センテンスサワー -40ページ目

センテンスサワー

気の向くままに書き綴るのでよろしくお願いします。
感想もお待ちしております!!

脱法ハーブによる事故がやたらと報道されている。

危険運転致死罪で起訴されるケースもあり、そのうち違法とされるであろう。

幻覚症状であったり、気分が高揚したり、それくらいならたいした問題ではないと思うし、大麻が合法な国があるように、それを使う側に問題があるのでは。

飲むなら乗るな、という言葉があるように、

吸うなら乗るな、と個人的に思う。

節度を守ることがとても重要なことで、娯楽や楽しみが減っていくのはとても残念なことだ。

一人二人のおバカさんのせいで、大多数の人々が損をするのよね結局はww

まあ、個人的に、タバコも酒も脱法ハーブもやらないから別にどうでもいいことだけどねっww



てか、日に日に世の中が窮屈になっているのは気のせいだろうか?

ただでさえ、窮屈な社会なのに、これ以上法律を増やしてどうする?

大人というか、先代の人々が作った習わしや決まり事。

それにあやかることしかできない後の世代はたまらないよまったく。

そのうち、タバコや酒も禁止されることになりそうな予感がする。

そうすると、脱法タバコや脱法酒なんか出てくるだろうねww

脱法発砲酒なんかも発売されたり。

脱法ノンアルコールビールとかww

さらに世の中が窮屈になると、シャンプーも禁止され始めて、脱法シャンプーなんか作られたり。

脱法リンスインシャンプーとか脱法リンスイン脱法ハーブとかww

まあ、ここまでいくとわけがわからないけどww



とりあえず、これだけは言っておく。

世の中が窮屈すぎるからこそ、間違った方向に進んでしまう人がいるということ。

以上。







日本語ほど、柔軟な言葉はないと思う。

使い方一つで、意味が異なり、ポジティブな意味の言葉が、ネガティブな意味の言葉になったりする。

例えば、「全然」という言葉がある。

この言葉は否定文の中で主に使われることが多い。

だが、現在では「全然おいしい」「全然だいじょうぶ」などのように用いられている。

それも若者だけでなく、いい大人が使っている。

この使い方を間違っているという人もいるが、夏目漱石が本の中で使っていたりもする。

だから、正解はわからないければ、日本語の可能性を感じてしまう。



で、最近では「ゆとり」という言葉がネガティブな意味を含んでいるように感じる。

ゆとりとは、余裕があり窮屈がないこと、と辞書に載っている。

言葉通り、ポジティブな意味の言葉である。

だが、大人はこぞって、「だからゆとりは・・・」と嘆く。

ロスジェネ世代とゆとり世代の間に位置する僕には関係ないことだけれど、ゆとりより世代の僕としては反論したくなってしまう。

そもそもゆとり教育が導入される経緯は、詰め込み教育に問題があると判断されてのことである。

詰め込むだけでなく、意欲的に勉強に取り組めるように学ぶことの重要性を学び、そのためには心の余裕が必要とされたのではないのか。

でも、結局そのゆとり教育は失敗。

失敗と判断したのは大人だから、僕は失敗だと思ってないけどww



ゆとりのない社会にゆとり世代は浮いているのかもしれない。

ただ、現在の社会は窮屈で、生きづらい。

多様な生き方が求められているにも関わらず、身動きの取れない生き方をしなければならない。

大人には夢があって、子供には夢がない。

そんな世の中でいいのだろうか?

ゆとりの大切さをゆとりのない人たちに教えられたのなら、それを果たしてゆとりと呼べるのだろうか?

ゆとりを知らない大人。

そんな大人にならないように、僕らは新しい未来を作らなければならない。

ゆとりよりも大切なものを。

以上。



なぜ、彼はそんなことをしたのか?

という具合に、他人の行動をいちいち考えたところで、なにひとつ解決策など見えてはこない。

ただ、不運だった、としか言いようが無い。

生い立ちから、現在に至る過程の中で、大切ななにかが崩壊してしまったのだろう。



被害者の方には申し訳ないけど、僕は加害者に同情してしまう。

自殺に失敗し、死刑になるために、二人を殺害した、というのが動機のようだ。

これだけを見れば、大した動機ではないように感じてしまうが、本当の動機はさらに根深いところに存在するのではないだろうか。

そのためにまず考えたいことは、

なぜ、殺したのか?

ではなく、

なぜ、自殺をしようとしたのか?

ということだ。

それを知るためには彼の口から話してもらうしかない。

それでも言葉というものには限りがあり、すべての感情を表現することなどできない。

つまり、全体像を把握することは困難である。

もし、彼の人生をビデオなどで再生することができ、36年間を通してみることが出来れば、彼の悲しみを少しは理解できるかもしれない。

結果とその言葉だけを追って、ただ残酷な殺人者だ、と決め付けるのではなく、その先と奥を深く想像してあげる事が大切だと思う。



とまあ、だらだら綴ってきたが、彼のしたことは許されることではないし、被害者にしてみれば、加害者の動機など知ったこっちゃないだろう。

被害者の家族は加害者に死刑を望んでいるにちがいない。

ただ、加害者も同様に死刑を望んでいることが、心苦しく、救いようのない事実である。