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結論からいうと、私は現時点では、ゆるしとは相手を理解することだと思っています。

ゆるしについて考え始めたきっかけはこの本でした。

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著者の小松原さんは研究者で、性暴力被害者の支援をしてきましたが、自分が当事者(性暴力被害者)であることを公表していませんでした。


その理由として、性暴力を受けたときの記憶が断片的なので、自分は被害者だと確信をもって言えなかったという側面がありました。


相手は当時付き合っていた彼氏で、小松原さんも性行為に同意したそうです。


でも性行為のあとに、性暴力被害者特有のトラウマ反応もあったそうです。



小松原さんは本の中で「嘘にならないように」気をつけながら、被害体験について事実だけを語っています。


その断片的な記憶を読んで私は、小松原さんは最初は性行為に同意したものの、途中で怖くなって断った。でも、彼氏は力づくで続行したのでは…?と想像しました。


ただでさえ性暴力被害は認めにくい(受け入れにくい)です。小松原さんが自分の中でなかなか消化できなかったことも共感できました。

本の前半では小松原さん自身の立ち位置(当事者研究者として、また当事者として)における、様々な葛藤が書かれています。


当事者研究とは、大ざっぱにいうと当事者同士で(加害者、被害者、関係者)前向きに、みんなで話し合っていくこと。



研究者や支援者の集団の中に、当事者(被害者)がいると気を使われてしまって研究に支障がでるかもしれない…など、色々あったそうです。



本の中で小松原さんがこだわっていたのが「ゆるし」。


私も「ゆるし」は前から気になっていて、心の傷を手放していくと最後は許しに向かうんだろうなと思っていました。



この本の後半で、小松原さんは水俣病の活動に傾倒していくようになり、この本の著者であり水俣病の当事者でもある、緒方さんと関わるようになって、その影響を受けます。


水俣病の原因となったのは「チッソ」という企業が、工業排水の処理をせずに水銀を垂れ流したことです。


緒方さんは水俣病の認定運動の中心にいて積極的に活動していましたが、ある時、その訴えを取り下げます。

 

当事者は嘘をつくには、「当事者(被害者)なのにそれ言っちゃう?」と小松原さんが思うような発言を緒方さんがしたと書かれていたので、


私も、なぜ緒方さんが加害者(チッソ)をゆるしたのか、お考えを知りたくて本を読んでみました。



「チッソは私だった」は図書館で予約して借りたので、届くまでに1ヶ月くらいかかりました。


その間に私自身が大きな問題にぶつかりました。


私がかかえていた全ての問題の根っこが「兄からのいじめ、母の無関心(サポート不足)」から派生していることをハッキリ自覚したのです。


乳幼児期から始まった兄のいじめで、世界は危ない、怖いと感じるようになり、人を信用できなくなり、いついじめられるかわからない不安と恐怖からびくびくするようになり、


いつも邪魔されるので何をやっても上手くいかない。チャレンジしない。


絶対に勝てないから、最初から勝負しない。


兄から私を積極的に守ろうとしない母、いじめられた私に精神的なケアをしない母への憎しみを持つようになり、人とあたたかいつながりがもてなくなり、感情を殺すようになりました。


誰も信用できないので一人で頑張るしかなくなって、小さい頃から人生が過酷になった…その全ての原因が兄のいじめにあると思いました。


私の人生めちゃくちゃにしやがって絶対許せない!

と思いました。


でもね。ここで止まっててもしょうがないんです…。


私の人生なんだし、大人の私が、傷ついた子どもの私を見捨てたら誰が救うの?って思いました。


兄のいじめがなかったら、私の人生は全然違ったものになっていたはずです。


めちゃくちゃ許せなかったし、私の人生返せ!と思いましたけどね。



色々と手放していくうちに気がつきました。


私が母に対して行ってきた受動攻撃(反発する、無視する、信用しない態度など)は、母への恨みから発生しています。


物心ついたときには、もう母への怒りがありましたが、恨んで当たりまえだったなと思いました。


小さかったし、無力だったし、誰も助けてくれないし、恨むしか方法がなかったんですよね。



兄が私をいじめていたのは嫉妬からで、母と父を取られた、自分の居場所を脅かされたなどの恨みからきています。


兄は私を物理的に攻撃しています。

私は消極的に母と兄を受動攻撃しています。


形は違うけれど本質は同じです。私も兄も、本質的には自分の心の傷をなんとかしようとして同じことをしていたことがわかってストンと腑に落ちました。


これが「ゆるし」かなと思いました。



チッソの話に戻ります。


著書の緒方さんは父親を死亡させたチッソの責任を問うため、水俣病の活動を続けるうちに、ふと「もし自分が、最盛期のチッソの社員だったなら、どうしただろう?」と加害者視点を持ったそうです。


自分だったらチッソの社員たちと同じことをしたのではないか?


仕事を無くすことや、地域のコミュニティからはじき出されることを恐れて、被害者に気づきながら何もしなかったのではないか…。


そして、加害者と被害者が紙一重であったことに気が付きました。


企業が消費者が、豊かさや便利さを求めて近代化した社会がチッソそのものであり、自分もまたチッソであった…と考えたそうです。


現段階では「チッソは私だった」を半分くらいまで読んだところですが、緒方さんはゆるしとは書いてはいません。


でも、私はこれも「ゆるし」なのかなと感じました。



「ゆるさなきゃいけない」ってことはありません。


ゆるせない理由がありますし、


ゆるせない自分もまた、自分だから


でもゆるしたほうが圧倒的にラクですね。もう過ぎたことだし過去は変えられないので、これからは自分の人生を生きたいです。


トラウマが過去になるって、こういうことなんですよね。


トラウマに反応しているとき、トラウマは過去ではなく現在進行系です。なんども過去の記憶や感情が「現在」によみがえります。


あらゆる角度から見ると、私達は加害者でも被害者でもあり、そのどちらにでもなれるし、加害者でも被害者でもないとも言えます。


加害者・被害者という枠を取り外し、そこから出ることが、自由になることだと思います。


今回は、私が感じた「ゆるし」について書いてみました。



 
 

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