4. 弥生初頭の福岡平野

図中右上の31那珂遺跡と32比恵遺跡は、弥生海退の始まりかけた縄文晩期には、まだ海底です。しかし33雀居遺跡は少し早く、縄文晩期終末に遺跡が開始しています。33雀居遺跡は現在は福岡空港敷地内で平坦に整地されていますが、以前は東側の山の土砂が西へ流れ出し、現在の滑走路付近は高さ1m程の丘陵になっていたのでしょう。

 

那珂遺跡から見ていきます。

 

※ 最初におことわりしておきますが、各遺跡は発掘調査後に宅地造成や道路工事により削平され残念ながら残っていません。新興住宅地であり現在の居住者は遺跡とは無関係です。

4.1. 那珂遺跡37次

那珂遺跡の37次発掘調査地点です。那珂遺跡37次は写真、図より2重環濠を持つ遺跡です。図の下部は発掘時点で既に表土部分が削平されていたことを示しています。



図に見るように外環濠は元々深さ5m程あったと推定されますが表土2mが発掘時点で既に削平されていました。弥生時代前期の遺物は環濠の底の方で出土しました。

出土土器

[那珂遺跡37次, pp.11-12]
“図15はおもに中下層に出土した遺物であり、図化できるものは全て示した。一部上層で出土した同時期のものも含めている。93-104は甕類、94-96は甕類、97-104は甕・類である。117-131は甕底部である。130、131は底部が厚く前期末から中期初頭の特徴を持っている。105-116は壷である。105は壷類、106、107は壷類、108は壷類である。107-113は壷底部である。107、108は円盤貼りつけにて底部を造り出している。これらの遺物は夜臼式から板付Ⅱ式、そして城ノ越式に位置づけられるものであり、相当の時期幅がある。調査時に厳密な層位的取り上げをおこなっていないために本遺構に本来ともなう遺物と二次的に含まれた遺物の区分を明らかに出来ない。”


層位付けを何らかの理由で行なっていないのではっきりしませんが、本遺跡の最下層の夜臼式土器は板付式土器共伴期のもののように見受けられます。「縄文晩期~弥生早期の板付遺跡G7abより少し海側にあること」さらに「戦時下が想定される環濠が築かれていること」より、中国南東部では宿敵同士だった呉の移民が来福したBC473頃が想定されます。先着のドルメン(支石墓)系は浙江省・福建省の越系ですから。つまり那珂遺跡37次の出土土器は福岡平野で呉越が入り乱れ始めた弥生前期初頭の夜臼式土器と考えます。那珂遺跡37次は早くても弥生前期初頭以降の遺跡です。

4.2. 比恵遺跡6次
比恵遺跡は那珂遺跡の北側ですから、那珂遺跡が始まった時にはまだ確実に海底です。前述より那珂遺跡は弥生前期初頭の開始を想定していますから、より北側(海側)の比恵遺跡は、それ以降、弥生前期中頃~後半に開始したと考えられます。なぜなら弥生前期末のBC200頃には既に存在していましたから、その前です。

比恵遺跡6次では、福岡平野の弥生時代としては珍しい木槨墓(もっかくぼ)という墓制が出土したことです。報告書を読んでみます。

[比恵遺跡6次遺構, p94]
“また土壙墓のうちSX02・03・06土壙墓は明らかに木棺を使用したものと考えてよい。このうちSX03土壙墓は前期の様に側壁長、小口幅が4~4.1×1.8mを測る長大な墓抗をもつ木棺墓であり、二段をなす墓抗の内側壁に沿って溝状施設を配し、謂はば木槨墓的構造をもつものと思われる。”


“類似する形態を有するものは春日市伯玄社遺跡および嘉穂郡穂波町スダレ遺跡などで知られている。スダレ遺跡例は弥生前期中期前半に亘る木棺、土壙墓55基中の1基D-35号であり、墓壙の長、幅が447×425cmを測り、方形をなす。木棺は内法で長さ175cm、東端幅60cm、西端幅33cmとなるが、この木棺をとり囲むように内法長、幅が210×98cm、幅約10cm、深さ5cm内外の長方形掘込みがあった。調査者は木槨墓の可能性もあるとしている。”

“SX03土壙墓には前期の様に墓抗南壁上にSK16甕棺墓(中期後葉)が営まれており、少なくともこれより古い造営時期にあたり、また覆土中からも中期中葉に降る土器類の発見はなく、中期前葉甕棺墓との切り合い関係もなく、SK17・28甕棺墓と並列する位置にある点でこれらよりやや古いか或は同時期に位置づけられる可能性が高い。”

[比恵遺跡6次遺構, pp.44-45]
“SX03土壙墓(Fig.34・PL.27) SX03土壙墓は甕棺墓北辺からやや南に位置する。同墓は主軸を…ほぼ東西方向に向け、墓壙掘方・主体部の南辺上に弥生中期後半以降に属すると考えられる胴部下半のみをのこすSK16甕棺墓が営まれている。… 外側にあたる上部堀方は側壁長4~4.1m、小口幅1.8m程度の長大なものであり、深さ0.25mを残す。また内側にあたる下部堀方は側壁長が3.8m~3.85m、小口幅は東・西でそれぞれ1.1m・1.3m程度となっているが … いずれも壁面下に沿って小溝状に掘られた部分が見付かった。北壁に沿うものは長さ232cm、幅9~10cmをはかる。… これら下部堀方側壁に残るのは更に内側にある主体部の外側にあることから板材をこれに並べたてて謂はば「槨」的施設とした可能性が高いところである。… 次いで主体部は側辺長2.7m、小口幅50~60cmをはかり、横断面は半円状となる。”


