『最も危険な年』オンライン視聴しました | わたしの夢はどこに・・・

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私ってなに?本当にGIDなんだろうか?まだまだ彷徨っています。
その中で多くの方のブログを見させていただいて、いろいろなことを教えていただきました。
このブログは自らの心の整理と、一つの事例として他の方の参考になったらお返しになるかな
と思って開きました。

先日【告知】させていただいていた『最も危険な年』

  視聴期限の最終日になってしまいましたが

  今日やっと視聴しました

 

この映画は、2016年アメリカ北西部シアトルのあるワシントン州での

  同性婚が認められた後での揺り戻しともいうべき

  反対派によるトランスジェンダーの権利攻撃が強まり

  その一環としてのトランスジェンダーのトイレ排斥法案の動きに対して

  トランスジェンダーの子を持つ親たちが立ち上がりました

  そのドキュメントです

結果として、一票差でその法案は否決されたのですが

  そこでの排斥派の意見や理屈は

  今日本で「LGBT理解増進法」が成立して

  もしくはその成立の過程での保守派の文言修正の動きは

  まさに、この時のワシントン州と同じでした

 

その昔、アメリカで公民権法が成立したのは、わたしが中学三年生の時でした

  まだまだ歴史上のことではないのです

  それまでは白人と有色人を一緒にすると何をするか分からないといって

  レストランから始まってトイレまですべて分けられていました

  今はどうですか?

  おトイレで白人が有色人に襲われる率があがりましたか?

  同じようにこの映画の中でも元警察官の38年の在職期間中に

  トランスジェンダーに寄るトイレ内の犯罪は一件もなかったそうです

  反対派の事例はみんなまた聞きだったり、具体的でなかったりの

  どれも信憑性の疑わしいモノばかりなのです・・・

 

最終的にも一票差で否決されてこの法案は通らなかったのですが

  最後にある親御さんの言葉

  「わたしたちは投票の始まる前に勝っていたのです

    こどもの生き方を受け入れて

    共に生きることを決めた時に!」

 

視聴が終わって、というか観ている時からなのですが

  全体的には、そうなんだよな!

  なぜこんな簡単なことが分かってもらえないのか

  なるほどそういう言い方と言うか考え方があるのか等々

  感じる部分は多々ありました

  よかったと思います

 

でも観ていて

  自分自身を振り返るとと少し違和感と言うか

  わたしはどうなんだ??という、モヤモヤ感がにじみ出ていたのです(-_-;)

この感じは、ちょうどトランスを始めるころに

  ”性同一性障害”と言う言葉を知って

  一度は救われたと思ったものの

  やっぱりちょっと違う、と感じていたモノなんです

 

この感覚の元がなんなのかは

  観終わってから、他に観られる機会はないのかとググっていたら

  日本で最も多くのトランス映画を上映してきた関西クィア映画祭に関わってきた

  ある人のサイトで、この映画の感想があり

  それを拝見して、やっぱりそうなんだよね、と納得しました(^O^)

  要は中核群のみのお話なんですよね・・・

そしてこのサイトの記事で教えてもらったことに

  この映画を観ての勉強会と言うかディスカッションで使う

  「教育用スクリーニング・ディスカッション・ガイド」

  あることを教えてもらいました

この資料は、日本語版PDF30頁で

  単に日本語に翻訳されているだけでなく

  本版での補足注釈も載せられています

 

今回のオンライン視聴も再上映の様ですし

  各地の男女共同参画セクション等の催しでの上映も何回か行われているようなので

  もし視聴できる機会が合ったら

  「ある人の感想」とともに、このガイドラインも見てほしいなと思います