本屋大賞2025の3位は、野﨑まどさんの『小説』に決定しました。いやぁ~、こういう小説がトップスリーに入るのは嬉しいですね(ちなみに1位はわたしゴリ押しの『カフネ』でした)。本書は「私たちはなぜ小説を読むのか」というテーマを掲げている壮大な物語になります。さっそくですが、あらすじと感想を書きつつ、内容を整理していこうと思います。

 

 

  作品紹介:小説を読む意味とは?

文学少年の内海集司は人生を読書に捧げています。十二歳のとき、小説の魅力をわかち合える生涯の友・外崎真と出会い、二人は小説家が住んでいるというモジャ屋敷に出入りするようになります。そこには決して名前を名乗らない年齢不詳の男(通称モジャ先生)がおり、書庫にある本を好きな時に好きなだけ読んでいいと許可してくれます。

 

モジャ屋敷とは?

学校の近くにある有名小説家のお屋敷。本人から「子供たちには自分の素性を明かさないでほしい」と言われているため、学校側は秘密にしている。ある日、教師がうっかりその事実(名前は言わなかった)を話してしまったことで、本好きの内海と外崎はモジャ屋敷に潜入してしまう。

 

モジャ先生

推定五十歳くらいの髭モジャ男。生い立ちは不明で、就籍した過去がある。有名な小説家らしいが、内海たちは彼の本名はおろかペンネームすら知らない。立派なお屋敷に一人で暮らしている。外崎に文才を見出し、指導する。

 

時は流れ、本好きの二人の間にはハッキリとした境界線が生まれます。それは、本を読む人か、書く人かという違いです。外崎に小説の素晴らしさを教えたのは内海ですが、彼には文章を書く才能がありません。一方、成績が悪く、人付き合いも下手で、いつもぼんやりしている外崎は、意外にも小説を書く才能があり、モジャ先生から気に入られます。これに疎外感を受けた内海は、外崎を応援したい気持ちと自分だけが置いてけぼりにされた焦りに悩まされ・・・。

 

その後、外崎は小説家デビューを果たしますが、何をするにも「内海くんがいないとできない」と言い出し、悪気なく「(内海くんも小説を)書かないの?」と質問してしまいます。これに心を抉られた内海は思わず外崎にきつく当たってしまい、「俺が小説を書きたいと言ったか。作家になりたいと言ったか。小説を読んで何かをしたいと言ったか。読むだけじゃ駄目なのか。」と問いかけます。

 

  ネタバレ注意:小説とは虚構である

このプチ喧嘩の後、外崎は失踪してしまいます。幼い頃から変わり者で、内海だけを頼りにしていた外崎が、唯一の友人を失うことは何を意味するのか。つい小さな嫉妬から繊細な外崎を傷つけてしまったことに後悔した内海は、彼を探しにモジャ屋敷を訪れます。

 

色々とぶっ飛ばして結論を言うと、後半はファンタジーの世界へ突入します。なんと外崎は空想の世界のアイルランドにおり、妖精の国の王女ニアムに捕まっていました。ニアムは芸術家を愛す妖精で、彼女に気に入られた男は命を吸い取られ、別世界へと連れ去られてしまうというのです。残念ながら、助けに行った内海には文才がないのでニアムから毛嫌いされますが、外崎の大事な友人ということで少しだけ面会させてもらえることに。すると、外崎は既に自分が元の世界へ戻れないことを察しており、さいごに「小説を読む意味」について自分なりに考えたことを語り出します。

 

ニアムとは

ウィリアム・バトラー・イェイツの著作『アシーンの放浪』で語られる世界に登場する妖精。イェイツはアイルランド文学好きの内海が最も愛する作家。この物語の世界が一時だけリアルになり、内海を虚構の世界に招いた。この世界に来ると現実世界との時間のあいだにズレが生じる。

 

外崎が考えた「小説を読む意味について」は、以下のとおり

 

まず小説を読む意味の「意味」という意味から。意識の「意(心)」、味覚の「味」と書いて意味ということから、意味とは目に見えないことだと考えられる。つまり外から見えないものとも言える。しかし、目に見えないものを吸収するためには、外からの情報をたくさんキャッチする必要がある。人も宇宙も内側を増やすには、外側にあるものを吸収しなければならない。

 

宇宙は拡散して散逸する。けれどそれとは逆の”集合して秩序化する”そんな流れがあるように見える。生命は内外を区別する境界を有し、外界から多くの物質を取り込みながら、今日まで続いてきた。人間が一番ほしいのは心の中のもの、嘘は人の内側にしかないもの。意味とは外から見えないもの。内包された性質。P197‐198

 

黒枠は外崎の小説から引用したもの。この宇宙のものはみんな集まる性質があり、集まると名前が変わる。宇宙は最初エネルギーだけだったのが、エネルギーが集まったら素粒子になり、素粒子が集まったら原子になり、原子が集まったら分子になり・・集まる前とは違うものとして定義されていく。集まると、そうでないものとの間に境界線ができて、内側と外側に分かれる。集まった方は内側に、集まっていない方は外側になる。つまり宇宙のものは集まって内側をつくるし、増やすし、複雑になる。そして生物も本質的にはこれと同じ。自分の内側にたくさんの情報を集めて心を豊かにしている。これは宇宙のなりたちからわかるように、万物のありのままの振る舞いである。

