「情報喫茶アスキス」を訪ねて | わたしの夢はどこに・・・

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私ってなに?本当にGIDなんだろうか?まだまだ彷徨っています。
その中で多くの方のブログを見させていただいて、いろいろなことを教えていただきました。
このブログは自らの心の整理と、一つの事例として他の方の参考になったらお返しになるかな
と思って開きました。

きのうの本探しでいろいろと懐かしいご本がでてきました(^O^)/

その中に「情報喫茶アスキスからの発想」と言う本もありました
  懐古編の第二弾です!
情報喫茶アスキス 

この本は1986年7月に上梓されたもので、著者の梶原宣俊氏は
  当時は広島YMCA総合開発研究所長で

  KJ法、AIA、MGを組み合わせて編み出した
  T型人材開発システムを多くの企業団体に教育研修賭して指導していました

わたしがたまたま本屋さんの店頭で手に取り
  そこに書かれていた”新しい情報コミュニティ、「知」域社会のあり方
  その中核となる情報発信基地、情報市場、情報コミュニティ広場としての
  「情報喫茶アスキス」というコンセプトに惹かれるものがあり
  なにか居ても立ってもいられなくなって広島YMCAにお電話をかけて
  直接お話しを聞かせていただく約束を取り付けてしまいました(^o^;)

当時は最初の会社での最終システム開発で14か月ほど
  毎週浜松<=>京都を往復していた時で
  たしか往きは浜松から、帰りは京都に向かったのだと思います

その移動は初めての「青春18キップ」(当然国鉄発行の5枚綴りのものです)
  多分どこかにまだ取ってあるはずなのですが
  そのときの行程表と時刻表にガイドブックのコピーを一冊に製本して
  一回限りのガイドブックを作っていました
その後も鉄道旅の時は毎回作っていましたので
  製本機も買って全部で10冊くらい作りました(^O^)/

浜松を0450くらいに出る大垣夜行にのって、大垣、網干と乗り継いで
  広島には夕方には着いたと思います
広島YMCAには翌日の朝に訪れて梶原センター長から
  わたしのやっているお仕事を通して思っていたユーザとの情報交換のありよう
  そして本を読んで感じたこと、そしてその想いの融合等々
  私からもお話しして、その当時組織していた
  ユーザ会の意義づけというか位置づけについて

  アスキスのコンセプトを通した
  梶原さんの考え方、サジェッションをお聞きしました
初めてにもかかわらずいろいろとお話しをしていただきました

その後はわたしも毎年新茶の時期にお茶をお送りしたりはしましたが
  梶原さんの方からもYMCA会報誌等いろいろな情報を送っていただいて
  その後30年以上の交流を持ちました

なんだかんだで2時間ほどお時間を割いていただきましたが
  広島でお昼をいただいてから一度倉敷に戻りました
倉敷からは伯備線でその日のお宿のある伯耆大山までの列車旅です

翌日は今回の旅の最終日
  一度米子まで行ってから山陰本線に乗り換えです
在来線普通列車でも東海道/山陽本線や東北本線は接続もよく
  かなり速い時間で進めるのですが
  奥羽本線や山陰本線のような日本海側の路線は接続が悪くて
  距離を稼ぐのは大変ですよね(^o^;)

このときも駅の名前は忘れてしまいましたが
  駅から日本海の見える無人駅で

      ※もしかして「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」の立ち寄り駅になる東浜駅かなぁ??

  上下の特急待ちで一時間以上の待ちがあったりしました
そのあとで、今はもうなくなってしまいましたが
  日本一高い鉄道橋だった餘部鉄橋では、手前の餘部駅で少し停車したのです
  対向列車待ちかな、と勝手に思いこんでホームでのんびりしていたのですが
  突然列車がゴトンと動き出して
  あわててドアを手で開けて(手動でした(^o^;) )列車に飛び乗りました
機関車の直後の連結部は、真下をのぞき見ることが出来て
  鉄橋もスケルトンだったので
  日本最高度の橋桁から下の景色が丸見えでしたf^_^;
それにしても、本当にあの時は乗り遅れなくてよかったです(^O^)/

なんとか夜には京都に着いて、七条のマンションに戻りました

このあと北海道行きを中心にずいぶんと青春18切符にはお世話になりました
  ある時は1シーズンに5冊も使ったこともあるのですよね!