連荘で”元ネタ映画”の話題です(^O^;)
その映画は、成田凌、清原果耶がW主演した「まともじゃないのは君も一緒」
テーマの”普通の恋”ってなんだ!
ということから、”ふつう”という言葉というか概念に思いを馳せました
”ふつう”という言葉の対義語と言うか
そこに含まれないという意を込める時
”ふつうではない”という言い方をします、されます
ただその言葉に込められた意を汲み取ると
なんか悲しくなるのですよね(*_*;
その言葉を使っている人は
多分わたしがその言葉から感じ取るほどの意識では使ってはいないと思うのですが
わたしは、そこに”はじき出す”意図を感じてしまうのです
でも”ふつう”ってなんだろう?
多少、他の集団よりも同じ要素を持つことの多い集団だからと言って
それが何??
数が多いことがすごいの?優れているの??
そしてあるモノ、あるコトを構成している属性/要素は多岐にわたるはずです
何かの属性はマジョリティであっても
他の属性ではマイノリティかもしれません(^O^;)
また自分が、もしくは相手が、ある属性に置いてどんなにマジョリティであっても
わたしとあなた、という一対一の状況においては
どちらが”多い≒ふつう”ということは関係ないのです
あくまでも”わたしとあなた一対一”
そうした時に
相手を想い、そこに自分の思いを馳せ、受け容れる
口で言うほど簡単ではなくても
理解は出来なくても受容することは
少なくとも縁を繋ぎとめようとすることは出来るのではないでしょうか・・・
※”ふつう”と言う言葉は、なかなかに使い勝手がいいので
意識しないと、すぐに使ってしまうのですが
わたしは気が付いた時には、出来るだけ使わない様にはしています
それでは、なんと?
もちろんその時々の文脈に依るのですが
わたしは”多くは”という言葉を使うことが多いかな(^O^)
同じ様な言葉に”変わっている”というモノがあると思います
人によっては、”ふつうでない”ということと同じ意味/意図で使っているかもしれません
でもわたしは(過去記事にも書いていますが)
それを誉め言葉として捉えています、捉えようとしています(^O^:)
特に考え方とか生き方の様な精神性のことに関しては
一つ自分の方向性が決まれば
それが他の人からしたらマイノリティであっても
他の人の目をそれほど気にせずに突き進んでしまう力はありました
こうした感覚を後押ししてくれたのが
故ジョージ秋山氏の浮浪の雲さんでした
最終的にはこのシリーズ112巻まで刊行されたようですが
ビッグコミックオリジナルでの掲載時からしばらくはon-timeで読ませていただいていて
コミックスも第一巻から27巻までの初期分だけですが購入していました
自分が自分の想いとは異なるマジョリティに流されそうになると
雲さんに窘められ、後押しをされて、力をもらいました(^O^)
※『浮浪雲』は当時それなりの反響があって
一時は大学の入試の題材にもなっていました