今年一番心に沁みた小説は、阿部暁子さんの『カフネ』かもしれません。カフネとはポルトガル語で「愛する人の髪にそっと指を通す仕草」を意味する素敵な言葉。これは本書に登場する家事代行サービス会社の社名として使われています。カフネを利用するお客さんには人生に疲れ果てた人たちが多く、皆、社会の中で孤立した状態で悲鳴を上げています。
仕事、介護、子育てなどに追われていく中で、家事までやる体力も気力もなくなった人たち。部屋は荒れ果て、まともな食事を取ることすら忘れてしまった人たち。『カフネ』は、そんな人たちに「一緒に生きよう」と必死に伝えてくれる一冊になっています。
今年暫定1位★★★★★
あらすじ
法務局に勤める野宮薫子は、溺愛していた弟が急死して悲嘆にくれていた。弟が遺した遺言書から弟の元恋人・小野寺せつなに会い、やがて彼女が勤める家事代行サービス会社「カフネ」の活動を手伝うことに。弟を亡くした薫子と弟の元恋人せつな。食べることを通じて、二人の距離は次第に縮まっていく。
不妊治療と流産が原因で夫と離婚したばかりの薫子。そこに重なるように襲い掛かってきた弟・春彦の死。この日から薫子の時計は止まり、彼女の生活は荒れ果てていきます。一方、春彦の元恋人のせつなは、彼の遺言書に自分が遺産相続人の一人に指定されていることを知り、困惑します。これにより、どうしても接点を持つことになった二人は、一緒に過ごしていくうちに互いの抱える闇に触れ、力になりたいと思うようになります。
春彦はなぜ死んだの?
薫子の十二歳年下の弟・春彦は、幼い頃から朗らかで誰からも愛される優しい子供でした。いつも親から、友人から、恋人から、職場から、大きな愛を受けてきた春彦。しかしそれは、春彦にとって「愛されることの不自由さ」にもなっていました。周囲が春彦を求めるたび、縛り付けるたびに、彼は相手の気持ちを優先し、自分自身を搾取され続けてきたのです。
そんな春彦の死は突然でした。原因不明のその死は「心不全」として処理され、いまだに本当の死因はわかりません。しかし、死の直前に遺言書を用意していたことや、多くの人が春彦の「我慢」によって支えられてきたことを知った薫子は、それが自死であったのではないかと追い詰められていきます。
読書ポイント
本書では「春彦はなぜ死んだのか」が一つの大きなポイントになってきます。実際、春彦には「自死だったのではないか?」と思う不審な点がたくさんあります。その中で一番考えられる理由が「愛情の搾取から自由になりたかったのではないか」ということ。しかし、読めば読むほど春彦の素晴らしい人間性に加え、超人っぷりが露わになっていくので、読者は春彦の不思議な行動をどう読み解いていくのかがキーになってきます。
薫子とせつな
春彦の計画によって接点を持ち、一緒に家事代行サービスをすることになった薫子とせつな。二人はペアになって各家庭を回るのですが、依頼者の中で行政の支援が必要な母子家庭が多いことに、それぞれ別なおもいを抱きます。
子供を強く望むも得ることができなかった薫子は、ネグレクト家庭や子どもを生んだことを後悔する親を見て、「私だったらこうはさせないのに!なぜ私は母親になれないの?」と憤慨します。一方、せつなは酷い状態の子どもたちを見て「出産は親のエゴ。生まれたら死ぬまで苦労しなければいけないのに迷惑だ。そんな無責任なことはしたくないから、子どもなんて絶対にいらない」と断言します。
しかし、努力でなんでも切り開いていく薫子を見たせつなは、「この人の子どもとして生まれたら幸せかもしれない」と思うようになります。実は薫子も両親から満足な愛情を受けられずに育った背景があるものの、「私は子どもにそんな苦労をさせるものか!」という精神で突っ走ってきたのです。それゆえに子どもを生めなかった自分に対し卑屈になっていたのですが、せつなとの活動を通して、守るべき者の存在は血のつながった者だけではないことに気づき、励まされていきます。
読書メモ
P265~266に激泣きポイントがあります。子どもが欲しくてたまらなかった薫子が、人生に苦しむせつなを見て、自分がこの子を守りたい!!と思った時の文章なのですが・・
愛しさを痛みに近づくまで煮詰めたような、何かがこの子を害するならきっと自分は牙を剥いて戦うだろうと思うような、激しく切ないものが子宮の底から突き上げてきた。私の赤ちゃん。(略)あなたの意志なく生まれさせる罪をつぐなうために、用意していたものがたくさんあった。(略)それでもあなたを得られずにぼろぼろになっていった私の心、何があってもあなたを守り抜くという誓い。どんな時でもあなたを愛し抜きたいという願い。それをあなたに贈ることは、きっともうないのだろう。代わりに、この子にあげてもいい?本当は自分こそが倒れそうなのに、傷ついた人を見ると放っておけない、でもそんな素振りは少しも見せずにふてぶてしく振る舞う、しょうもないこの子に。
まとめ・感想
両親に誕生日を忘れらている薫子に、毎年一人必ずプレゼントを贈ってくれた春彦。いつも穏やかな笑顔を見せていたのに、薫子が離婚したときには元夫に激怒していた春彦。おそらくそれが人生で唯一彼が感情をむき出しにした瞬間だったこと。とにかく春彦の死がかなしすぎて仕方ありませんでした。
でも、春彦が姉を慕う気持ちはよーくわかります。薫子は超がつくほど真面目でパワフルな女性で、その努力の仕方はもはや天才です。幼い頃は大嫌いなピーマンを克服するために、毎朝わざわざ生ピーマンを食べ、夜はピーマン柄のパジャマを着て就寝。高校時代は好きな先輩に認められるために、同じ水泳部に入り、猛練習した結果インターハイに出場してしまうなど数々の伝説を残しています。
ただ薫子のその頑張りは時に人から面倒がられ、元カレや元夫、そして親からまでも嫌われていたようで、少し気の毒に思えました。
そんな薫子が精神的ストレスでぶっ倒れたときに支えてくれたのが料理上手なせつなです。実はこの小説は飯テロ小説でもあり、満足な食生活を送れていない人たちに家事代行サービスで作るせつなの料理が絶品なのです。
しかも本書には、物語に出てくる料理レシピがついてくる(あの「1人前食堂」のMaiさん特製冊子!)ので、おいしそうだと思った料理は真似できるようになっています。
お掃除担当の薫子と料理担当のせつなのペアは最強。部屋が片付けば心もスッキリするし、美味しい料理を食べるとなぜか泣けてくる。おいしさはそれだけで魔法になり、生きることにつながってきます。
何でもズバズバ言っちゃうこのペアが依頼主と上手くやっていけるのかも見どころですが、一番の注目ポイントは「後半」です。この物語って全然そんな雰囲気はしないのですが、後半に驚くほどの隠し玉が用意されています。まさかそんな展開になるとは・・という。どうか生きて、という結末になっているので、これから読まれる方はぜひハンカチを用意してくださいね。それでは、また!
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