私たちがスピリチュアルの世界、
スピリチュアル的学びに魅かれる時、というのは
・人生の質を向上させたい
・不思議な個人的体験の意味の探求
・もっと幸せを感じたい、幸せになりたい
・内外の世界をよく知りたい、広がりを感じたい
・人間関係を調和させたい
・自分の望む人生を歩みたい
などのように、その人、その人にとって
そこへ向かわざるを得ない理由や動機が
踏み出したその当時は言葉にならなくても。
確かにあるのではないでしょうか。
現実創造のしくみを知っていても、知らなくても。
様々な体験を日々、私たちはしています。
そしてその体験から
喜び
哀しみ
切なさ
嬉しさ
楽しさ
怒り
恥ずかしさ
などなど、たくさんの感情を感じ、またそれを
エネルギーとしてさらに外側(外界)へと発信しています。
心が現実をつくる
自分を含め現実と感じる世界は100%自分が創っている
このことを本当に認め、受け入れた時、
たとえば家族やパートナーとの間で不満を感じ、
喧嘩したとしても
「相手(の現実創造)が悪い」
という言葉は絶対に出てきません。
大切な誰かを言い負かしたりやりこめる(笑)ために
スピリチュアルを学んだわけではないのに、
スピリチャルな考え方を使って相手を比較・批判したり
判断したり、バッサリ斬ったりしてしまう・・・
本当は、そうしたいわけではないですよね?
「どうして、何のためにスピリチュアルを求めたのか?」
冒頭のような、ワクワクする欲求にもとづいて、
スピリチュアルなものの見方にたどりついて。
私たちは、今ここにいるわけです。
その時
「この現実を体験することを望んだ私」
という視点から、自らの心の内側と対話が始まります。
(なんて私はダメなんだ・・といった自己嫌悪はズレちゃいます)
そこから私たちが望む現実創造への歩みがはじまります。
読んでくださって、ありがとうございます。
感謝します。