弥生中期の木槨墓は九州北部では珍しいのですが、嘉麻市の鎌田原弥生墳墓群でも発掘されています。この鎌田原弥生墳墓群では、弥生中期としては、さらに大変珍しいヒスイも出土しています。このヒスイについては、シリーズ3で詳しくお話します。木槨墓は、弥生中期の九州北部ではまだ珍しい墓です。槨が有り、棺も有る、当時の大陸・朝鮮半島の王族系の墓制です。

秦の始皇帝に滅ぼされた燕か斉の遺民かもしれません。朝鮮半島を素通りして九州へ渡海し、海岸より離れた山奥に逃れていたのかもしれません。そうであれば、直後に始皇帝の命により、徐福に連れられて佐賀を訪れた山東省の子供たちは宿敵ということになります。ずっと後に魏の曹操と青州兵軍団は、徐州で生きるものがいなくなるまで徹底的に虐殺していますから、リベンジという執念が凄まじいものであることが推察されます。

 

 

4.3. 雀居遺跡4次

[雀居遺跡4次, ]
“概要 第4次調査で出土した遺構は、堀立柱建物26棟、土坑22基、不定形土坑11基、竪穴状の大形土坑1基、溝10条である。遺構は基盤となる第11層のシルト質土に掘り込まれている。調査は西側部分から開始し、中央部に位置する環濠SD02を含めて西側をⅠ区、環濠内側の東側部分をⅡ区として便宜的に区分している。”


Ⅰ区の縄文晩期の土器
報告書p137の表より、次図の報告書Fig.81の浅鉢は全て縄文晩期終末のものである。

Ⅱ区の縄文晩期の土器
報告書p147の表より、次図の報告書Fig.121の浅鉢は全て縄文晩期終末のものである。

 

机の組立式木製品

雀居遺跡は机の木製品の遺跡としても有名です。図のように組立式の机の一式が出土しています。但し時期的には弥生中期前半 - 中期中頃のものです。

次回からは、弥生中期前半~中期中頃の福岡平野を見ます。福岡平野の奴国の最盛期です。そして奴国王は後漢・光武帝より金印を授与されました。


引用文献
1. [山の寺梶木遺跡]
全国遺跡報告総覧, https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/14772
県内主要遺跡内容確認調査報告書2, 長崎県文化財調査報告書151, 長崎県教育委員会, 1999. 

2. [里田原遺跡]
全国遺跡報告総覧, https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/15744
里田原遺跡, 
町道里田原西線改良工事に伴う調査, 田平町文化財調査報告書5, 田平町教育委員会, 1992.

3. [御笠地区]
九博, https://www.kyuhaku.jp/dazaifu/library.html, No.154
御笠地区遺跡 御笠地区県営圃場整備事業に伴う発掘調査, 筑紫野市文化財調査報告書第15集 本文編, p138, 筑紫野市教育委員会, 1986. 

4. [十郎川(二)] 十郎川 二, 福岡市早良平野 石丸・古川遺跡, pp.11-14 pp.27- pp.87- pp.133- pp.139- 図版6-29 図版30-47 第4章図版1-4, 住宅・都市整備公団九州支社発行, 福岡市教育委員会編集, 1982. (購入書籍)

5. [諸岡遺跡F区]
全国遺跡報告総覧, https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/16949
板付周辺遺跡調査報告書(3), 
福岡市埋蔵文化財調査報告書36, 福岡市教育委員会, 1976.

6. [板付遺跡G-7a・b]
全国遺跡報告総覧, https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/16963
福岡市板付遺跡調査概報(5)1977~8年度, 
福岡市埋蔵文化財調査報告書49, 福岡市教育委員会, 1979.

7. [板付遺跡E-5・6]
全国遺跡報告総覧, https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/17012
板付, 板付会館建設に伴う発掘調査報告書, 
福岡市埋蔵文化財調査報告書73, 福岡市教育委員会, 1981.

8. [板付遺跡E-5b]
全国遺跡報告総覧, https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/17026
板付周辺遺跡調査報告書(8), 
福岡市埋蔵文化財調査報告書83, 福岡市教育委員会, 1982.

9. [橋本一丁田遺跡Ⅱ区]
全国遺跡報告総覧, https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/19713
福岡外環状道路関係埋蔵文化財調査報告5, 
福岡市西区橋本一丁田遺跡第2次調査・橋本遺跡第1次調査, 福岡市埋蔵文化財調査報告書582, 福岡市教育委員会, 1998.

10. [那珂遺跡37次]
全国遺跡報告総覧, https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/17660
那珂11, 二重環濠集落の調査, 
福岡市埋蔵文化財調査報告書366, 福岡市教育委員会, 1994.

11. [比恵遺跡6次遺構]
全国遺跡報告総覧, https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/17040
比恵遺跡, 第6次調査・遺構編, 
福岡市埋蔵文化財調査報告書94, 福岡市教育委員会, 1983.

12. [雀居遺跡4次]
全国遺跡報告総覧, https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/17742
雀居遺跡2, 福岡空港西側整備に伴う埋蔵文化財調査報告, 
福岡市埋蔵文化財調査報告書406, 福岡市教育委員会, 1995.