チェルミー図書ファイル133
今回ご紹介するのは、川上未映子さんの「夏物語」です。
もしも生まれてくるときに、「あなたは生まれますか?生まれませんか?」と聞かれたら、迷わず「やめておきます」と宣言するだろうと思っていた私。これは子どもの頃からです。
どうして生き物には自分が生まれるという選択肢がないのだろう。この世に産み落とされたら、もう死ぬまで生きる道しかない。ある日突然人生が始まって・・。そんな重要なことをなぜ自分で決められないのだろうと不思議で仕方ありませんでした。
この本はそんな私の長年の疑問を文章化してくれた一冊です。
川上未映子さんについては、好き嫌いがわかれる作家であるのと、この作品に関しても「気持ち悪い」という感想がチラホラあるので、今から私が書く感想も気持ち悪いし、おかしいと思われるかもしれません。それでも、何となくわかるかも・・と興味のある方は読んでください。
BOOKデータベースより
大阪の下町に生まれ育ち、東京で小説家として生きる38歳の夏子には「自分の子どもに会いたい」という願いが芽生えつつあった。パートナーなしの出産の方法を探るうち、精子提供で生まれ、本当の父を捜す逢沢潤と出会い、心を寄せていく。いっぽう彼の恋人である善百合子は、出産は親たちの「身勝手な賭け」だと言い、子どもを願うことの残酷さを夏子に対して問いかける。この世界は、生まれてくるのに値するのだろうか―。
正しい妊娠って何?
主人公の夏子は出産リミット前になって急に「自分の子どもに会いたい」と思うようになります。これは一種の本能のようなもので、それまでの夏子にはない感情でした。しかし、夏子には子どもを作るという行為に激しい拒否感と嫌悪感があり、パートナーを持つことさえできません。
子どもが欲しいというとき、人は何を欲しがっていることになるのだろう。「好きな人の子どもが欲しい」はよくある説明だけれど、では「相手の子どもがほしい」と「わたしの子どもがほしい」のこのふたつに、いったいどんな違いがあるのだろう。P215
結果、精子提供を受けての妊娠・出産を試みようとする夏子ですが、世間は不妊治療を受ける夫婦に理解はあっても、パートナーのいない独身女性に対して科学的に子どもを持つことを認めません。
いずれにせよ、相手のことが本当にはわからないということが問題なのだ。でも、じゃあ、相手のことが本当にわかるって、いったいどういうことなのだ?子どもを作る夫婦のすべてが、妊娠の可能性のあるセックスをするすべてのカップルが、お互いのことを本当にわかっているとでも言うのだろうか。P224
私にはこの言葉がわかる気がします。だって世の中には望まない妊娠をしている女性がたくさんいるから。見ず知らずの男とワンナイトでできた子どもを出産した同級生もいるし、不倫中に誤って妊娠してそのまま旦那さんに隠して出産していた強者もいたし、結構カジュアルに作って、産んでって人は存在しています。最初はみんな無責任な妊娠に怒りをあらわにするけれど、そのうち一生子どもがいないよりは良かったね、孤独よりマシだね、に変わるんです。
「相手なんか要らないんだよ」
「そんなの、産んだら自分の子だからね。相手なんか誰でもいいよ。もちろん産まなくても自分の子だよ」P393
「子どもをつくるのに男の性欲にかかわる必要なんかない」
「もちろん女の性欲も必要ない。抱きあう必要もない。必要なのはわたしらの意志だけ。女の意志だけだ。女が赤ん坊を、子どもを抱きしめたいと思うかどうか、どんなことがあっても一緒に生きていきたいと覚悟を決められるか、それだけだ。いい時代になった」P395
十二歳以下しか愛せない事情を隠し、大人の女性と結婚したある男性。そこに愛はありません。不妊を偽り、科学の力で子どもを授かりますが、それは形だけでも夫婦という、パートナーがいるという立派な理由があるから治療を受けられたわけで、夏子みたいな女性にはいくら妊娠を望んでも許されないのが現実です。
不幸を産む?
