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昨日、例年よりかなり遅めの初雪が降りました雪

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今日、祖母の会社のお庭を撮りました。カメラ

今朝の気温は2℃、凛とした空気。
冷蔵庫のチルド室を想像してみてね。
チルド室は「おいしさキープ」というけれど、、にひひ
冬のはじまりの寒さは身に応えます。

明日は一日中、雪が降るそう。
今年も、厳寒の冬が訪れてきたようです。
闇を光に変えた奇跡の人、三重苦の「ヘレン・ケラー女史」の言葉。
「幸せの扉が一つ閉じる時、新しい扉がまた一つ開くのです。
それなのに、しばしば私たちは、閉じられた扉を長く見つめすぎて、
私たちに向かって開かれている扉を見ないのです。」

この演奏、とってもきれいです。
辻井伸行「コルトナの朝」
この曲は彼の自作です。

ヘレン・ケラーはこのような言葉も残してくれています。
「一番素晴らしく、一番美しいものは、目で見ることも、
さわることもできません。それらは『こころで感じる』
ほかないのです。」
こころの眼を磨かなくちゃです。

ハンデを負と捉えるのではなくて、
生かす生き方は素晴らしいなと思います。

クリニクラウン(臨床道化師)というのは、クリニックと道化師を
掛け合わせた言葉なのですが、日本ではあまり浸透していないでしょうか。

アメリカの医師ハンター・アダムス(通称、パッチ・アダムス)が、
笑いの効果を治癒に生かそうと考え、50年ほど前に活動を始めたそうです。
医師が活動する場合は、クラウンドクターということになりますね。
映画「パッチ・アダムス」は、アダムス医師の半生を描いた作品ということです。

文字通り、まぁるい赤鼻を付けピエロの恰好をして入院中の患児の部屋を
訪れて笑いを届けるのです。
オランダでは20年前に財団が設立され、多額の募金によりクリニクラウンは
職業として確立されています。

昨年、研修先の東京の大学病院でクリニクラウンの活動を目の当たりにし
感動したのを覚えています。
日本では10年ほど前に、事故で娘さんが入院した日本に住むオランダ人夫妻
の「どうして日本にはクリニクラウンがいないのか?」という素朴な疑問により
オランダ総領事館からの要請で、オランダ人クラウンの派遣が医療機関に
浸透していきました。日本人のクラウンは、6年前に公開オーディションで
選ばれた男女4人が誕生、ということで日本は発展途上なのです。

看護、衛生の基礎知識や小児心理学などの知識も求められ、
加えてコミュニケーション能力や環境への配慮といった常識も問われる
らしいのですが、、んー。。。┐( ̄ヘ ̄)┌

個人的には、一番問うて欲しいのは患児の目線に立てるかどうか、
こころに寄り添えるかどうか、で判断してほしいのです。
あとは医療従事者である私たちに任せていただいて結構なのにと思うのです。
そうでないとこの尊い活動が、いつまでも普及しないような気がしてなりません。

入院患児のみならず、被災地の子どもたちのこころも軽くしてあげられるはず。
柔軟な対応で、優しい活動が拡がることをこころから望みます。

宮沢賢治の詩や童話が好きで、子供の頃からよく読んでいました。
光、風、情景がすぐ目の前で感じることのできる言葉が
散りばめられていますから。

作品の中から「グスコーブドリの伝記」を紹介させていただきます。

きこりの息子として幸せに暮らしていたブドリ。
10歳のころ、冷害による飢饉のために両親を失い、
妹のネリをさらわれてしまいます。
その後、奉公先の「山師」に酷使されたり、「大百姓」の家で
働くのですが、「山師」の家では紙箱の中の10冊ばかりの本
(童話の中では「まるで読めない本」、「いろいろな木や草の
図と名前の書いてある本」と表現されています。)をむさぼるように
して読みます。「大百姓」の家でも一山の本を片っ端から読むのです。
まるで、家族を失った悲しみに打ちひしがれ、運命に翻弄されそうな
自分を払拭したいように。

寒さと日照りのため作物の栽培ができなくなり、町へ出たブドリは、
クーボー博士に学才を認められ(奉公先での読書の賜物)、火山局で
働くようになります。そこは、火山エネルギーを利用して人工降雨させ、
旱魃や飢饉をなくそうとする、命懸けの仕事をするところでした。

