お金、お金、お金。
お金は大事だよ。
主人公の花は生まれてからずっと貧乏暮らし。小さくて古い文化住宅にスナック勤めの母親とふたりで住んでいます。そんな花の夢は「いつかこの家から出て行くこと」。きっかけとなったのは、謎の女・黄美子との出会いでした。ある日、目覚めたら家にいた黄美子。花の家では母親の友人がよく出入りし、時々一緒に生活することがありました。どうやら黄美子もそのひとりのようですが、彼女の場合はとても面倒見が良く、毎日花においしいものを食べさせてくれます。
あっという間に優しい黄美子のことが好きになった花。黄美子は花の母親がまったくしない掃除が得意で、彼女がいるだけで家の中が見違えるようにキレイになります。このとき花の脳内では、黄美子=幸せの象徴という図式が出来上がっていました。
しかし、別れは突然訪れます。ある日、黄美子はいなくなりました。母親にその理由を聞くと「住むところが見つかったんじゃない?」とのこと。ずっと黄美子と過ごせたらいいなと思っていた花にとって、それは衝撃で、急に怖さと心細さが押し寄せてきました。とりあえず水を飲もうと冷蔵庫を開けると、ふだんは空っぽの冷蔵庫に、食べ物が隙間なくぎゅうぎゅうに詰められていました。
「黄美子さんだ」「わたしがひとりになったあとのことを考えて、お腹が減っても困らないように、こうやってくれたんだ」
これは”ふつう”の家庭なら当たり前のことですが、花にとっては革命的な愛情でした。花はこの時の出来事を、黄美子への恩を、生涯忘れることができず、その優しさに縋ることになるのです。
SISTERS IN YELLOW
黄美子が去ったあとも彼女に執着する花は、あの幸せだった日々を取り戻すために奇妙な行動に出ます。それは風水。「黄色は金運を呼び込む色であり、トイレ掃除も幸運を招く」という、黄美子からの教えを守り、花はどんどん黄色にこだわる黄色コレクターになっていきます。とにかく世の中は金。金さえあれば何とかなる。そう思った花は、アルバイトに明け暮れ、せっせと貯金に励みます。
しかし、花は母親の元カレから苦労して、苦労して、貯めた70万を盗まれてしまい、結局何をしても上手くいかないのだと人生に絶望してしまいます。貧乏人は貧乏から抜け出せないし、周りにも変な人間しかいない。誰もここから助けてくれる人なんていない。
そんな時、再び花は出会ってしまいます。あの大好きで会いたくてしかたなかった黄美子に。黄美子の顔を見た瞬間、涙が止まらなくなった花。そんな彼女に黄美子は「一緒についてくる?」と誘います。
こうして花は黄美子と一緒にスナックを経営しながら、暮らすことになります。ちなみに花は未成年で、一応家出少女、高校も勝手に辞めている状態です。店でもガンガン酒を飲み、やがて近くのキャバクラで働いていた蘭と、お客としてやってきた女子校生の桃子を誘い、4人でお店を回していくことになります(同居も開始)。もちろん店の名前も黄色にちなんだ「れもん」。花はまたしても絶望の淵から救ってくれた黄美子に対し、「名前に黄色が入っているから運を招くんだ!」と、彼女の存在自体にご利益を感じてしまいます。
黄美子
花は黄美子と仕事や生活を共にする中で、あることに気づきます。黄美子は金銭管理が全くできず、自力で書類の手続きをしたり、先の見通しを立てたりすることができません。それどころか、ちょっと何かを相談しようとすると、「そういう難しいことはわからない」と言い、不機嫌になるのです。今ふたりが住んでいる家も、黄美子の友人、ヨンスが用意してくれたもので、昔から日常生活の何から何までをこの彼にお世話してもらっているようでした。
こうして早々に花は、「黄美子さんのことは自分がしっかりみてあげなければならない」と決心し、いつしか4人のリーダーになっていきます。実は蘭と桃子も面倒なことはすべて花まかせの甘ったれちゃん。「れもん」が火事でなくなっても、住むところがなくなっても、何の心配もせずに黄美子と3人でぐうたら過ごすだけ。自分から動こうとはしません。
その間、花は必至で黄美子との生活を守るため、ヨンスを頼り、カード詐欺の仕事を始めるようになります。ここから花の人生は転落していき、家庭内では”私だけが苦労して3人を養っている”という怒りとストレスから支配的になっていきます。
破滅
そんなことはやめなよ、花。と、思ってしまうのですが、花の人生を考えると最初からこうなるようにプログラムされていたような気もします。稼いだお金は自分のために使えず、友人や母親や、いつも失敗をした誰かの問題解決のために使われてしまう。だからまた稼がなければならない。もっともっと稼がなければならない。
わたしはふらふらと歩いてファミレスを出て、家にむかった。地面を踏んでいる感触がいつもと違って、街や人もぺらぺらに感じられて、紙製の着せ替え人形が頭に浮かんだ。昔、あったよなあ。ちっちゃなでっぱりを折り曲げて紙の人形にひっかけて、靴とかいろんなのがあって、それで着せ替えるんだったよなあ。ほかにも付録とか、いっぱいあったなあ。封筒とか便箋とかシールとか、大事にして使わないでとっておいて、嬉しかったよなあ。ひとつも捨てた記憶なんかないのに、みんなどこにいっちゃったんだろうな。P297
花はみんなのために頑張っているつもりでした。新しい家を探すのも、お金を稼ぐのも、自分しかいない。稼げるときに稼いでおかなければ、将来生活できなくなってしまう。そんな不安が常にあったのです。