この物語には、いわゆる恵まれた育ちのキャラは登場しません。どちらかというと、みんな苦労人で不幸人。なので、不幸の連鎖を繰り返すだけの妊娠・出産を否定するキャラも当然出てきます。私が『夏物語』を読んでいていいなぁと思うのは、このように色んな立場の視点から妊娠がフェアに語られているところです。
自分の母親がシングルマザーでホステスをし、ガリガリのボロボロになって、家事育児仕事に追われている姿を見てきた緑子は、こういうことは自分の代で終わらせようと考えています。母親は自分を生まなければ苦労しなかったし、その母親も母親に生んでもらわなければこんな苦労をせずに済んだのではないか。そもそも誰も生まれてこなかったら、誰もかなしまずにいられたのではないか。そしてその答えは「人間は精子と卵子をあわせることをやめたほうがいい」にたどりつきます。
夏子の元バイト先の友人紺野は、産後クライシスから夫とは家庭内別居状態になった最中、今度は夫がうつ病になり、何もかもを投げ捨てて逃げ出したいと思っていました。実際は娘を置いて自分だけ自由になることなど不可能ですが、自分の母親が男尊女卑を当然に受け入れ、父親の奴隷のように生きてきたことを軽蔑してきた彼女にとって、今の自分の姿はそれと同じで受け入れがたいものでした。
きっと娘も自分のことを、自分が母親に対して思ったように、自分のことを憎むようになるだろう。娘のことは好きだけれど、この子とは縁が薄いかもしれない。彼女もこんなふうに考えています。
そしてもうひとりが義理の父親から性的虐待を受けて育った百合子の気持ちです。
「ねえ、子どもを生む人はさ、みんなほんとに自分のことしか考えてないの。生まれてくる子どものことを考えないの。子どものことを考えて、子どもを生んだ親なんて、この世界にひとりもいないんだよ。ねえ、すごいことだと思わない?それで、たいていの親は、自分の子どもにだけは苦しい思いをさせないように、どんな不幸からも逃れられるように願うわけでしょう。でも、自分の子どもがぜったいに苦しまずにすむ唯一の方法っていうのは、その子を存在させないことなんじゃないの。生まれさせないでいさせてあげることだったんじゃないの」P435
百合子は続けます。「みんな賭けをしているように見える」と。自分の子どもは、自分よりも幸せにするという賭けをしているのだと。これは不幸だった人ほどその傾向は強いかもしれませんね。自分が果たせなかったこと、望んでいたこと、それらを子どもに与えることが幸福だと無条件に信じていること。でも、これだって子どもからしたら親の自己満にすぎません。最近よくある教育虐待や放任主義だって極端にいえば愛情という名のエゴではありませんか。そして本人にもそれを止めることができません。
「でも人生には意味があって、苦しみにも意味があって、そこにはかけがえのない喜びがあって、自分がそれを信じるように自分の子どももそう信じるだろうってことを、本当は疑ってもいないんだよ。自分がその賭けに負けるなんて思ってもいないの。(中略)そしてもっとひどいのは、その賭けをするにあたって、自分たちは自分たちのものを、本当は何も賭けてなんていないってことだよ」P436
生と死
生を扱うテーマですから、もちろん死も扱うことになります。本当にバランスの取れた作品で、安心しながら読めました。
実際に精子提供を受けて生まれてきた逢沢という男性の職業は、日常的に死と関わる医師でした。医師の仕事の大半は命を救うのではなく、見送ることだと聞いたことがあります。人間は最終的に全員が死ぬことになりますが、その痛みは平等ではありません。人生の最後だけ苦しんで死ぬ人もいれば、生まれてすぐに病が見つかり、死ぬまでの長い間、闘病生活を送る人もいます。
そんな患者の姿を見てどう感じるかは人それぞれですが、百合子はこれも賭けだと言います。これは親の身として考えると胸が痛い内容です。人がどのような状態で生まれてくるかなんて本当にわかりませんから。そして自分自身も生まれて来たときは健康でも、今日明日病気になったり、事故に遭って障害を持つかもしれません。仕事を残したまま突然死ぬことだってあるでしょう。それで多くの人に迷惑をかけるかもしれない。でもそれって誰のせいなの?誰かが悪いの?本当に?
何が正しいの?何が正しくないといけないの?そんなに子どもを生むって罪なことなのだろうか。苦しまず生きられる人間なんていないじゃないか。でも、あまりにも辛い人生の中、そんなことを言える余裕はあるのか。そこで笑っている人だって、人生の中で一度は死にたいって思ったりしなかった?そう思ったこと後悔してる?それとも仕方なかったって思える?やっぱり生きていることって素晴らしいと思える?生まれてくる瞬間は尊いけれど、生きることっていうのは別物なのかな。
まわっていく
『夏物語』は夏子が姉と姪に再会するシーンから動き出します。その頃、姪の緑子は小学生。大阪に住む姉と緑子が東京に住む夏子を訪れます。物語の終盤になると今度は、夏子が姉と緑子に会いに大阪へ向かいます。その頃、緑子はもう大学生になっているんですね。
小学生だった緑子が東京に来たとき、夏子は二人で遊園地に行き、観覧車に乗ったことがありました。面白いのは逆に夏子が大阪に行ったときも観覧車に乗るシーンがあることです。観覧車と一緒に人生もまわっているんですよね。
