先週の日曜の夕方、しょうもないことでダンナとけんかをした。

たぶん、ケンカをふっかけたのは私だ。

土曜日に、日帰りですこし遠いころに遊びに行って、ずっと運転していたダンナは疲れていたし、日曜は出かけたくない感じだった。

ゴロゴロしているのがたまらなく、ケーキでも食べに行こうよーと言っても却下され、そのあと何があってあそこまでケンカに発展したのか本当に覚えていない。

もういい!と、ひとりでサイフをつかんででかけた。

そのまま二時間くらいブラブラして、コーヒーだけ飲んで、ケーキを買って帰った。

どこで何をしていた?と聞かれ、ひとりで飲み屋で飲んでた、といってみた。

そんな勇気ないくせして、といわれた。

勇気とかいうより、飲み屋で1000円飲むならケーキのほうがずっと好きなのだ。


で、ここから。仲直りを試みようとするダンナ。

ゴハンつくるけど、食べる?といわれて、うんと言ったものの、あまり食べたくない。

つくってくれたゴハンを、ダンナとは離れて私はリビングでソファーに座って食べた。

夜は一緒に寝たくなくて、ソファーで寝た。


そして、日曜の夜中から、急激に私は調子が悪くなった。

月曜に、救急病院にいった。


ボーっとした意識の中で、ああ、わたしバカだなーとずっと考えていた。

ダンナが飲酒していたころのことを考えると、私たちはいまずっと幸せだ。

休日にはでかけたり、仕事のあと待ち合わせをしてゴハンたべたり、お茶したり、ただブラブラと散歩したりよくする。


それなのに、日曜日、わたしにかまって、かまって、かまってちゃん、だった私。

ケーキくらいで、といわれている気がした。


木曜には調子がよくなった。


そして、今日はまた日曜日。

ダンナは、朝から仕事ででかけている。ちょっとほっとした。

たぶん、今日はケンカはない。

外は朝から雨だ。

保存用のトマトソース、ペストソースをつくり、つづけてピザを焼き、オーブンが温まっているついでに、アップルパイを焼いて、天板の端でオートミールクッキーまで焼いた。


最近では、むっとすることがあると、

ほんと、アルコール依存症と生活するのって大変!と言うことにしている。

冗談めかして言うことで、自分にいいきかせている。

これは、わざと私を怒らせて、ケンカにもっていき再飲酒に持ち込む理由付けしようとしているんだ、アルコールの悪魔が!ひっかかるな私。


少し前に、AAのダンナの友人が言っていた、ダンナを支えてあげて、というのはこういう感じを想定しているのかな。

ダンナの断酒が続いているからって楽しいばかりではないことにイライラしている私。

ひっかかるな、罠にはまるな。

どこで、どういうときに、なにが原因で飲酒が再開されるかわからない。

そうなってから、祈り始めたからって遅いのだ。


とにかく、今日は、平和な週末をすごせたことに感謝。

ダンナが帰ってくる前に、好きなDVDを見よう。

前回のアラノンでの微妙な発言を受けてから一度もアラノンに行っていない。

仕事が忙しかったこともあるんだけど、なんだかわざわざイヤなことを言われるためにいくのがいやになった。

たまたま夕方ごろ買い物をしていたところ、その日はアラノンの日だったんだけど、グループのメンバーに偶然会った。

彼女もその日はサボっていたらしく、最近行っている?いや行ってない、と二人でちょっと話した。

たぶん、グループのなかで、私と彼女は最も重症なアル依存ダンナを持つ二人で、そういうのもあってか何となく暗黙の了解というか、グループのあとにちょっと話すこともあった。

私も彼女もミーティングの場ではそんなに話さないほうだ。

他の人が、延々と、で、あなたの場合、家族の誰がアル依で、いったいそれがどういう影響をうけてるの?と思うほど関係のない話をするなか、深刻な話題を持ち込むのが私と彼女。