 

・・ということなのですが、ちゃんと上手くまとめられているでしょうか?ちょっと不安です。説明を続けると、(宇宙の場合)内側を増やすには、外側から材料を取り入れねばなりませんが、その材料を全部使ってしまったら、あとはもう頭打ちになってしまいます。しかし、宇宙はやがて時を経て、散り散りになってしまう(物質はエネルギーの量以上に増えられないため)のですが、人の心は「嘘」をつくことで材料よりも増えることが可能だと考えたそう。要は、人間の場合はもう外側から情報がないのなら、勝手にセルフで情報をつくってしまえばいいということです。その嘘を妄想、発掘するのに一番適しているのが小説である、と言うのです。

 

数ある芸術の中で、まさに小説こそが人間にピッタリの虚構工場。なぜなら人間の内側は言葉でできているからです。

 

世界は集まって意味を増やしている。人の心も意味を増やしている。嘘をついたら意味を増やせる。意味を増やすための嘘。外に出した意味。外に出した嘘。それが”小説”なんだ。P208-209
 

長くなりましたが、これこそが小説を読む意味の答えになります。私たちは小説を読むことで外側から内側に情報を入れる。よって小説は読むだけでもいいのです。

 

  モジャ先生の正体

外崎真は小説よりも大切な友人の質問に答えるためだけに、この小説を仕上げました。彼本人も、答えを見つけるまでは大変だったでしょう。

 

で、ここからが驚きなのですが、なんとモジャ先生は外崎だったのです。先ほど妖精の国ではリアルと時間がずれると説明しましたが、あれから外崎は五十年時を戻っていたのです。半世紀前の日本に戻って、戸籍を作り、ひたすら調べ、宇宙関連の学者たちに取材を重ね、ようやく内海の疑問に答えられるようになったのです。

 

一方、妖精の国から帰還した内海は、あの日から八日間時を戻っていました。そして現在目の前にいるモジャ先生が外崎の未来の姿だったのだと悟ります。だから頑なに名乗ることを拒否していたのですね。確かに内海の前でモジャ先生の名前を口走りそうになった人は「ま・・」と言っていた気がします。あれは「まこと」の「ま」だったのですね。

 

残念ながら内海に答えを告げた外崎は、ニアムに連れられて旅だって行きます。しかし、このとき内海の内側は輝いていました。現実は何も変わっていないけれど、外崎の小説を読んだあとの彼の内側はとても輝いていたのです。

 

  感想

もの凄く壮大なストーリーでした。本を読むことについて、ただひたすらに描いてくれた一冊。こういう話を待っていたよ、という感じ。

 

私自身も本を読んでいるときは、ただ読んでいるだけで現実に応用できなければ意味がないと、謎の罪悪感にかられていました。小説を読んで、虚構を溜め込んだところで虚構は虚構、社会に何かを還元できているわけではないと思っていました。

 

正直、私ってなんでこんなに本ばかり読んでいるのだろう?と、思ったことはたくさんあります。なんなら趣味読書と人に紹介するのは「インテリぶっていると思われるのではないか」「趣味がない人間が適当に言っている嘘の趣味の典型だと思われているのではないか」「大人しくて地味な人だと印象づけてしまうのではないか」というネガティブな理由から避けたかったくらいです。

 

だからこそ余計にモジャ先生(外崎)がたどり着いた、ごくシンプルで、自然で、本能的な、本を読む理由⇒「内側を増やすために虚構を読む」という答えに救われました。なぁんだ、読むだけでも全然いいんだ。心が広くなればそれでいいんだ、と楽になりましたね。

 

嘘とは自分の中にしか存在しない、他人と共有できないこと。だから嘘は人とずれる、社会とずれる。嘘には内心の自由がある。

 

これからも「虚構の世界」を大切にしようと思いました。

 

それではラストに総評を。

評価:4/5

前評判で小説を「読む人」「読まない人」「書く人」全員が楽しめる本とあったが、この物語は普段本を読む人にこそ刺さる一冊だと思った。むしろ、そうでない人には感動が薄いかも。私は読書を娯楽にする人が少ない中で、本を読む後ろめたさのようなものを感じていたが、本書のおかげで読書(小説)の意味を存分に感じられた。もう若い子が好むような小説ばかりじゃなくて他も読みなさいよ圧力に屈しなくてよくなった。空想するのが大好きで、大人になっても脳内ファンタジーではあるが、これで人にも「こんなんだけどよろしく!」というスタンスで堂々といける。ありがたや。満点じゃないのは、ある程度の知識(宇宙や本)がないと難しいため。あとは登場人物が個性的で面白かった。モジャ屋敷にも行ってみたい。

 

以上がレビューになります。

 

他にも2025年の本屋大賞ノミネート作品と受賞作を紹介しておくので、ご覧あれ。

 

それでは、また!