は至って普通なこと。
医師も疑い病名から始まり検査などを経て確定診断へと移る。その診断までのスピードが早いか遅いかは、もちろんその病気による。
けれど患者さん側からすると、病院にいけばすぐに診断をつけてもらって、適切な薬をもらって・・・という流れを想定して病院を受診する。けれど、時には思うような診断名をもらえず再受診となったり、だましだまし様子を見ていたら治った、もしくは悪化してしまった。などなど・・・・
みなさんも一度はそんな経験ないだろうか。
疾患に限らず、病院において確定診断をつけるのは難しいということを念頭に置き、読み進めて頂きたい。
さて、それでは心療内科、精神科の分野に至っての確定診断という場合はどうだろうか。そしてそれが子供だった場合。
貴方はどう思いますか?
血液検査やCT、MRIなどの画像診断で分かるわけではない。(※一部、診断には使われる事例もあり)
それに症状が流動的と言いますか、なんなら日内変動も半端ないこの発達障害児の行動特性。
昨日の穏やかだと思ったら今日は嵐・・・なんてのが通常運転の子たちの診断を初診でできるわけがない。
けれど、ドクターとしても自身の経験をもとに(診断をつける仕事でもあるし)
「この子、拘りがかなり強そうだな。」「ただの”やんちゃ”ってわけじゃなさそうだな」
っていうのがなんとなくあるけど、
「この短時間じゃなんとも言えないな。なんとも言えないけど何かありそうだな。」
という感じでグレーという言葉を用いるのかなと思われます。
思われますというより、絶対にそう。
確定診断がつく場合だとしても、
その症状がADHDから来るものなのか自閉症スペクトラムから来るものなのか、
一度のやりとりでは非常に難しいものがあります。
しかしながら母親としては白黒つけたいと気持ち、ほっとしたい気持ち、ものすごく不安な気持ち・・・など
様々な感情が交差する中での受診、ということもお察し致します。
ただ『真っ白な人間はこの世には存在しない』
強いて言うなれば『人類みんなグレー』
と、いったところでしょうか。
誰しもが得意不得意があって、それがいわゆる濃淡であり、その濃淡が発達障害分野では”凹凸”と表現され、その凹凸の差が激しいと”生きにくさ”といったものが生じる。だけど、その濃淡は誰しもが持っていて、だから真っ白な人間というのは、この世には存在しない。
それに発達障害児を育てていると、
(言い方は悪いけど)生粋のADHDっ子、生粋の自閉症スペクトラムっ子、
というのも案外少なくてどちらかが突出していたり、どちらも半分ずつの症状があったり、それこそ千差万別。
のん太郎の場合でいうと、ADHDが突出しているけどちょっと自閉気質もあるよね、そんな感じである。
ちなみにこれは、有名な本田秀夫先生の著書の本にも書かれていたので是非参考にして頂きたい。
私ものん太郎の発達障害を疑い始めた時に、ADHDなのか自閉症スペクトラム障害なのかを知りたくて
沢山の本を読んだり調べたり、自分の病院での経験を思い返してみたけれど、
発達障害ってやはり複合的なんだろうなという結論に達した。
そしてそれ以上に悩んだ末に辿り着いたこたえは
結果、診断名は別にどちらでもいいということ。
どちらでもいいし、何でもいい。
大事なことは、今ある困りごとを少しでも軽減すること。やはりそれに尽きる。それ以上でもそれ以下でもない。
発達障害児の病院受診というのはその為のものでなくてはならない。
グレーっ子の場合、それでも入学してみないとわからない
ここまでお読み頂きありがとうございます。
また次回、お会いしましょうね。
美羽