姉の巻子と夏子は似ているけれど、全然違うといった姉妹特有のキャラクターが生きています。その一方で、緑子は巻子にそっくりなんですね。子ども時代から似ているけれど、成長するにつれてそっくりだなと思うのです。そういったことは、本書の中では語られていませんが、ここも「まわっているな~」と感じる部分でした。もうね、どうしようもなく、まわるんですよ。
読んでいるあいだ、ずーっと色んなことを考えていました。百合子の言葉は共感できるし、私も同じことを昔から考えていたのでわかるんです。けれど、それだけが答えでもなくて、大人になってからどうしようもなくやってくる母性みたいな、結局自分にもまわってくるみたいな感情も存在するのです。
一文読んでは考えて、そこに必ず意味があって。どうしたものかと救われたり、傷ついたりして最後に見つけて泣けた言葉。
どこにいたの、ここにきたの
わたしはわたしの胸のうえで泣きつづけている赤ん坊をみつめていた。
この一文を見たら、すべてがどうでもよくなってしまいました。自分は相変わらず、人生が巻き戻されて、神様に「生まれる?どうする?」と聞かれたらお断りする気なのに、新たな生命の誕生には素直に感動してしまうというか、それしかできないことに改めて気づきました。
感想
このテーマは人によって見方が千差満別だと思います。パートナーのいない女性が精子提供で妊娠することに軸を置く人もいれば、女性の妊娠・出産・子育てに焦点を置く人もいるでしょう。
私が百合子のようなことを最初に考えたのは、母親が結婚や子育てに苦労していた姿を見たのが原因でした。それに気づいた瞬間、「あれ?まわりの大人を見ても結婚をして幸せそうにしている家庭ってないな」と思うようになりました。
そうこうしているうちに、成長期で体が変わり、私はとてつもなくショックを受けました。なんでかよくわからないけれど、みんなこんな感じなの?同じショックを受けているの?と思っていました。
体のかたちが変化し、子ども特有の身軽さが消え、しかももう二度とあの”感じ”が戻ってはこないことに。これからずっとこんな重くてダルい感覚で歩いたり、走ったりしないといけないことに。夏服になるとよってくる気持ち悪い視線とか、言葉とかそういう不快なものに、どうして子どものままではいけないのだろうと、心と体がチグハグになったあの感じに、もの凄い拒否感がありました。
今思うと、私の潜在意識の中には大人になる=結婚というイメージが漠然とあって、結婚や出産は女を不幸にするという考えが出来上がっていた頭には、成長期の自分の存在が混乱の対象となっていたのでしょうね。
異性に好きという感情が芽生えるのも遅くて、好意を持たれることも気持ちが悪いと思っていました。恋愛体質の塊みたいな友人のことを別な星の生き物だと思っていたし、なぜそのようにいられるのか不思議でした。
そんなとき、やはりどうしても浮かんでしまうのが「女ひとりで妊娠・出産できたら、それも経済力もあるとしたら、人って結婚するのかな」ということ。逆に男性も子どもを産むことができたら結婚なんて契約を結ぶのかな?ということ。私が思うに、みんなパートナーかえまくりなんじゃないんですか。異性と付き合うのが面倒な期間は、同性と楽しく生活を送るなんてパターンも考えられますよね。
こんなのは妄想だけれど、そんなことを思っていたわけです。しかし(今のところ)ありえないお話なので、現実に目を向けておわり。何となく恋らしきものをして、そういう色んな何となくを通り越して生きていく。何となく仕方なしに。
それでも妊娠・出産となると責任や覚悟が必要です。自分事ではありませんから。一人の人間に対しての責任があるから何となくじゃいけません。夏子がリミットぎりぎりまで妊娠を考えられなかったのも、個人的には自然の流れだなと思いました。子どもは可愛いんですけどね。それゆえに壊してしまわないか不安がある。自分がしっかりしなければというおもいが根本にある。まだ会う前から、こういう心配があり、なかなか決心がつかない気持ちもわかるなぁと。
今ここに書いてある感想だけがすべてではありませんが、夏子が過去をふり返るシーンの度に、自分のこともふり返るとこんな感情が出てきてしまいました。
私が短い人生の途中で気づいたのは、「考えすぎも毒だ」です。夏子は少し考えすぎでした。そこを緩やかにすることも大切なことで、夏子は毒を抜いたとき、これまでとは違う景色を見ることができました。人生には、どうでもよくなる瞬間というのがあって、そのどうでもよさが、切羽詰まったときにアシストしてくれたり、頭を柔軟にしてくれます。
なので、この本で気分が重くなっちゃった・・という人は、もう十分考えた人なのかも。そんなときは、一度考えるのをやめて、毒抜きをしてください。どうせ考えたって同じことがまわってくるだけですから。グルグルしてどこにいるのかわからなくなるだけです。考えなくたってまわってくるかもしれませんが、考えたって、考えなくたってまわるなら、別な空気を吸いにいきましょう。
気分転換した頃に、ちゃんと元の場所にいますから。リフレッシュした心で再度問題に取りかかればいいんじゃないのかな。
以上『夏物語』のレビューでした。
今回レビューした本
川上さんはフェミニストなので、作中に共感できない部分があるという人もいるとは思います。なので誰にオススメということは、あえて言いません。私は文章がとても好きです。