「幸せな人間っていうのは、たしかにいるんだよ。でもそれは金があるから、仕事があるから、幸せなんじゃないよ。あいつらは、考えないから幸せなんだよ」(P373)
その幸せはたぶん、親なのか家族なのか彼氏なのかは知らないけれど、でも、自分より強い誰かに守ってもらっているという自信と安心からにじみ出ているなにかであるように感じられた。(P488)
金はいろんな猶予をくれる。考えるための猶予、眠るための猶予、病気になるための猶予、なにかを持つための猶予。世間の多くの人は自分でその猶予を作りだす必要がないのかもしれない。ほとんどの人間には最初からある程度与えられているものなのかもしれない。(P488)
花が犯罪行為を繰り返し、偽りの家族を守る一方で、帰ろうと思えば戻れる場所がある蘭と桃子。一緒に入ればいるほど、おかしさばかりが目につく黄美子。もう、花は限界でした。
感想
他の方のレビューでは「一気読みした!」「スラスラ読めた!」という意見が多かったのですが、私はその逆でした。何度もイライラしたり、焦ったり、読むのにめちゃくちゃ体力がいるしで、しんどかったです。
この物語は一見がんばり屋の花に感情移入しそうですが、そうではありません。花も壊れているのです。それをラスト5分の1くらいで桃子が指摘するのですが、そのシーンが辛辣で、でも真実で、見ていてとても辛いのです。花は疑似家族を続けるためにお金が必要だったかもしれませんが、ある意味それはお金に対し一番執着していない証拠でもありました。花が本当に執着していたのは黄美子との暮らし。実際はお金ではなく、人に依存していたのです。
その点、蘭や桃子はハッキリと「金」に執着し、「未成年がスナックを手伝わされたり、酒を飲まされたり、詐欺の片棒を担がされているは犯罪行為」と言いつつも、きちんとそれで儲けた金は受け取っていました。しかし、ある意味ここで、花はずっと美化していた黄美子の矛盾点に気づくことができたのです。彼女は大人として自分たちにマズイことをさせているのではないか?と。普通ならこんなことはやめさせないか?と。本当にその通りではあるのですが・・・
本書には、貧困、ネグレクト、おとなの発達障害、共依存、外国人差別、犯罪といった、重いテーマがたくさんのしかかっています。貧困の連鎖は止められないこと、親ガチャで失敗したら選択肢が奪われること。賢くてお金を持っている大人は誰も支えてくれず、同じ境遇の者同士で綱渡りのように生きていくしかない現実。
特に「みんな、どうやって生きているのだろう。つまり今日を生きて明日もそのつづきを生きることのできる人たちは、どうやって生活しているのだろう。そういう人たちがまともな仕事についてまともな金を稼いでいることは知っている。でもわたしがわからなかったのは、その人たちがいったいどうやって、そのまともな世界でまともに生きていく資格のようなものを手にいれたかということだった。わたしは誰かに教えてほしかった」という言葉はキツかったですね。
少女たちを利用しているように見える黄美子は、おそらく境界知能か軽度の知的障害であり、自分のしていることや、花たちがしていることを理解できずにいます。逆にそういうところを都合よく利用されてきた存在でもあるところが、この物語の痛みにもなっています。
花は危なっかしさと真面目さが同居したような子でした。どちらかひとつだけだったら、花もここまで悩まずに済んだのかもしれません。それこそ他の3人のようにもう少し力を抜いて生きられたかもしれません。
花はきちんとした教育を受けられていたら、こんなことにはならなかったでしょうね。なんというか、自分が母親へ抱く感情を認知し、それが他人にどう作用しているのかを把握できていたら、もっと違うかたちで自立できたのではないかと思ってしまいます。
ただ、私は『黄色い家』を読んで、あわれみの感情は持ちませんでした。花は努力不足でもないし、やれるだけやりました。教養がなくて騙されたけれど、なぜか負けた気はしませんでした。何に?という感じはしますが、女性の貧困を描いた作品にはめずらしく主な男性キャラがヨンスだけで、花が体を売らずに済んだからでしょうか。途中で自分を見失ったものの、最後まで自分で考え、判断して動けたのは凄かったと思います。
今は貧困、親ガチャといったテーマの小説が多いですが、この先はタラ・ウェストーバーさんのような主人公が登場する作品もどなたかで読んでみたいですね。
本書は時代背景が90年代~というのもあり、昔懐かしのカルチャーも出てきます。たとえば黄美子さんは少女漫画『王家の紋章』に出て来るメンフィスに似ているとか、桃子はXJAPANが好きで『紅』を歌わせるとめちゃくちゃ上手いとか、本棚に『自殺完全マニュアル』があるとか。作中でhideが亡くなるシーンがあるのですが、偶然にも私はこの本をhideの命日に読んでいて、そのページを読んだ時にはドキっとしました。こんなことってあるのですね。当時を思い出すと、桃子も自分の闇をアーティストに委ねていて、ギリギリの精神状態だったことがわかります。
しかしながら、財力、知性、愛情、すべて備わっている人に、この物語はどう見えているのでしょうか?甘え?気持ち悪い?そう思えれば思えるほど、幸せなんでしょうね。個人的には前半はなかなかスムーズに読めませんでしたが、後半の急展開からは黙々といけたのでオススメです。ぜひ疲れていないときに読んでみてください。
以上、『黄色い家』のレビューでした!
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