、昨年から今年にかけての着付け教室で使った着物
教室での練習でも、したたり落ちるほどの汗を何回もかいたのに
いままで何もできていなかったのです
もちろん自分でお洗濯できるならしてしまうのですが
生地が正絹のためなのか、自分ではできないはずなので・・・・と思う(^o^;)
(「洗える着物」と出ているのは、みんな生地はポリみたい)
クリーニング屋さんに何件か聞いてみたのです
そしたらやっていないか、八千円とか一万数千円するのですよね!
この着物は着付け教室を受けるのに、当然何も持っていなかったので
ヤフオクで落としたものなんです
数千円で落としたものをその倍とか三倍でクリーニングするのもなんだかなぁ・・・と
いままで気にはなっていたのですが、結局はそのままだったのです
それで先日、度が進んで見えにくくなっていたメガネを新調するときに寄った和モノ屋さんで
洗いのキャンペーンをやっていて、それだと落とした値段のほぼ半値なので
それならいいかと予約したのがきょうのお昼だったのです
もちろんそれは罠でおかげさまで新しいお着物を調達したりしちゃいましたが
それで先日の着物でランチとか来週は着物での飲み会があります
教室は行ったのですがなかなか覚えきらないので、もう少し教わって
それほど構えずにお着物でも出かけられるようになったらいいなぁ、と思っています(^O^)
今週はずっと寝不足だったので、いつもより三時間目覚ましを遅らせたのですが
最初は一時間遅れた6時過ぎには一度目を覚まし
お日様からもういい加減な時間かなと思って顔を洗ってから時計を見たら
まだ6時過ぎ(^o^;) もう一度寝ちゃいました!
次に起きたのが7:45、仕方ないので起き出して
お布団干して、洗濯機を回してから、お食事いただきました
お洗濯ものを干したり、なんやかんやしているうちにいい加減なお時間になって
お着換えして、洗ってもらうお着物と長襦袢を風呂敷に包んでお出かけです
お店には予約時間より少し早めに着いたので
駐車場で本を読みながらお時間つぶしていました
ほどなくしてお時間になったのでお店に行きました
今日は店長さんと新人の男の子、それにお姉さんがお二人と
今日の主役?洗いというかお着物の仕立て直しの職人の方がいらっしゃいました
私の持ち込んだお着物と長襦袢の汗しみ等の確認されている時にお聞きしたのですが
「着物の洗い」というのは基本そのまま洗うのではなく
一度全部ほどいて生地に戻してから洗って、それを再び仕立てるのだそうです
だからあんなに高いのですね!
そしてそういう作業ですから生地そのものの状態が良ければ
一度脱色して再び別の色や模様にかえることが出来るそうだし
着丈の調整も詰めたり伸ばしたり、場合によっては布を足してさらに伸ばしたりもできるそうです
着物の作りというか、システムの素晴らしさですね!
そしてこの場合、地の生地の良しあしにより影響されるのですが
これは今の生地よりも、却って昔の生地の方がよいものが多いそうです
よく若い時に作った振袖を、訪問着等に仕立て直して使い続けるといったことは聞いていましたが
着物はもっともっとシステマティックに有効活用することが考えられていて
今日はいままで知らなかった着物というものを、いろいろと勉強させていただきました
今日は日差しも強く少し汗もかいたので
途中で〇KでFamimaのミルクティーフラッペを買ったのです
でも日差しの中で食べるのも辛かったので木陰を探して公園駐車場というか、その進入路に(^o^;)
ここで読んでた本の残りを涼みながら読み切りました
その本は蒼月海里「幻想古書店で珈琲を」シリーズ4冊目の~心の小部屋の鍵~
大学を卒業して入社した会社がすぐに倒産し、無職となってしまった名取司が
どこからともなく漂う珈琲の香りに誘われ、古書店『とまり木』に誘い込む。
そこには、自らを魔法使いだとる名乗る店主・亜門がいた。
この魔法使いによると『とまり木』は本や人との「縁」を失くした者にだけ現れる不思議な古書店らしい
ひょんなことからこの古書店で働くことになった司だが
ある日、亜門の本当の正体を知ることになる・・・・・。
切なくも、ちょっぴり愉快な、本と人で紡がれた心がホッとする物語。 『裏書より』
一時は気温の上昇とともに消えてなくなった雪の精の雪子
それが想い人の寺島と共に現れた奇跡(^O^)
・・・・・
「左様。概念に依存する存在である雪子さんは、寺島君の心の中に、確かに生き続けていたのです。天に昇った彼女の魂が雨となって地上に降りてきた時、それを礎にして、再びあの姿を得たのでしょう」
「概念に依存するからこそ、人の想いが奇跡を起こす・・・・」
「その通りですな」
「・・・・・そうですか」
わたしたちも言葉(概念)があるからこそ、その存在が認められ
また自分で自分を定義し、あるがままの自分を生かし、受け入れることができる!
わたしは長い間、わたしを定義付ける言葉を求めてさまよっていた
「GID」ではまだ違和感の残っていたものが「GD」の定義により
世の中が(全部ではないにしても)やっと私の存在を認めてくれるようになったのだと実感しました
もちろん皆保険の浸透している素晴らしき日本では、わたし達の保険診療の問題との兼ね合いで
GIDという言葉が亡くなるのはもう少し先かもしれませんが
それは別の問題で、あくまでもわたし自身の心のありようとしては
”GD”という概念が生まれることで、とっても救われたのです(^O^)/
涙しながら本を読み終えて、お家に戻りました
郵便受けを除くと一通のDM
女性向けの保健の勧誘です(^o^;)
今の段階では実際に必要となった時に保険金は出ないでしょうから申し込みませんが
プライベートの世界では自治会をはじめとして、女性性での暮らしが通常になってきています
正直言って仕事の場ではまだまだですが、少しずつ少しずつでも変わっていったらいいな!
本日のCC・・・・[P49][P49]