やがて技師として活躍し、生き別れた妹とも再会をします。
彼が27歳のとき、再び深刻な冷害がイーハトーヴの町を襲います。
ブドリは、火山を人工的に噴火させることで大気の温度を上昇させ、
人々の暮らしを守ることを提案します。けれどそのためには、
誰かが最後まで火山に残り、犠牲にならなければならなくて。

結局、反対する博士たちを説得して、ブドリがその役目を引き受けて
イーハトーヴは飢餓から救われる。という物語です。

「自己犠牲」のお話に思われるようですが、(事実、戦後
「自己犠牲」を過度に美化した作品と批判されています。)
「グスコーブドリの伝記」


冷害による飢饉で大切な家族を失い、それによって悲しみ、苦しみ、
過酷な運命を背負う人を出したくないと強く願い、それとともに、
人柄にある高尚さと高徳によっての結論なのだな、と思うのです。

宮沢賢治の自伝的なお話とも言われていますが、
造語の名手だった賢治は、「イーハトーヴ」を自分の故郷「岩手」を
もじり、また「理想郷」と意味付けて作りました。

宮沢賢治誕生の年に二つの大地震が発生し、また幼い時には冷害により
生活が困窮するという経験もしています。

賢治は、物語の中で予期できない「災害」という深い闇に
主人公であるブドリに「挑戦」をさせ、
賢治がこよなく愛した故郷「理想郷」に住む人々の暮らしを守りたい、
ブドリと同じ運命を背負わせまいという思いを
託したかったのでしょうか。

もし賢治が現代に存在していたら、
どんな言葉を光と風から生み出してくれるかな。
今、賢治のように生きるのは難しい事なのかな。
宮沢賢治が愛した曲
札幌の手稲山(札幌市では一番高い山です、標高1023m)に
初冠雪の便りが届きました。
ちなみに「初冠雪」とは麓から見て山頂に積雪を確認したということです。
平地に初雪が降るのはもうすぐということになります。

この時期決まってご近所さんとのご挨拶は
「お寒いですね、もう冬支度をしないとね、、、。」
のようなお話になります。

北海道はでっかいどーニコニコなので、地域によっては積雪のない場所もありますが
わたしの住む札幌は積雪はもちろん、
一月、二月は最高気温が氷点下になります。

今の時期の風物詩でもある大根干し、、、てかこのサービスには
ビックリですが、こんな光景が各家庭の軒下で見受けられます。
干した大根は一旦塩漬けにし、沢庵や玄米漬け、粕漬けにします。
あと少し珍しいものをご紹介しますね。
「札幌大球」
おばけキャベツでしょ?直径70、80cmになるものもあるんですよ。
主に、鰊漬けにします。お魚とのコラボはナカナカなのです♪

雪深くなるので、越冬のための野菜の保存食として先人から伝わる
「漬物作り」です。作り始めから漬かるまで五十日位要します。
我が家では、漬物の入った樽が五種類ほど物置きに並びますよ。
幼い時から、大根を洗うことを始めることからお手伝いに駆り出され
見よう見まねで覚えたように思います。
このような伝統を面倒がらずに続けてくれた祖母や母に感謝です。


冬の寒さ、厳しさを知っているからこそ、
春の暖かさを存分に実感できるように思います。
そんな事を思いながら、、、人は、
苦しみの闇が深い分、大きな幸せの朝を満喫できるのかなぁ。

もうすぐ長い、長~い冬が始まりますかお
今朝の地方紙には素敵な言葉が溢れています。
「北海道日本ハムファイターズ」のリーグ優勝が決まり
監督はじめ選手たちのコメントの中に、「ありがとう」
「~のおかげで」、という感謝と、たとえ成績が不振でも
認めて信じてくれている監督やファンに何としてでも応えていきたいと
いう清々しい言葉。

監督就任1年目の栗山監督が「優勝できた要因は?」と聞かれて
結びにこう語っていたのが印象的でした。
「最後は選手の心が優勝へ導いてくれた。僕も片思いでもいいから、
選手全員のことを思い続けた。一緒に野球ができて幸せ。」と。


あまり野球のことはわからないのですが、勝負の世界で生きている人たちが
勝ち抜いてきての言葉には説得力と感動があります。

個々人であっても信頼や信用を確立するのは
容易ではないけれど、失うのは一瞬と思うのです。
数字に囚われがちなプロの世界で、表面上だけを見るのではなく
信じるということを貫き通し、その心に応え結果を残すということは
並大抵の努力ではなかったでしょうね。

