本当は昨日の振り返りだったのですが
選手の【週報】が先週の内にかけなくて、昨日に書いたので順送り(^O^;)
わたしは時々「家族」というよりは「親子」
その中でも「親とは?」「親になる、とは?」と言うことを考えていて
それを、映画を観たり、本を読んだりした時に
なにか感じることがあれば、その感想として書いてきました
リブログした記事は、『八日目の蝉』を観て、『緑の窓口』を読んで
思ったことを書いたものです
そして今年の四月にも『わたしのパートナー』の続編として
『親になる』を書きました
通常”親になる”とは
♂の精子と♀の卵子をなんらかの手順で結合させて
受胎~妊娠~出産を経て、産みの親となります
ただこれだって自然受胎ならば、過酷な障害物競走を
わたしらの世代ならば一憶分の一
今の世代でも5千万分の一の競争に勝ち残った一匹が
その後の十月十日の期間無事に過ごせて産まれてくるもので
無事出産することの奇跡を感じざるを得ません
特にわたし達の子供は、『親になる』でも書きましたが
時に上の子は妊活の結果の子で
なおかつ先に二人の子の流産の後のRAINBOE BABYなので
なおさらです
※下の子は自然受胎でした(^O^;)
そして、わたし達はそのまま育ての親になり
その後、わたしはわたしの我儘で性別を女性に変えましたが
わたしのこども達は、今でも”法律的にも私の子”です
でも順番がひっくり返って
トランスする前に採取した凍結精子を使って
トランス後にパートナーの女子との間で人工授精させてできた子は
実質的にはわたしと同じ条件下での子なのに
DNAチェックして遺伝子的に親子だと確認しても
このトランス女性は実子の認知が、今の日本の法律では出来ないのです(-_-;)
別に同性パートナーやシングルが、里親になることはほとんど絶望的だそうだし・・・
今の日本では、生物学的にも成人男子の平均精子数自体がわたし達の頃からすれば半分になり
また女性の出産年齢も高齢化しているので、卵子自体の元気さも落ちているそうです
そのために生物学的にも妊娠/出産するのも大変なのに
比率的には少ないかもしれないけれど、産みの親が二人して育てられない時
奇跡的に生まれた子に、親になってくれる人を阻害するのも今の法律なんですよね!
わたしは産ませたから親なのではなく
育てることを通して親にしてもらうのだと、思っています
そして育てることには(一時期の母乳の問題は別として)
いかに生きるかという社会性の性別であるジェンダーは関係ない
※ちなみに体の性(♂、♀)はSEXです
わたしは、「体の性別SEX」について識別する時には、♂、男とか♀、女と表現し
「社会性の性別Genderに」ついては、男性性とか女性性と表現しています
と思っています
もちろん多くの場合は
産みの親が、育ての親になるのでしょうが
育ての親が、産みの親と違ってもいいじゃないですか!
その時、親は独りでもいいけれど
それだと親も”親を休む”ことがしにくいし
子供も親が複数いれば、親の特性に合わせて事案ごとに話す親を替えて
より多くの機会で親とのコンタクトが出来ると思うのです
こうした時、その親は男女一人ずつの親である必要はないのですよね!
もちろんこれまで通りの男女一人ずつの産みの親が、そのまま育ての親でも
なんら問題ないのですが
そうでなくてはいけない、ということじはないのです
(子供ではなく、本当に)大人なら ・・・・ 年齢の話をしているのではありません
誰でも(こどもに)親にしてもらえます
同性婚問題にしてもですが
たかだか百年チョイの歴史しかない制度を
伝統的家族制度なんて言って後生大事にしている時代錯誤者にも
一人一人がそのひとらしく生きることを認めてくれるような世の中にしたいですね!