2002..終の棲家 | わたしの夢はどこに・・・

わたしの夢はどこに・・・

私ってなに?本当にGIDなんだろうか?まだまだ彷徨っています。
その中で多くの方のブログを見させていただいて、いろいろなことを教えていただきました。
このブログは自らの心の整理と、一つの事例として他の方の参考になったらお返しになるかな
と思って開きました。

7年前、「勝手にRLE」として家を出た時に住んだ地での3~4年目

  地縁、血縁のなにもなかった地ですが

  なりゆきでその地の自治会活動に参画することになり

  わたしも、その地でいつかは独居老人として、周りの人にお世話になるのだろうから

  自分が元気で動けるうちは、自治会活動を通して団地に貢献して

  少しでもわたしのことを知っておいて欲しいと思ったのです

そんなこんなで、敬老会の司会だったり、総会の書記として前に出ていたし

  夏祭りの時には模擬店統括として動き回っていたりしたので

  わたしが知らなくても、多くの団地の方には知っていただいていました

そして何人かの方々からは「その時は会長ね!」と言われだしたりもしていましたが

  彼女(元奥さん)に誘われて、こちらに戻るのが後一年遅れたら

  わたし達が自治会役員の時に整備した「役員選考規定」に従って

  わたしの属していた部から役員を出すサイクルに入って行ったので

  会計=>副会長B=>副会長A=>会長=>顧問

  と選任される可能性はあったのだろうと思います

まぁわたしの人徳というのではなく・・・人畜無害とは思われているとは思いますが!?

  ”進んではやりたくない役回りをやってくれるなら、それでいいんじゃない”

  というのが大多数だと思うんでがね(^O^;)

 

それまでも、最初の会社の頃初めて家を建てた時

  そこを初めて”終の棲家にする”と思ったのです

そのあと、縁あって彼女(元奥さん)と結婚することになり

  彼女のマンションに転がり込むことになりました

  でもその時は、”あぁあ!とうとう静岡県も飛び出してさらに西まで来ちゃった!”

  とは思ったものの、そこが終の棲家になるとは思わなかったのですよね

  7年経って子供が生まれて、それから上の子が幼稚園に入ろうかと言うまで

  10年ほど居たのですが・・・

それから子供の幼稚園に合わせて、それまでも誘われていた

  彼女のご両親の敷地内にわたし達の家を建てて、こちらに戻ってきました

      ※「金八先生」第六シリーズで、上戸彩さんが性同一性障害の役を演じたころです

  この地はわたしのシステムを産み育み育てた地なのと、多くのお客様が居る地なので

  こちらに戻るのはわたし的にはぜんぜん問題なかった(^O^)

 

そんな背景もあってか

  この地に家を建てた時に、この家が終の棲家になるんだろうなぁ~、と思ったのです

そしてそれからまた10年ちょい

  いろいろな想いのズレが溜まってきて

  「勝手にRLE」と家を出て、今日の書き出しに挙げた団地に住み始めたのです

  わたしがもうここに居てはいけないのだと・・・

 

そしてその地で生を終えるのだろう、と覚悟をし

  だからこそ晩年にお世話になるであろうその地に

  元気なうちに出来るだけのことをして

  自分の居場所を創るつもりで

  (借家ではありましたが)終の棲家にするつもりだったのです

 

その都度都度、そこを終の棲家にしようとした想いは

  常に真摯なものであったと思っています

 

でも時が経ち、彼女の気持ちも一定の落としどころを見つけたのか

  声をかけてもらって、またこの家に戻ってきたのですが

  今のこの地を終の棲家だとは思えないのですよね・・・

なんでかなぁ・・・とは、ずっと考えてはいるのです

  多分それは今わたしが主体的に生きていないからなのかなぁなんて思っているのです

 

わたしの自我の側面の大きな一つがジェンダーの問題であるのは事実なのですが

  もう一つの別の側面に、天職と思えたお仕事があります

  そのお仕事を続けるモチベーションを維持できなくて

  三年前の誕生日にリタイヤしたのですが

  わたしの心の力の源泉に大きなウエイトを占めていたのだと思います

  チョット想定以上でした(^O^;)

  抑え込んでいた自分の弱さを

  改めて認識したのですよね

それに地域の人との関わり方も含めて

  ”私(し)”の部分の主体性も全面的には握り切れていないからなのかな???

 

また”終の棲家”の意識を持てるように

  心の再構築をしていかないと・・・