わたしもがんばろっ♪と思わせていただいた1日でした音譜
ペタをつけて下さる方のブログ記事のコメント欄に
こんな言葉がありました。

「希望はあなたを見捨てたりはしない、あなたが希望を捨てるのだ。」

何かとっても感動しました。


この言葉に勇気をいただいたのは、わたしだけではなかったようで、
人のこころを潤す言葉は、とても心地よいものですね。
がんばろっ♪ニコニコ
小学四年の頃からでしたでしょうか、「宮沢賢治」の書物を
読むようになったのは。
中でも「雨ニモマケズ」は、多感な時期も手伝ったのでしょうか、
ポロポロと涙を流し、一行一行噛み締めながら読み進めたものです。

特にこの詩の後半「東二病気ノコドモアレバ」からは、
わたしが幸せにも天職と思える職業を選択するまでの根本
となってくれたように思うのです。
傍に行って苦痛を取り除くことをし、辛苦の人に共感し、
どこまでもどこまでも寄り添い、良くないことは諭してやり、
そして目立つことを拒み、野の花のような存在に徹することを望む。

強い人にしかこういう生き方はできないのかな?

理想なのでしょうけれど、今いる場所でしっかりと根を張り
まず自分の周囲から始めていけばいいのかな、と思います。かたつむり

この「雨ニモマケズ」は仕事だけではなくて
わたしの人生の「原点」だと思っています。(おとなじゃん!わたし♪)
何か大きな壁が目の前に立ちはだかった時、
「原点」に戻ることができるということは
幸せなことだなぁと感じています。音譜



仕事で子どもたちと接していて心がけていたことの一つとして
「子どもだから、難しい話はわからない。」といった
先入観をすてること。
医療の現場で、子どもであってもインフォームドコンセント
円滑に進められた場合(治療法などの選択は保護者ですが、、。)
医師、担当スタッフと患者である子との信頼関係が、より深まり
治療がスムーズに進むということも少なくないのです。

話は逸れますが、わたしが子供の頃見ていた
アニメ「それいけ!アンパンマン」で
流れる歌の歌詞を紹介させてください。
アンパンマンのマーチ
アンパンマンたいそう

作詞はアニメ原作者のやなせたかし氏です。
幼児向けのアニメの主題歌にどうして難しい言葉を用いたか?
やなせ氏は「まだ言葉の発達が十分でない幼児期だからこそ、
美しく希望にあふれた言葉に出会ってほしい。」と。
文言は正確ではないけれど、このようなことを語られていたと
思います。難しいと思っているのは、子どものこころを忘れてしまった
大人が言うのであって、子どもはそうは思っていないのでしょうね。

先にお話しました、インフォームドコンセントの件にもありますように
大人が、たとえ幼児であっても一個の人格を持った人として尊重して
対話をし、誠意をもって接するならわかってくれるはずです。
納得したその子は、厳しい現実を突きつけられても覚悟をして、我慢し、
そして希望を持つのです。

アンパンマンは、ご存知の方もいらっしゃるでしょうけれど、
空腹の子がいると「あんぱん」でできた自分の顔を千切って施します。
結果、悪者と戦う力が落ちるとわかっていても、目の前の人を
見捨てることはしない。それでありながら、たとえどんな敵が相手でも
戦いを放棄しないのです。この展開についてやなせ氏は、「ほんとうの
正義というものは、けっして恰好のいいものではないし、そしてそのために
必ず自分も深く傷つくものです。」と。

ここまで犠牲的にならないにしても、わたしが今の立場で
未来を担う子どもたちに渡してあげられるものを、
はっきりと示していける大人にならなければいけないなと思います。
大人になるということ、生きるということは
「満更でもないよ。」という言葉を添えて。

ピグ友さんとお話をしていて、映画「スターウォーズ」のテーマ曲が
頭を過ぎり、ふと懐かしい思いに浸ることができました。

中学時代の部活は吹奏楽部でクラリネットを吹いていました。
もちろん「スターウォーズ」も合奏しましたし、ジャンルは
クラシック、ジャズ、ポップスも。
クラシックで特に印象深い曲はジョセフ・オリヴァドーティの
バラの謝肉祭

オリヴァドーティはイタリアの作曲家でオーボエ奏者でもあるそうです。

最近は専らオーケストラ(管楽器、弦楽器、打楽器打楽器で編成)の楽曲
ばかり聴いていたので吹奏楽(管楽器を主体として打楽器を加えた編成)
の演奏はとっても新鮮。。。
 
中学生のころは毎日毎日練習もしたし、なによりも
良い仲間に囲まれていたなぁと思います。
お金じゃ買えない、かけがえのない宝物です。