10年前の今日、こんな記事を書いていました
この時は、前年にガイドラインに乗る形で正式にトランスを開始し
その流れで、その後の誕生日に戸籍の改名をして
会社にも改名届けという形でカミングアウトをしました
その後、以前の名刺がなくなった段階で(^O^;)新しい名刺に切り替えて
全ユーザはじめ関係者に一斉同報でのメール通知しようとしているタイミングでした
こうした改名作業の一環で
当地のバス会社のICカードの名前変更をしに行ったのです
もちろん無記名のカードもあるのですが
記名式にして個人特定できるカードにすると、オートチャージが出来て
高齢者割引されるシニアパスとか、学生指定しての通学パスになったりします
これらの割引機能の不正使用のチェック等で
読み取り機には、この高齢者だったり学生であるということを示すランプがあるのですが
これに女性であるというランプもあるのです
リブログ元の記事にもあるように
(当時の)変更届には”性別の変更”は想定外で項目がないのですが
担当してくれた方が、気付かってくださって??
「性別の変更もされますか?」と聞いてくださったのでした(^O^)
結果、(役所での公式文書というわけではありませんが)
公に表明された初の女性性の取得でした(^O^)/
ただ、初の女性性の取得はいいのですが
逆にバスに乗った時
駅に行く時に終点の駅のターミナルで下りる時は大勢に紛れるからいいのですが
帰りに最寄りのバス停で下りる時には一人一人なので
リードされたら悲しいな、とは思いました
この場合はリードされたとしても
支払運賃の不正になるわけでもないので、そこは問題ではないのですが
想いと現実の乖離に対するうろたえが現れるのですよね(*_*;
この様なことは
わたし達がトランスしようとした時に、いろいろな場面で現れます
その一つが、改名のタイミング
わたし自身は、ガイドラインに則ってトランスを始めた時
精神科医によるカウセリングと共に
その先生に紹介された泌尿器科医に外性器検査とHRTが始まりましたが
最初の手続きは、「戸籍の改名」でした
わたしが改名した新しい名は
過去記事で何回か書いていますが、実際にトランスで動く何十年も前に
当然、特例法での戸籍の改性が出来るようになるなんて思いもしなかった頃に
銀行口座やクレジットカードの名前に使ってはいるのです(^O^;)
そして、わたしの新しい名は(特に読み音であれば)
男女両方で使われている名なので
どの段階で呼ばれてもそれほど問題は起きにくいのです!
ただ人に寄っては、新しい名が
女性でしか使われないような名ですと
いつ改名し、どのようなタイミングで表明と言うか
使いだすのかが、逆に問題になることがあります
名に絡む問題と言うか悩みは
衆目と言うか、他の人が居る場で呼ばれる時、多くは姓で呼ばれるだけですが
医療機関では人の取り違えを避けるために姓名と名まで呼ばれることが多いです
この時に、女性装でいる時に男性名で呼ばれる時の辛さがあるわけです(-_-;)
その意味では、わたしの様に出来るだけ早く改名してしまえば
その辛さはなくなるのですが
その時にいくらパスできる容姿を持っていたとしても
まだ会社をはじめとした周りにカムで着ていない時に改名してしまうと
必ずしも女性らしい名ではなく、両方で使える名だとしても
なぜ改名したのかという理由付けの処でカムしなくてはならなくなったりします
特に、在職の時は給与を通して税とか保険関係等の手続きが絡んできますので
改名を届けないわけにはいかないのです
このことは通称名の使用にしても
(在職なら)会社を通しての届け出になるので
変わりません(^O^;)
人によって置かれている環境は異なります
どのようなスピードでトランス出来るのかは大きく異なります
何年もフライングでホルモン接種をしても
結局は一歩が踏み出せずに、断念する人もいるでしょう・・・
また、独身で(子供も居ず)想いも確定していて
事前に十分な女性性としての生活やパス度がクリアされていて
短期で診断書を出してくれる先生と執刀医にお世話になって
動き出したら数カ月で戸籍の改性まで行ってしまう方もいらっしゃるかもしれません
でもこうした方は、極々ほんの一握りで
多くの方は、数年単位でのトランスになるのだと思います
そしてそのゴールも様々ですが・・・
数年のトランス期間ということを前提に考えると
やはり何を、どこまで、どのような順番で進めていくのかを
考えていく必要があるのだろうと思います
わたしは次のような手順でトランスを進めていきました
2011/01 わたしの想いと彼女(元奥さん)の考え方の乖離が大きくなり
”これ以上一緒に居てはいけない”とは思ったものの
ちょうど上の子の高校受験と重なって
自分の意思や覚悟の確認ということで一年待つ
2011/04 美容外科で脱毛を始める
05 同じ美容外科でフライングのデポ注開始(1A/4W)・・・初ホルモン接種
2012/05 家族にカムして「勝手にRLE」と家を出る
ガイドラインに則ったカウセリングを始めるまでの2011からの2年間で
1A/4Wでのホルモン接種の身体ならしと
ほぼ全身の美容外科での脱毛を進めていました