もし、もう一度、アラノンに、というかあのグループに行くことがあるのならば、信頼できそうなあの年長の女性に私の気持ちを話さなきゃ。

そうじゃなきゃ、保育園代わりに子供をたくさんつれてこられたり、思い余って泣いてしまったときに目の前でジーッと見つめる子供は、悪いけど私はうんざり。

アルコール依存症の家族や友人と深い関係にない人に、えらそうな意見を言ってもらいたくない。

アルコール依存症だけど、そんなに深刻じゃないんだよねー、ありがたいことに、なーんて気軽に言うのはやめてほしい。


一時期は、週二回のミーティングを楽しみにしていたくらいなのに、今は、もういいや、という感じ。


ちょっと遠くのミーティングに行ってみようかなと探してみたものの、重い腰が上がらない。


ダンナはというと、断酒は続いていて、仕事もなんとか慣れてきて、私たちの関係もなんとなく落ち着いている。が、問題はAAに前ほどは通っていない。

仕事が終わる時間が6時すぎで、彼のグループが5時~7時。

遅れても行けばいいのに、もしくは時間的にあうグループに行けば?と思うんだけど、こればかりは放っておいている。

最近は土日のみになっているみたい。


AAの仲間に、たまたま私が道であって、どう?旦那さん、最近あまり行ってないよねーといわれた。

忙しいみたいで、と答えると、今は毎日でも通わなければいけない時期なんだけどね、支えてあげて、といわれた。

支えてあげて?どうやって?何を?


そういうわけで、ダンナの飲酒問題については二人で話すこともほとんどない。

よいのか悪いのか。

たまに、テレビでアルコール依存症やドラッグ依存症の特集や、そういう映画をやっていると必ず見る。

そういうところは変わったかなぁ。

そして、それについて、いろいろ話したりする。


なんとなくだけど、前よりも、信頼関係とか愛情が深まったような気はする。

徐々に状況はよくなるから、という言葉を信じよう。

月曜の朝、ダンナが仕事に行く前に、コレあとで読んで、と手紙を渡してきた。

手紙をもらうなんて久しぶりだ。

昔はバカバカしいラブレターや詩をよくもらっていたのに、いつの間にかそういうのがなくなっていた。

たぶん、前日の夜、ネットするといってリビングにいたのでそのときに書いたのかな。


長い長い手紙。


どんなときにも、私のことを心から愛しているということを忘れないでほしい。

とにかく、自分は変わりたいと思っている。

だから、この先、一緒に幸せになれるように、どんな困難や誘惑があっても手を握り合っていこう。

子供のことをもう一度ちゃんと話し合おう。養子のことも真剣に調べよう。

神を信じて希望をもって生きていこう。

etc. etc......

たくさん話したいことはあるし、いくら書いても書いても書ききれないけれども、なんで面と向かっていつもいえないんだろう。

ここ数年間、自分が原因で起こったさまざまな問題、傷つけたこと、すべて、本当に申し訳ないと思っている。こころから誤りたい。許してほしい。


何度も何度も読み返した。

許すも許せないも、忘れることはできないのよ。

ちょっとしたことで思い出す。

わたしだってあなたにヒドイことをしてきた。

自分ではなかったのではと後になって思い出すほどの大喧嘩だってしてきた。

だから、わたしに、よし、許したいう資格なんてない、そんな大それた人間でもない。


口達者な彼に、許してと泣き顔で頼まれても疑い半分でしか見れなかった。

でも、許してほしいと文字で読んだとき、涙がとまらなかった。


もしかして、AAのステップでいう棚卸しっていうのをやっているのかもしれない。

それでもいい。


結局、完璧な夫婦なんてめったにいないし、それぞれの欠点をどこまで受け入れることができるかだと思う。


それが、うちのダンナの場合はちょっとした失敗が死につながるかもしれないということなのだ。


不安定な生活。

わたしが、それをどこまで、いつまで受け入れられるか。

自分で決めるしかないのだ。

私がフラフラしているのがいけないんだ。

だから、義母にも受け入れられないし、アラノンであんなこと言われたりするんだ。


少なくとも、ダンナは自分の欠点に向き合って、自分の人生をどうにかしようとしている。

わたしだってがんばらなきゃ。

木曜日にアラノンに参加した。

私の参加しているグループは、毎回だいたい10人~15人程度の参加者がいる。

それぞれ、ダンナさんがアル依だったり、息子だったり(このケースが多い)、兄弟だったり、義父母だったりする人がいるのだけど、ほとんどそういう人たちと関わりがないひとたちもいる。

本人の愚痴のはけ口、攻撃的な性格を落ち着けるため、精神的に不安定でカウンセリング代わりに、という人もいるのがだんだんわかってきた。

わたしのケースは、おそらく、その中でも一番、危機的。

連続飲酒・山形飲酒も経験し、仕事もクビになったりした、アルコール依存症末期の、ダンナをもつ。


わたしは、毎回、同じことを話しているのかもしれない。

こんなことがあって、こんなことを思い出す、いつ再開するか心配、こんなことでケンカした、義母に嫌われている、今日一日とかいっても将来のことが心配、etc.etc...


