想いは言わなきゃ分からない! | わたしの夢はどこに・・・

わたしの夢はどこに・・・

私ってなに?本当にGIDなんだろうか?まだまだ彷徨っています。
その中で多くの方のブログを見させていただいて、いろいろなことを教えていただきました。
このブログは自らの心の整理と、一つの事例として他の方の参考になったらお返しになるかな
と思って開きました。

もうすぐお正月!

  それと共に喪中はがきも届くようになってきました

  その中に学校出て初めて勤務した会社で、その後のわたしの仕事の仕方の

  骨格を作ってくれた部署の人からの喪中はがきもありました

 

わたしはその会社でSW専門職としての採用が始まった一期生!

  しかしながら会社の指示で入社直後の四週間の研修と二か月の営業現場体験を行って

  その後にやっと五週間のSW研修を箱根のお山で終わらせた後に

  配属されたのが上の部署です

私達は東海○○一家の構成員、組織としての〇CJとの接点はバイザーの○○さんのみ!

  グループは横浜と名古屋に分かれて勤務し、毎日誰かが飲みに行っていたし

  まだまだ高価だったデバッグマシンの時間の取り合いで月に何度も徹夜をしたり

  社員旅行では、当時お二人しかいなかった妻帯者は奥様を

  婚約している方は婚約者を連れてくるようなそんなグループでした(^o^;)/

 

そしてわたしが配属された半年後には

  内のグループと本社の統括グループが集団脱藩して起業してしまうのですが

  それまでの半年でわたしのSW職人としてのその後の仕事の仕方の土台を

  その時のバイザーには完全に形作られてしまいました(^o^;)

わたしはこの歳まで

  途切れることなく会社と言う組織に入ってお仕事させてもらっていますが

  直接仕事に関わる上司はこのバイザーのみで

  後は(仕事そのものは)ず~っと一匹狼でした

 

そうはいっても組織です!

  集団脱藩した後は横浜地区では私ともう一人同期の友が居るだけで

  組織になっていませんでした

  それで会社は組織の作り直しで

  グループ長やメンバーを集めて人数的にはそろいましたが

  入社二年目の私たちが一番経験量としては多かったのです!

こうした中でいろいろと思うところはあって不満もたくさん有ったのですが

  少なくとも前半は文句も言わずに自分の仕事はモクモクとこなしていました

  それが後半になってガマンにも限界が来たのか(自分の感覚としては)

  仕事もせずに(もちろん現実的には最低限のことはしていますよ)

  文句バッカ言っていました

  ところがその年の年度末の会社側の私への評価は、”後半の方がよかったのです!”

 
その年の自己評価としては
  ”前半はそれなりにお仕事をこなしたけれど、後半は文句ばかりで仕事はしなかった!”
  と言うことで会社側の評価とは真逆なんです(^o^;)
なんでこんなことになってしまったのだろうか、とその時も考えたのです
  もちろん評価者の力量と言うこともあるのでしょうが
  一番大きな点は”如何に文句を言ったか!”
    =>「自分の想い/意見を発信したか?」だと思ったのです
  良い悪いは別にして
  人は自分の思っていることを言葉で外に表明しなければいけない
  と言うことに気が付いたのです
夫婦でさえ言葉で「愛している」と表明しなければ
  思っているだけでは相手に伝わらないのです(;^_^A
  それがたまたま組織で一緒になった人に
  自分の想いが伝わるなんてことはありえないと思って
  積極的に周りの人に自分の思いを言葉を使って表明しなければ
  誰にも、いつまで経っても相手に伝わることはないのだと思います
 
わたしは幸いなことに
  このことを社会人二年目に実体験として感じることが出来ました(^O^)/
  それ以来わたしは、自分の思いをドンドン口に出していたし
  その場は必ずしも公の場である会議だとかではなく
  たまに行った本社の食堂で部長と隣りあわせだったりすると冗談めかして
  「今度土地を買って家を建てるのですが、転勤させたら会社を辞めちゃうから!」
  とか言っていました
情報には公私の場なんて関係ないのです!
  どのような場で発信された情報であろうが
  情報自体の価値は変わりありません
  その意味ではわたしが口に出す時には迷いはありませんから
  想いもかなり通してきました
 
そのためにもわたしはどうありたいのか?
  常にそのことは考え続けてきたつもりです
  このことを社会人になってかなり早い段階で知ることになった集団脱藩事件は
  わたしにとっての最大出来事で、その意味では感謝する出来事だったかな(^o^;)
結局あの学校出てからの最初の二年間で
  その後何十年と続く会社人に於けり生き方や
  仕事への取り組み方を身に着けた気がします
 
一枚の喪中はがきで
  社会人になりたてのころの自分にタイムトリップでした