ことしのわたし、そして「勝手にRLE」への軌跡 | わたしの夢はどこに・・・

わたしの夢はどこに・・・

私ってなに?本当にGIDなんだろうか?まだまだ彷徨っています。
その中で多くの方のブログを見させていただいて、いろいろなことを教えていただきました。
このブログは自らの心の整理と、一つの事例として他の方の参考になったらお返しになるかな
と思って開きました。

上の子が高校に進学し、それにタイミングを合わせて「勝手にRLE」を始めて4年目
  その翌年のガイドラインに則ったカウセリングやHRT始めて3年目
今年一年は目立った結果はありませんでしたが
  次へのステップに続く動きがありました

元々SRSは戸籍の改性に合わせて行うつもりでいたのですが
  わたしの場合”未成年の子”がいるので
  最短でも後3年はかかるのです
でもわたしの実年齢は未成年の子がいる割にはかなりの歳なのですね
  病院によっては手術を受けてもらえない歳でもあるのです(^o^;)
そして、それ以上に”想いの性で生きる”ことをつきつめた時
  なににも煩わせられることもなく
  極当たり前のことを当たり前にこなす、と言うことを考えた時
  出来るものならばSRSを前倒しするのもいいかな、と思うようになりました

そして最終決定ではないのですが(取りあえずは)
  山梨大医学部でのSRSを目指してのカウセリングに入りました
この方針決定のおかげで一度はあきらめたC先生のカウセリングを受けることになりました(^O^)/

わたしは旧来のGID中核群と言われる枠組みからいうと外れるのですよね!
  小さい時からこの自分の”女の子になりたい”という思いは
  途切れずにずっと、表からは見えない心の一皮下に携えていたのですが
  なぜなのか?どうしたらよいのか分からずに
  結局はこっそりと女装する、ということで想いの一部を消化していました

まだまだ性同一性障害なんて言葉は無く
  「ブルーボーイ事件」「カルーセルさんのSRS」もリアルタイムで知っている世代です(^_^;)
  でもそういうことはわたしとは別の世界の事と思っていました

会社の人、お客様、ご近所さんいろいろな方に心配していただき
  ある時こんなわたしでも良いと言ってくれた方(元奥さん)に
  わたしが女装することも話したのですが、縁あって結婚をして
  道に迷ったのか少し遅くなりましたが
  こうのとりさんが二人も子供達を運んで来てくれました

こんなわたしですから”お姉ちゃんだから、弟だから”とか
  ”女の子だから、男の子だから”ということは意識的に言わないようにし
  夕食も平均しても週五日以上は子供達と取っていました
  これでもわたし民間企業の現役SEなんですがね・・・
会社の制度として確立しているかは別として
  最終的には会社公認での自宅作業を掴み取っていました
この枠組みの中で夕食は家族一緒で取り
  その後奥さんが後片付けをしている間に子供達とお風呂に入り
  そして子供たちが寝るまで読み聞かせをして
  寝た後でお風呂から上がって来た奥さんと交代して
  そこからわたしのお仕事です(^o^;)

子供たちが小学校に上がってからは
  授業参観日には(学校の進めもあって)朝から一日参観し
  お昼も一緒にお弁当をいただいたりしていました

そしていつか埼玉医大で公にSRSが行われ
  金八先生のころから性同一性障害という言葉も知りました
一時はこれでわたしを定義できるのかな、と思い、期待もしたのですが
  やはりなんかわたしとは違う、とさらに彷徨い続けるのでした
それが松永先生の”ジェンダーアイデンテティの自我同一性への統合”という考えに辿りつき
  GIDがGDになることでやっと自分を定義することが出来ました

この間も独り自分のお部屋でお仕事している時は女装していたのです
  多分これがわたしの安全弁だったのでしょうね!
それが時間が経過し、当然子供達も大きくなってきます
  それに伴ってそれまで黙認だった奥さんから
  ”○○もそろそろ思春期なので、わかるから止めて!”と・・・

何年かそんな時間が経過しました

わたしは自分の気持ちを人一倍大事にします
  だからこそ同じだけ相手の気持ちも大事にしたいと思っています
  相手の気持ちを変えるのではなく
  その気持ちのままで了解できるのか・・・
そのため結婚する時も洗いざらい自分の性癖?もお話ししました
  それで分かってくれたと思ったので結婚したのです
でもそうではなかったのですね!
  相手はいつか直るんだと思っていたのかな?
  ”そんな趣味にお金をつぎ込んで!”と言われてしまいました
その段階でわたしは、相方さんは理解は出来ないんだろうな、と
  あきらめました
  うらむわけではないけれどもね!