アラノンってアドバイスはしない、言いっぱなし、ききっぱなしのはずなんだけど、たまにこうしなさい、という人がいる。


その日、私が話した後に、司会者が、いきなりアドバイスをしはじめた。

10分~15分もつづくかと思う熱弁。

あなた、いつもおなじことばかりいっている。

あなたはね、共依存でね、あなたとダンナさんが一緒だとよくないのよ。

別れたほうがいいのよ。

自分の人生を生きなさい。

アルコール依存症は治らないの、うそつきなの。

連続飲酒で死ぬはずはないの。

子供がいないんでしょう、よかったじゃないの、別れなさい。

悪循環に陥っているのよ、

放っておいて死んだからってあなたのせいじゃないの。


聞きながら、納得できることもあるんだけど、あなた何者?とどこかで思っていた。

彼女は、遠くに住む兄がアル中というけれども、聞いている限り、終末に友達と飲みすぎる程度のような感じで、実際、毎回、彼女の話の中に兄の話はまず出てこない。

よくわからないけど、ダンナが昔不倫していたときのことを許せずに、いろいろと吐き出しにきているのだ。

そういう、あなたに、何がわかるの?と思っていた。

あなたは、アル依じゃないダンナがいて(会の前にちょっと話して、ありがたいことにウチのダンナはアル依じゃないのと言ってて、ふーんいいわね、と思った)、かわいい娘がいて、別にアラノンに来なくてもいいんじゃないの?

そんなアドバイスいらない。

私は、ただ聞いてほしいの。


狂気ともおもえる連続飲酒とか見たことないでしょう?

アルコール依存症で亡くなった家族とか友達とかいないでしょう?

残された家族がどんなに、何年も何年も後悔しているか知らないでしょう?


自分が決心できるまで、ただ、自分の話を恥じることなく話せる場所のはずのアラノンで。

たぶん、彼女は、共依存に関する本を読みまくっているんだと思う。私と同じ。

話の端々にそう思わせることばがでてきた。

私が、あまりずるずるとして、決心しないからそんなこと言われたんだなと思った。


年長のかたが、その後に、何度も同じこと話したっていいのよといってくれた。

アラノンは、本当は、こうしなさいとかアドババイスはしないところだからと言っていた。


でも、その晩から、ちょっとしたことで涙がでてくる。

言われたいろんな言葉を思い出す。

ダンナにはその日のことを話していない。


アラノンで、すべてのことを私は話しているわけでもない。

まだまだ信頼できないのだ。

だから、恐る恐る話してている、でも、飲酒問題に起因する夫婦関係については吐き出している。


アラノンに子供を連れてくる人が何人もいて、多いときは6人とか子供がうろうろしている。

アラノンで、私は子供については何も話していないから、きっと、子供はいらない人なんだろうなとか、アルコール依存のダンナの状態がひどすぎてつくりたくないんだろう、と思われているだろう。

子供はかわいいんだけど、正直、見たくない、この場所にきてまで、不妊のことを実感したくない。

でも、子供つれてこないでください、とはいえない。


アラノンにまで否定された。

そんなに、私って、面倒くさい女なんだ。

本当に自分がいやになる。


篠原涼子主演の2005年のドラマ、“溺れる人”を見た。

正直、いろんなことを思い出し、つらかった。

アル依の人がこれをみて、自分にあてはめることがあるように、その家族である私には思い出すことがいろいろとあり苦しかった。


禁断症状に苦しみ、自宅にもう酒がないため、ゴミ収集場をあさって、酒瓶にわずかに残った酒を飲む姿。

ウチの場合は、友人の飲食店に山積みになっているビールの空き瓶ケースから、誰が飲んだかわからないビール瓶の底に残るわずかなしずくを飲んでいる姿をみたことがある。

嘘でしょう、、、と思った。

うちに帰ろうよ、と二人で泣きながら家に帰ったことを思い出した。

こんなことやりたくないんだ、どうにかしてくれ、もう飲みたくないと、泣いていた。

普通じゃない、病気だ、つくづく思った。


一緒に住む家族は苦しんで苦しんでいるのに、アル依本人の母は、その家族を責めて病気を理解しようとしない。


普通のひとがこのドラマを見たらどう思うんだろう、と思った。

大げさな~とか?

ドラマ、ドラマ、とか?

入院して、3ヶ月で退院して、病気治ってよかったね、とか?

海岸を歩く3人の姿をみて、幸せなジ・エンド?


退院したからって、アルコール依存症が直ったわけじゃなく、スリップしてしまう人や、何度も何度も繰り返して、ついに死にいたる人もいる、なんてこと、普通の人は考えないんだろうな。


原作者が最後に話していて、彼女の実話だということを初めて知った。

こんなにきれいな人が、子供もいるのに、それでも止められなかったんだなと驚いた。