3. 博多区の弥生中期後半の御笠川河畔 
地図は福岡市博多区です。福岡空港の西側を御笠川が北へ流れています。福岡空港南端の東側の山裾に下月隈天神森遺跡が見えます。前に見た遠賀川式土器だけが多量に出土した遺跡です。図には無いですが、御笠川の東岸の大野城市には遠賀川式土器だけが出土する遺跡として、御陵前ノ椽遺跡中寺尾遺跡など、多数の遺跡があります。福岡空港の西区域に雀居遺跡が見えます。雀居遺跡は遠賀川式土器が数点出土しますが、大多数は朝鮮半島の無文土器です。高杯の割合が多いのも特徴です。更に遠くウクライナ起源とされる組立式の机も出土しています。雀居遺跡には遠くからの移民も混じっているようです。そして地図中央に史跡板付遺跡、G7aが確認できます。板付遺跡G7aは、夜臼式土器から始まり、さらに続いて板付式土器の最初期の遺跡として有名です。また、この板付遺跡G7aの最下層の夜臼式土器には稲作の根拠とも言えそうな籾殻が付着しており、共に弥生時代の始まりの遺跡としても有名です。


今回見ていくのは、弥生中期後半の御笠川にすぐ近い遺跡だけです。弥生中期後半の御笠川の住血吸虫汚染の影響を確かめるためです。見る遺跡は御笠川の西岸の3つの遺跡です。北(下流側)から順に、那珂君休遺跡、板付遺跡(市営住宅)1区、井相田D遺跡です。御笠川直近の遺跡です。

結果だけ先に述べると、那珂君休遺跡と板付遺跡(市営住宅)1区は、弥生中期後半に消失します。御笠川の住血吸虫汚染の影響をもろに受けたようです。最後の井相田D遺跡だけは、弥生中期後半・弥生後期そして古墳前期まで、遺跡が継続します。御笠川側(東側)に土手を盛上げて隔絶して、西側の小溝から水を引いて水田稲作を継続したようです。御笠川の住血吸虫汚染の水とは隔絶するという対策をしています。すぐ近くにあった、住血吸虫に汚染されていない小溝から水が引けた特殊な例です。御笠川河畔の弥生後期の他の遺跡はほぼ全滅です。

図左下に福岡市南区、右下に大野城市が一部見えますが、地図は、ほぼ全域が博多区です。