本当はその年結婚20周年でした
  みんなで富士登山をするつもりで、その前々年には予行演習で
  尾瀬の燧ケ岳にも行きました
  (ブログネタのない時にでも、過去の家族旅行の思い出もいいかもね(^O^)
山小屋の予約が始まるまでギリギリ悩んだのですが
  もうその気もなくなっていました・・・
そしてその年は上の子の高校受験の年でもありました
  いくらなんでも子供が受験の時にこんなドタバタはできません
  自分の気持ちを確かめる意味も込めて一年先送りしました
上の子がお母さんとバトルして家を出るとしても通える処に
  借りる家の目途を付け(結局そうはなりませんでしたが)
  実際に家を出る一か月前には少しずつ荷物も運びこんで準備をすすめ
  GWの初日に子供たち二人を含めて三人にお話ししました
その時子供達、特に上の子がどこまで本当に理解したのかは分かりませんが
  あれほど奥さんが心配した上の子が一番理解しようとしてくれました

その後は会社への通勤路を彼女の通学路に合わせ
  出来るだけ朝の時間帯だけでもすれ違うようにしたり
  夕方の雨が降りそうだと(特に雷ね)午後はお家での仕事に切り替えたりして
  お迎えコールがあれば答えられるようにしたり
  生徒会活動で遅くなるとお母さんからのお迎え依頼があったりして
  学校の近くに居を構えたことを最大限に生かしました

そんなこんなの三年間
  昨年の受験には初めての親子女子旅をさせてもらったり
  今年にはわたしの東京カウセリングの拠点として泊まらせてもらって
  さらにはわたしのマラソンサポートで三回親子女子旅しました(^O^)
こんなわたしにつきあってくれて
  このことがわたしの今年一番の出来事かな(^O^)/

【忘れていた(^o^;) 】
今年の5月この子と新聞社の本社に行って取材を受けて、新聞に載りました
  わたし自体の取材というよりも、当事者の家族の視点というコンセプトだったんでしょうね
  二人にとって、それぞれの立場でこれも良い経験だったかな(^O^)
SBS本社にて 
※本当は新聞に載るはずだったお写真です

また昨年から続けている県の生涯学習講座での薬膳料理教室
  この中でのお付き合いから駅伝へのお誘いを受けて
  去年、今年と一緒に走らせていただきました
  さらには来年は秋だけでなく、春にもお誘い受けました
そして別の方々からの女子会やこの先の薬膳研修会へのお誘い
  新聞屋さんのミニセミナからのおつきあい
まだまだカム済みの方々主体ではありますが
  当事者以外の人との付き合いが少しずつではありますが
  広がって行った一年でした
そうした中で旅行で上の子に迷惑をかけないためにも
  そしていつかカムしていない当事者以外の人とのつながりが出来てきた時
  わたしの身体で尻込みしないで済むように
  それなりの見かけになっていたいな、と思うようになりました
まだまだセカンドというか(私にとっては)サードのカウセリングがいつ終わるのか分かりませんが
  来年にはSRSまで持ち込むように動いていきたいと思っています

もう一つ今の地を終の棲家にするつもりで地域に根を下ろすのに
  今年は地域清掃や防災訓練等地域活動には女性性で参加してきました
もちろん全くのカムなしではなく
  引っ越ししてきてから、わたしの出入りが見られている
  裏の二軒と向かいと下の一軒にはカムしていますが・・・

いずれにしても来年は既にカムしている方々の手助けを受けながら
  だんだんとノンカムの人との交わりを増やしていきたいな、と思います
ただわたし自身はこの先も埋没する気はなくて
  必要であればGID-MTF/TG=>TSとして生きて行くつもりではあります

来年はこの組の組長さんだそうです
  部長さんは先日皆さんで集まって決めましたが
  組長さんは順番のようです
それでも皆さんから”ごく当たり前の人間なんだ”と思ってもらえるように
  しっかりと一年務めたいと思っています
そして来年3月のGID学会ではわたしもお話しさせてもらいます
  わたしの生き方は必ずしもすべての皆さんから認めてもらえるような形ではありませんが
  少なくとも一つの事例ではあります
誰のどのような視点に立って評価するかですが
  必ずしもマイナス一方ではないと思っています

わたし達の”想いの性で生きること”は単に想いの性の恰好をすることではなく
  その想いの性で全ての活動をすることです
  当然ながらお仕事も含まれます
わたしのお仕事は本来はジェンダーは関係ないはずです
  ところがここまでわたしがお仕事で評価を受けられるようになるまで頑張れたのは
  現実的には男性性でお仕事して
  徹夜、休出をこなすことも出来てこられたからだということも分かっています
ですからこれまでの男性性であったわたし自身を否定することはあり得ません
  でも、それでもまだやはり最後は天職と思えたお仕事を
  想いの性で成し遂げたいと思っています
  そのためのレールをもう一本継ぎ足してしまいました(^o^;)

多分来年はいろいろな面で転換の年になるのかな、と思っています
  今年もそうであったように当事者の方、そうでない方
  いろいろな方にお世話になるかと思います

今年一年本当にありがとうございました
  また来年も変わらずよろしくお願いしますm(..)m


PS.今年最後の献血に行ってきました
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今日の献血は年末年始の血液不足を回避するための
  血液センタから依頼された予約献血です
日赤本社の血液事業本部からの回答で
  デポ注しても30日空ければ献血出来る、という回答は得ているのですが
  基本2A/2Wでデポ注している間は出来ませんでした
  ところがパッチ剤の併用がわたしにとっては2A/1Mでも問題なさそうなので
  来年からはスケジューリングの問題も含めてこのサイクルでいこうかと考えています
これならば献血も継続して行けるし
  そうであれば自動的に肝機能の検査にもなりますのでね(^O^) 
献血お礼