2013/06 地元の精神科医でカウンセリング開始
性科学会名誉理事で、2014/03まで9回通う
08 改名審判下る
09 誕生日に、戸籍の改名
09 改名届けという形で会社にカムアウト
2014/01 わたしの親戚筋を含めて年賀状での一斉カムアウト
02 名刺の名の切替に合わせて
全ユーザ&関係者に(理由は伏せて)一斉同報メール
協議離婚
わたしは「勝手にRLE」で家を出る時に、離婚届も渡したのだが
彼女は、子供たちが大学を卒業するなり成人するまでは、と言っていました
しかし
わたしの名が変わり保険証の被保険者(わたし)の名が変わるのが
どうしても耐えられなかったようです
これに先立って、結婚20年経っていたので
わたしの持っている家の権利をすべて彼女に移しておきました
08 認定医(当時はまだ設定なし)の針間先生のカウンセリング開始
本当は除睾のためだったが、不要になりSRS&改性のためのファースト
2015/06まで10回通う
09 誕生日に、HRT主治医による一泊入院での除睾(約20万)
2015/07 認定医の松永先生のカウンセリング開始
SRS&改性のためのセカンドとして、2016/03まで7回通う
松永先生は、わたしの性同一性に対するコアロジックに大きな影響があり
GID学会での登壇もお誘いいただきました(^O^)
2016/05 認定医の山口先生に執刀をお願いした造膣なしSRS
わたしの歳、お仕事のこと、いろいろな視点で
なぜ造膣するのかを考えた時
造膣の意味を感じられなかったので、”造膣なし”を選択しました
その上タイミングよく「造膣なしキャンペーン」60万もあったし(^O^)/
2018/06 下の子が成人になるのを待って、戸籍の改性申し立て
07 戸籍が改性される
2019/10 彼女の誘いで、「勝手にRLE」を終えて元の家の隣に戻る
わたしのトランスとしての動きは
すべて60台に行っています
それでもそれなりの期間をかけてのトランスでした
それはまだこの時期、わたしはフルタイムで勤めていながらの在職トランスで
いろいろな変化に対する自分の心なり身体の追随の準備だったり
それ以上に周りの人の心の準備をも見届けながらなので
この期間は必要だったのだと思っています(^O^)
そしてこの時、この歳でのトランスは
わたしにとっては
かならずしも悪かったわけではないのかな、と思っています
思うようにしています(^O^)
それは、わたしの自我のもう一つの大きな側面である
”天職と思えたお仕事に辿り着けた”のも
必要な時期に(結婚できなかったので)仕事にのめり込めて力を付けたと思っています
そして、その力をバックに最初の転職をし
そこで新たな人とのつながりが出来て、縁あって結婚し
そこから少しお時間もかかりましたが二人の子にも恵まれて
(自分で産む経験こそできませんでしたが)子育ても出来ました
そして、その子育ての(メインの)時期が終わって ・・・・わたしの勝手な言い分(^O^;)
長年抱えていたトランスを成し遂げました(^O^)/
こうした時の流れを振り返ってみると
わたしにとっては、(トランス前の期間を含めて)
これだけのお時間が必要だった!
と、思ってもいいかなぁ~とは思っています
なんたって、ぜ~ンぶのことを手に入れたのだから・・・
そしてそれは
まず最初に、のめり込めたお仕事に出会い・・・・自ら生み/育み/育てたものですが!
そのお仕事を通して、社会におけるわたしの居場所を創り上げられたことが
その後のトランスすることに
大きな後押しをしてくれたのだと思っています
まだまだ今の世では
単に声を上げただけでは、周りの支援は受けられません
やはり自分で自分の道は切り開かざるを得ないのだと思います
その道を周りに認めてもらうには
自分がその場に居場所を創っておかないと・・・・
そうした時、ある意味で今の若い人はかわいそうだなぁ~と思います
それは、目の前に自分の求めるものがあるのが分かっているのに
必ずしも皆が皆、それを手に入れられる人ばかりではないから(-_-;)
それを手に入れるための(社会の中での)居場所が出来上がっていないから・・・
わたしの時は
”女の子になりたい”という思いは
同じように小さい時から抱いていても
そんなことが叶えられるようになるとは思っていなかった
そしてそうした中で出来る限りのことを
その都度、やれるだけやってきた
その間好きな仕事にのめり込んで
社会における(会社ではありません)居場所を、意識せずに準備していました
その後、思ってもいなかった特例法が制定され
いろいろあってトランスに動き出した時には
「自分の居場所」がわたしのトランスを助けてくれました(^O^)
トランスすることは目的ではないはずです
先ず生きていくことがあって
その生きることを
よりよくするためにトランスするのだと、わたしは思っています
トランスするために生きる、のではなく
よりよく生きるためにトランスする、のだと!
自分が何屋か?を出来るだけ早く見つけて
自分の居場所が見つかるといいね!
とは、わたしのこども達には何度もお話してきました
そうすれば
自分の思い通りのことが
たくさんできるようになるのだから・・・